2017年6月19日 (月)

エルサルバドルのKさん

久しぶりに多文化サロンに行きました。
毎月行きたいと思うのですが、帰りが深夜10時半になるので、
やはり時々になってしまいます。
でも行ってみると面白く、楽しくやはり行ってよかったと思うのです。


今日のゲストのKさんと書きましたが、お名前はカルロスさんです。
カルロスという名前はすぐスペイン系と想像しますが、
南米の人たちの血流は様々な国、人種が入っていて
それほど単純なものではないようです。
カルロスさんも、肌は薄銅色で顔はインディオ系でしたが
スペイン系、ドイツ系の血が入っていて、
体は全くドイツ系の身体でした。
普通のインデオの人たちよりずっと背が高い(180以上)ようです。


今日は随分多くの人たちが来て、
それほど広くない室内が一杯になりました。
またゲストも話が楽しいので、あっという間の2時間でした。
カルロスさんはハンサムな30歳。
阪大で学んでいる感じのいい若者です。
エルサルバドルの文化、食べ物、地理、建物等笑わせながら、
映像を見せて説明してくれました。


お国は一年中暑いそうです。
エルサルバドルのお国の料理を
今日もまたFさんたちが腕によりをかけて作って下さり、
初めての遠い国の料理を居ながらにして味わいました。
大変おいしかったです。
こんなに大勢の人たちと食事する機会がないので、
それも脳の刺激になってすごくいいです。


けれどもユーモアもまじえて、楽しく話していたカルロスさんですが、
参加者の質問に答えているうちに、だんだん悲しい顔になりました。
この前のベネズエラのときもそうでしたが、
自国はきっと大変な状況なのでしょう。
貧富の差が激しく、
それゆえにマフィアに走る若者がいるのかもしれません。
平和な日本に住んでいると理解できないことですが、・・
毎日人が殺されていく・・・考えられないことです。
平均寿命は64歳で、
殺されていく人たちが多いので寿命が短いのだといっていました。


マフイアを逃れて米国へ行こうとする人たちが今直面している問題が
トランプさんの方針の変更なのでしょう。
治安も悪いらしいですが、日本から観光客も行くようですので、
場所によって異なるのでしょう。
宗教やイデオロギーにより、独裁的になっていく国はありますが、
一個人が独裁者になっていくのが南米に多いのはどうしてなのでしょうか。
なぜ、マフィアが力をもつのか、
道徳的腐敗が進むのか、よくわかりません。


南米の人たちは歌や踊りが大好きな明るい人たちが多いのに・・・
カルロスさんが語るのに、
エルサルバドルでは日本人は尊敬されているということでした。
自動車やアニメ等よりも日本人の道徳性、生活に
尊敬の念をもっているとうことです。
嬉しいことですが、エルサルバドルにも
いつか平穏な時が来るようにと思います。
地球には様々な国があるのですね。


2017年6月19日

2017年6月11日 (日)

マインドフルネス

「マインドフルネス」という言葉自体聞いたことも、
見たこともありませんでした。
ただグーグルが、禅の科学的応用を研究し、
その部署まで作り、社員が仕事を始める前、
一分間瞑想を実践させているということは
何かで読んで知っていましたが。


今まで書店にはその関係の本は並んでいたでしょうが、
関心のない私はそのコーナーにはいきませんでした。
ところがある日、どういう思い付きなのかそのコーナーに行き、
ある本を手に取りました。
それは「26枚の絵画に学ぶ幸せに生きる方法」と表紙に書いてあって、
26枚の絵が出ていたからでした。


本を開いてみて、
一番最初の序章にある絵に強烈に引き付けられました。
私の求める世界を見事に表していたからです。
それは光の画家レンブラントの描いた「哲学者の瞑想」というものでした。
・・・部屋の中に一人の哲学者が目を閉じて静かに座っている。
本は机の上に広げられたまま、
哲学者は何かをじっと考えているような・・・
窓からは太陽の黄金の光が差し込んでいる。
部屋の中では老女がかきたてる暖炉の火が部屋を暖めている。
絵全体が光に包まれている。
じっと見ていると、本物の絵画ではないけれど、
その光の絵の中に吸い込まれるような神秘的な感じさえしたのでした。


早速本を買って・・
表紙の題名は「はじめてのマインドフルネス」でした。
そしてその日から毎日、数ページ読むようにしました。
絵が素晴らしいのです。
26枚の絵を見て、文章を読んでいると、
私自身知らないで少しは実践してきていたことが、
はっきりと明確な形で、証明されたようでした。
・・ああ、やはりそうであったか
・・これは内奥に繋がる教え
・・・科学と禅がわかりやすい方法をとって、
示されているように思いました。
この本にも「マインドフルネス」とは、
仏教の瞑想をもとにつくられた
心のトレーニングであると書かれています。


本の中で「マインドフルネス」という箇所に下記のようにあります。

・・もしあなたが、追い立てられるようにせわしなく何かをしつづけているなら、
あるいは不安にとらわれたり、怒りに駆られたりしているなら、
少し立ち止まってみてほしい。
そして、「今、ここに存在している」ということを意識してほしい。
「今」を意識して生きるーー
それが(マインドフルネス)に生きるということである。
たったそれだけ?と思うかもしれない。
しかし、たったそれだけのことを日々意識し、
積み重ねていくだけで、やがて重荷を下ろしたように
楽な気持ちで生きられるようになるだろう。
それはつまり、過去や未来にとらわれていた心が解放され、
自分を縛っていた「現実」を
違う目でとらえることができるようになるということである。
(13-14ページ)

この本を読み始めてもう一か月以上になるように思うけれど、
ほんの少し読み、絵をじっと眺めていると、
確実に自分の中に変化が起こっていることを感じます。
「今を生きる」ということが観念ではなく、
小さな実践となって自分でも自覚できることとして
自然に表れるようになる・・
そういう体験をし始めています。
絵はすごい力を持っているとあらためて思いました。
この本が名画を使用しているということもあるでしょうが・・・


「今を生きる」「あるがままに」という言葉は聞きなれた言葉として、
客観的にしか受け取れませんでしたが、
毎日この言葉を自分に言い聞かせて生きると、
確かに生活に変化が来ます。
心が落ち着くのでしょうか。


この「はじめてのマインドフルネス」の著者はフランスで
人気の精神科医のクリストフ・アンドレという方です。
フランスでは40万部以上のベストセラーになっているそうです。
絵もすばらしいですが、クリストフ医師の文章は
人の気持ちを優しく包みます。
見事な文章です。


いつもの通り、夫婦で2冊買って、
それぞれが毎日言葉をかみしめ、絵に見入っています。
絵と言葉・・深く深く、自分の内部に入っていくようです。
「今を生きる」・・・私の日々の言葉としています。


2017年6月11日

2017年6月 3日 (土)

足場鳶の仕事

前にも我がマンションの大規模修繕工事のことを書きましたが、
めったに見られないとび職人の特に目にした「足場鳶」の人たちのことを
是非書いておかなくてはと思って・・
足場鳶の人たちのことを「現場の華」ともいうそうです。


高所の作業は危険と隣り合わせですが、
そのスーイ、スーイと飛ぶように動く人たちのことを
まさに華として、形容したのでしょう。
さもあらんと思います。
日本の鳶職の人たちの技術は世界でも自慢できるものかもしれません。
そしてあの独特の衣装。日本人の美意識も感じます。


私は家の中にいて、
組み立てられた足場がどのように解体されていくか眺めていました。
すだれを下して暗くしているので、外部からは見えません。
とび職人さんたちの貴重な働きの瞬間を
すぐ目の前で見せていただきました。
言葉にならないくらい、見事な仕事振りでした。
足場は組み立てるよりも、解体の方が更に難しいと思われます。
少しのミスも許されない仕事、緊張を強いられる仕事、
けれども誇りを持っているんだなと、
とび職さんたちに近くで接して感じたことでした。


エレベーター内でもよく会いましたが、皆さんやはり若い方ばかり。
会うと真っ白い歯を見せて「今日は」と言ってくれます。
ときには腰の周囲に金属のカギ様のようなものを沢山ぶら下げているので、
「ガンマンみたいね」というと、
「よくそう言われます」と嬉しそうにしてました。
20種類ほどの道具は5キロくらいになるのですって。
命綱をつけて、お互い掛け声をあげて、
重い鉄パイプを一本一本、外して肩に担ぎ、
足場特有の通路をどんな高い所でも、全く普通の道のようにして、
さっさとパイプを下す場所まで行きます。
それを何度も繰り返すのですが、
パイプを外す順番のミスは許されないでしょうね。
間違えたら足元がぐらぐらして、大変なことになりますから。


相方の若い鳶の人が何度も「すみません」と言ってました。
ミスは許されないのでしょう。
先輩格の人は緊張を和らげるように、冗談をいいながら、
たわいない会話を入れながら、仕事を進めていました。
鉄パイプは一本づつ、上から垂らしたロープで吊り下げ、
下まで一気にズドンと落とします。
下でそれを受け止めた人は、すぐパイプを器用に整理し、
次に使用できる体制にしておきます。
この連携作用は、見事です。無駄がありません。
それを何度も何度も繰り返すのです。
みるみるうちに足場は解体されていきました。


三か月間、網に覆われていた不自由さに
愚痴の一つもいいたくなったことでしたが、
こうきれいに取り払われてみると、何となく寂しさも感じます。
天邪鬼もいいところです。
私のマンションはAからKまであり、
3000人が暮らす大マンションです。
工事は来年まで続いていきますが、私の棟は今月で終わり。


次の修理は12先でしょうか。
大修理か建て替えか私のマンションも大きな問題をかかえるでしょう。
12年先、誰にもわかりません。
確かなことはこの豊かな緑に囲まれた大きなマンションは
45歳くらいになります。
かなりの年齢です。
45歳のマンションと73歳の私と・・・
年齢は違っても耐久年齢は同じでは?・・・
足場鳶さんが、解体を終えて去っていきます。
まさに鳶のように。
でもまだまだ他の棟で、20階位の上の方で、
平気な顔して作業してます。

**************

 足場鳶について、ネットで探したら、こんな説明がありました。
やはり、すごい仕事です。

 

足場とび

建設業界では、昔から「建設はとびに始まり、とびに終わる」と謳われ、高所を自在に動き回れることから「現場の華」とも称されてきた。とび職人はまず、どの業者よりも先に工事現場に入って仮囲い(現場の柵)を組み、タワークレーンを設置して建物の基礎となる鉄骨を建てる。目もくらむような地上数百メートルの高所でも他職が安全に工事できるよう、最初に足場を設置して作業場所を切り開くのも、とび職の役割だ。足場、鉄骨、重機をそれぞれのとび職人が適切に設置して初めて、他の職人は現場に入れる。つまり、とび職人がいなければ工事は始まらないし、とび職の仕事が充分でないと、その先の工程へは一歩たりと進めない。だから、「とびに始まり、とびに終わる」とまで言われるのだ。

*********

とび職人は見習いから始まり、先輩職人の厳しい指導を受けるのも日常茶飯だが、現場の安全と工事の成功を根本から支える責任はそれだけ大きく、重い。職人が自らの仕事に誇りとやりがいを見出すことができる理由の一つだろう。無事に竣工すれば、足場も、鉄骨も、重機も、とび職人が手がけた仕事は何一つ、目に見えるかたちでは残らない。だが、完成した建造物を見上げたとき、そこに何物にもかえがたい達成感と満足感を得るのだという。

 

そんなとび職人に求められる資質は、第一に根性と体力。精神的にも肉体的にも厳しい仕事だけに、この二つがなければ続かない。高所での作業は一瞬の油断も許されず、かといって、慎重に過ぎてははかどらないので、高い集中力と判断力、そもそも高所に対して恐怖心が弱いことも適性として重要になってくる。ただし、これは慣れの要素が大きく、極端な恐怖症でもない限りは克服できる条件といっていいだろう。

2017年6月3日記す

2017年5月26日 (金)

太鼓まつり

村祭りの歌です。素敵なのがありました

5月とは思われない暑い日です。
京都も山陰も長野と広範囲にわたって30度以上です。
はて、どうしょうかなと少し考えたのですが、
気をつけておかしくなったら帰ることにしょうと
夫と「太鼓まつり」に行きました。
いつものことですが、「行きましょう」というのは私の方・・
「ああ、行くよ」というのは夫です。
 好奇心というのは、私の方が強いのかもしれません。


水を持っていきましたが、野外音楽堂です。
暑いです。
野外ですからかなりの広さです。
すでに数百人は来てました。
「ドーン、ドーン・・パシッ、トントン」という音が周囲に鳴り響いています。
でも不思議なことに、太鼓の音は
どんなに大きくても騒音には聞こえません。
お腹の中にドーンと来る、何か鍛えられるような音なのです。


太古から様々な国の人々は、太鼓の音と共に生きてきたのです。
太鼓は神々への祈りにも欠かせないものであり、
日本の場合も神事と結びついていたのでしょう。
出演者はそれぞれの工夫の衣装を身にまとい、
男性も女性も勇ましい恰好で、力一杯、掛け声をだしながら、
大太鼓、小太鼓、笛、銅鑼、あるグループは踊りも披露してくれました。
だいたい、衣装は黒と赤の色彩です。
これは縄文の色ですが、若い人たちがニコニコしながら
打ち続けている姿に、やはり来てよかったなと思いました。
(でも、暑いことでした)


感激したのはろうあ者の方々の演奏です。
はじめは知らないで、すごく心に迫るような打ち方だなと思ったのですが、
後の説明でろうあ者の皆様の演奏だと知りました。
ろうあ者の人たちは自分では太鼓の音は聞こえない。
太鼓の響きを体で感じ演奏しているのだそうです。
10名ほどの男女の人でした。
見事な演奏でした。
顔が輝いていました。


またろうあ者の人たちと健常者の方たちの合同演奏もあったのですが、
よく見ていると、ろうあ者の方々は太鼓の響きを感じるとともに、
常に健常者の打ちおろす太鼓の撥に注意し、
遅れないように合わせていました。
おそらく、すごく神経を使っての演奏だったと思います。
偉いと思いました。
これだけでも、今日来た甲斐がありました。
私も元気が出てきました。


全部見たかったのですが、やはり暑さの中、無理は禁物。
特に高年配の夫を誘った私には責任があります。
帰り、駅前の蕎麦屋で蕎麦をためたのですが、
店内に
「村の鎮守の神様の今日はめでたいおまつりび・・
ドンドンヒャララ ドンヒャララ・・・」とまつりの歌が流れていました。
太鼓まつりその通りの歌でした。
帰り路、夫と歌ってみるのですが、
歌詞が思い出されず、ハミングです。
でも元気になる、嬉しくなる歌です。


2017年5月26日 記す

2017年5月18日 (木)

母の日に思うこと

母の日の赤いカーネーションがついこの間まで、店頭に売られ、
いたる所にお母さんの笑顔が輝いた、ポスターや絵が貼ってありました。
昔に比べるとお母さんという概念も変わってきたのか、
むしろ親子間での問題がしょっちゅう出てきて、
人生相談でも大きな深刻な悩みとして取り上げられています。
これは一人一人の意識が人間として目覚めはじめ、
親子も母と娘もあるいは夫婦も
個という意識体として生き始めたのではないでしょうか。
私は否定的には考えません。
他者に依存しないで、他者を思いやる。
これが大切なことだと思っています。
個に目覚めて、他者を思いやる。
こうできたらいいと私は思います。


私の実母は2歳と5歳の幼い子供を残して彼岸に旅立ちました。
突然襲った盲腸が体内で破裂したのです。
その年は終戦の年であり、日本は大混乱に落ち、
日本の食量の一端をまかされていた父は大きな責任を負っていました。
国の農場で働いていた人たちの多くは兵隊に行き、
農場にいた男手は数人だけ。
その人たちが戸板に母を乗せて
1時間か2時間かかる病院まで必死に運んでくださったのです。


急性盲腸炎でした。
母のお腹の中は破裂状態だったのでしょう。
母のお腹には子供がいました。
その子は病院に運ばれる途中体外に出て死んでしまいました。
私の妹となるべき子供でした。
それから母は2か月足らずでこの世を去っていくのですが
母は自分の体の痛みと苦しみよりも
後に残す2人の幼い子供のことだけを考えていました。


母は知っていました。
自分亡き後、夫(私の実父)は子供を育てられないということを。
終戦のどさくさの中で公の後始末で忙殺されている父には
母と私たち子供のことを顧みる余裕はありませんでした。
実父の遺した手記には妻と子どもたちが何を食べていたかもしらない。
どうしていたかも知らないと書かれています。
母はそのような状況の中、
「私が死んだら子供たちを頼みます」とは言いませんでした。


そのときの母は死が迫り、身動きできないからだの中で
気持ちというか意識だけが必死に子供の保護者を求めて
それこそ宇宙空間を飛んだのでしょう。
行方も知れない義理の兄のもとへ飛びました。
母の義兄はシベリアに抑留されていました。
抑留地シベリアである夜、母が枕元に立ったそうです。
これは大変なことが起こっていると変事を察した義兄は
どんなことがあっても日本に帰ると心に決めたそうです。


5年の後、義兄は日本に帰りました。
もちろん母は亡くなっていました。
母は死んでいくことをシベリアの義兄に伝えたのでしょう。


「久子はね。お前たち(私と姉)を本当に可愛いがったんだよ。
まるで宝物のようにしてね。決して久子のことを忘れてはならないよ」・・
遠く(北海道)から私たち姉妹に会いに来てくれる祖母が必ず言う言葉でした。
私には養父母がいるのに、
だからこそ祖母は私の実母を忘れるなと必死になって教えたのでした。


祖母にいわれるまでもなく、忘れることはありませんでした。
姉は叔父の所へ養女に行き、私たち姉妹は離れ離れでも、
お互い母を忘れるどころか心の中で母と共に生きて来たようなものです。
母は彼岸に着いても、ものすごい念波を私たちに送ったのかもしれません。
「お前たちを守る」と言い残した母・・
強い母の子を思う意志は時空を超えて
私たち姉妹の内部に入り、共に生きたのかもしれません。


母が私の中から離れたなと感じたのは11年前、
実父が亡くなってしばらくしてからでした。
今も母のことは懐かしく思うのですが、何か軽い気持ちになったのです。


ある日の夢の中で、私の実父母が一緒に去っていきました。
母は彼岸で父が来るのを待っていたのでしょうか。
私たち姉妹はもう大丈夫と安心したのでしょうか。
今でも思い出す不思議な夢です。


実父が亡くなって数日後、私は夢を見ました。
(私は夢を見ているとき、その鮮明さに夢だとは思えません)
私を棄てたと思って心の中で反逆していた私に、
父が書いたノートと小さな幼女のはく靴下が出てきました。
その靴下は幼い私の靴下。
ノートに書かれた文字は私への思い。・・・・・
私の心は父の愛でいっぱいになりました。
「俺はあの子のことをいつも思っている」と
人様に言っていたそうですが、その通りでした。
死後私への思いを伝えたのでしょう。
泣かない私は泣きました。


共に暮らすことはなかった実父母、
でもその愛は時空を超えていました。
私があの世に帰ったとき、実の父母と会えるでしょうか。
会いたいと思いますが、
父母は私たちのことはもう安心して、
あの世の生活にすっかり慣れているかもしれません。


2017年5月18日

2017年5月 9日 (火)

私のお墓

Img_1442

Img_1478
Img_1487

空は青空、熱くもなし、寒くもなし、心身共に心地よい。
ということで3年振りに京都のお墓に行ってきました。
まだ誰も入っていない空の墓です。
夫と私のために7年前に購入しました。


あの当時私たちの思いは土に帰りたいということで、
植樹墓に憧れ、探して探して、
大阪から京都は少し遠いですが気に入ったのですぐ購入して、
言葉と私たち夫婦の名前も刻んだのでした。
宇治の平等院から車で10分の山の中の広大な公園のような美しい場所です。
2年前にMカトリック教会の納骨堂を買い求めたのですが
墓は2つもいらないし、墓を見比べて、やはり大空の中、
花と緑と川のあるまるで
パラダイスのような公園墓地の方を最終とすることにし、
教会の納骨堂は廃止することにしたのです。


この植樹墓地はいったん購入すると永代で、
某業者のように10年とか20年たったら共同墓地に移動ということはなく、
内部の骨が完全に土に帰ることができます。
それがとても気に入ったのです。


3年振りの私たちの墓は変わりなくそのままありました。
小さな墓の前には細いきれいな川が流れ、
墓の上部には芝桜が美しく咲いていました。
今日は日曜日で家族の人たちが何組かきていました。
墓の前で声を出してお経を唱えている人、
きれいな花を置いて、墓を何度も撫でていく人、
それぞれの思いを感じます。


私はなぜか墓が大好きです。
この静謐な雰囲気が何ともいえません。
そよぐ風、色とりどりの花、よく管理された清潔な芝生、
天国があるならばこんな風景かなと思います。
いつまでもいたいなと思いつつ、
二人で自分たちの墓を見にくるのはあと何度かなと思ったり・・・
いつかは一人で来ることになるのでしょう。


墓所の帰りはいつも平等院に寄ります。
本当に近いです。
今日は沢山の内外からの観光客でした。
平等院の美しさもですが今日は特に藤の花が美しくて、
見とれてしまいました。



2017年5月9日

2017年5月 2日 (火)

大規模修繕工事の真っ最中

戸建ての家に住んでいる方にはわからないでしょうが、
マンションの大規模修繕工事はそれはそれは大変な工事なのです。


私のマンションはこれで3度目になります。
3度目といいますと、だいたい10年から12年に一度ありますから、
3回目というと築後30数年ということになります。
3回目だから慣れているということはありません.
毎回、修繕するところが少しちがいますし、
業者によってやり方はちがいます。
今工事をしている業者さんは丁寧過ぎるくらい丁寧です。
予定通りでしょうがようやく、2か月でベランダ側が95%ほどできたようです。


マンションの建物を完全に覆ってしまうので、
それも黒いシート(網目あり)で覆うので、
太陽の熱は当たりが少なくなり、
建物のコンクリートが冷えて外よりも温度は低くなり、
5月になるのに、小寒いことです。
ちょうど墨色の蚊帳に一日中覆われているような感じです。


何やらぶつぶつ書きましたが、面白いこともあります。
普段見ないこと、お目にかかれないことなど、見聞きできます。
足場を組むときなどそれはすごいものでした。
音もギーギー、ガーン、ガーン、ザーという大きな音。
そして室内からとび職の人の働きが丸見え・・・
あの独特のスタイルで、命綱をつけてやっていました。
狭い通路を思い鉄パイプを担ぎ、組み立てていくのです。
これは頭が要るなあと思いました。
かっこいいというか勇ましい感じです。


足場が終わるシート貼り・・
それにはまた違うスタイルの人たちが働きはじめました。
うっかりしてベランダのガラス戸をあけると、
工事中の人と「こんにちは、ご苦労さまです」ということにもなります。
みなさん若い人が多く、顔を合わせるとニコとして挨拶を返してくれます。


それにしても日本人の見事なまでの組み立て工事。
どうしてこんなにミスなくできるのかと不思議です。
シート貼りが終わると今度はペンキの下地処理です。
これには女性も男性に交じって働いています。
ペンキだらけの作業着、ヘルメット姿にびっくりしましたが慣れました。
顔を合わせたらきれいな若い女性でした。
やはり男性だけの工事仕事より、女性が入ると楽しいのでしょう。
仕事しながらの会話が弾んでいました。
何の話か聞きませんでしたが。


ベランダの工事中や塗装中は
ベランダ側のカーテンはしてくださいということで、
これはかなりうっとおしい状態になります。
時々やはりふーとため息・・
強いシンナーの臭いを嗅いで、室内にいるのはかなり大変です。
でも私たちは塗装のときだけですが、
この仕事をしている人はこれが常態ですから、
健康面で大丈夫かなと思ったりします。


見ていると危険な仕事であることがよくわかります。
安全面のこともあり、かなり重労働な仕事です。
ミスが危険をともなうので、監督の人の責任は重く、
一日の最後に点検しています。
日ごろお目にかからない、職人さん、工事現場の人たちです。
日本人の仕事振りに今更ながら感心し、誇りに思ったことです。
まだ2か月続きますが、きれいにしてもらうのですから、ありがたいです。


みなさん、気を付けて、働いてくださいという気持ちです。
何しろ10階とか15階の建物ですから。
高層建築の現場で働く人たち、
毎日危険と背中合わせの人たち、本当に感謝です。
これからもこういう工事を他所で見たら、
この数か月働いてくれた人たちを思い出して、感謝したいです。
年配の人、若い人、一家の大黒柱のような人、
女性、様々な人たちがいました。
60前後の女性もヘルメットをかぶって・・


2017年5月2日

 

2017年4月22日 (土)

葉桜と馬

Img_1399

*川面の桜です

桜の花の盛りは過ぎて花は散り始め、
樹木は新緑の葉が美しく輝きだしました。
花が散りだした桜の風景もとても風情があって美しいです。
その下に池や川があると、なお風雅な景色に見とれます。
日本の美しさです。
散っても美しい、枯れても美しい。
すべて自然は美しいのです。


千中の駅から二駅で降りると、広大な緑地公園があります。
全部を徒歩で回るにはよほどの健脚でないかぎり大変です。
この公園には私の子供たちが幼いときからよく来ました。
私たちは老夫婦になって久しいですが
今も時々樹木や花々を楽しみに来ます。
思い出が次々浮かんでくる憩いの場所です。
今日も見慣れた池や散る行く桜、チューリップや矢車草など
いろいろな花たちが目を楽しませてくれました。


桜は満開を過ぎて、川には桜に花が雪のように降り積もっています。
黒っぽい川の流れの上に桜の花が幾筋もふり注ぎ
川の脇のコンクリートの壁とよく調和して、
何かモダンなきもの地をみているような感覚になりました。


そのなじみある公園の中に、ずっと昔から乗馬センターがあるのですが、
いつもそこまではいっても乗馬センターの中には入ったことはありませんでした。
馬が動いてたり、走ったり、人が乗っているのは見ていましたが、
縁もないところであるし、今までのぞいたことはありませんでした。


ところがこの年齢になってふと入ってみたくなり、
見学もできるということで、センターの中に入り、
2階の見学席で馬たちと指導員と乗っている人たちを
初めてに見ることができました。
センター内にも立派な桜の木があり、
馬をみていると何か別世界にいるような不思議な気持ちになります。
馬って背が高く大きいですね。
小柄な女性の身長より高い位です。


調教を受けているのかぐるぐる回りをしている馬、
女性を乗せて静かに歩っている馬、
色は黒(強そう)、白馬、栗毛とみな威風堂々としていて、
かっこいいです。
馬たちが広い草原を全力疾走しているところなんかどんなんでしょうね。


遠い昔、私がまだ小学生の頃、
養父が草競馬に連れていってくれました。
養父は軍人でしたし、
それも騎兵隊にいたのか、馬に詳しかったのでしょう。
草競馬の馬たちは
センターにいる美しいスタイルの馬たちではありませんでした。
今日の馬たちのように細い折れそうな足、
つやつや光っている毛並み、
優雅な顔(馬にもそれがいえるとすれば)ではなく、
草競馬の馬たちはずんぐりとしていて、
荷馬車を引くのがお似合いという印象でしたが、
その頃の日本にはこのような労働に適する馬だけがいたのでしょう。
でも走っていましたよ。


草競馬はその頃の男の人たちの楽しみだったのでしょう。
でも女の子なんて、見にいってませんでしたよ。
養父はいろいろケチをつけていましたが、でも喜んでいました。


養父の輝いてた時期の写真で、
馬に乗って旭日旗を掲げもっているのがあります。
日本離れした体躯、鋭い眼光、兵士の鑑みたいな人でした。
けれども戦場での戦いの最中か、
行進をしているときかわかりませんが、
馬上の養父の太ももを弾が貫きました。
養父は倒れ、それから傷痍軍人として生きることを余儀なくされました。
すごいのは片足が不自由になっても
並みの男性より知力、体力、気力ははるかに勝っていました。
養父のことを思い出すと
あの人は絶対に戦国時代に生まれてくるべきだったと思います。
きっと名を挙げたことでしょう
いつか養父のことは書いてみたいです。
それほど逸話が沢山あるからです。


センターの平和な馬たちを見ながら、
戦火の中を潜り抜けた馬たちを想像し、養父のことを思い出したのでした。

桜は優しく散っています。


2017年4月22日

2017年4月13日 (木)

本の大処分

ブックオフの人が来てくれ、260冊の本を持っていってくれました。
夫と私の本です。

このように大量に本を処分したことは何度かありましたが
今度はこれが最後かなと思っています。
長い間、これだけはと大切にしていた本。
私の精神的な歩みの原点にもなる本も手放す気持ちになったからです。
他の人にとってはいざ知らず、
私にとって、夫にとっては貴重な本も沢山ありました。

高いものは1万円~3万円以上するものもかなりあります。
私たち夫婦の本好きは標準を超えていて、結婚してからでも
小さなマンションが買えるほどだったかもしれません。

私が本を読むのは趣味ではありません。
探求でした。
人生の探求であり、真実への探求でした。
それは今もなお、続いていて、おそらくは死ぬまで続くことですが、
昔よりはかなり明確になってきたようです。
15歳の頃より、
「わたしは何なのか?
 わたしはどこから来たのか?
 わたしはどこにいくのか?」とこの問に答えを見出そうと
この世の知識人、賢人、哲人、思想家の書物漁るように読みました。
この問題に答えを見出すのが私の一生の仕事となっていました。
もちろん、人間としての日々の生活を積み重ねるのですが、
第一の目的はこの大問題を解くことでした。


そして私は宗教の道にも入ったのですが、
そこでも明確には確証は得られませんでした。
けれど、私もある程度大人になり、思考力もついてきたのか、
過去の多くの賢者たちの書物の中から真実の宝を見出したのか、
ある確信を持てるようになりました。


それは私はあらゆる生命の根源である存在とつながっていること。
そして私は死後、その根源の中に帰っていくこと。
そして私は輪廻転生はあるのだと確信したことです。
私は何度も生まれ変わるし、
今の私も何度目かの生まれ変わりであること。
けれども、人間は決して動物や虫には生まれず、
人間としてこの世で修行するためにまた生まれてくること。


そして、宗教の説く、天国と地獄はないと確信したことです。
地獄も天国も自分が作り出す状態であること。
罪も罰もないと思います。
したがって、贖罪はないと思います。
けれども好き勝手に生きることは
自分の運命を善に向けるか悪に向けるかを決定していくので、
これはまた次の生まれ変わりにつながっていくと思われます。


人間は生まれ変わるたびに、何らかの学びをして、成長し、
自らの非を改めていくのだと思います。
そして精神の高みに上っていくのだと・・・


本の大処分はこれと関係しています。
私の中に、私なりの解決が与えられ、
何かあれば自分の内部に聞くと答えが出てくるようになって、
・・・いわゆるコンピュータの中にある程度データが蓄積されていて、
そこから必要なものを取り出すという感じです。
70年以上の学びと体験が私の内部に蓄積され、
それこそが私にとっての財産なのです。
これが私にとって本当の貯金なのです。
ですから、気持ちよく、私は私の本と別れを告げました。

2017年4月13日

2017年4月 4日 (火)

三つ子ちゃん

毎週食材や日用雑貨類を某会社に頼んでいます。
もちろん買い物にも行きますが、半々です。
毎週配達してくれる若い人のことを入社したてと思っていたら、
「ぼく、もう35歳ですよ」といわれてびっくり。
大様な、あせらない、何かゆったりした男性だけれど、
どう見ても20代にしか見えません。

「ぼく、もうすぐ子供をもつんです。それも一度に3人も・・」、
「ええ!三つ子ということ!」
「自然で・・?」
「そうです。奥さんは今入院中で、
だから、ぼく今一人暮らしです。犬のちわわといっしょに。」

奥さんは大事をとって通常より、かなり早めに入院しているらしいです。
「奥さん、元気?大変ね」と私はいうのだけれど、
それほど心配してないらしい。
とにかく元気な奥さんで、お腹の子供たちもすくすく育っているらしいです。
彼は琵琶湖のすぐそばで育ったということで、
大らかなのも、毎日広い湖面を見ながらそだったせいでしょう。

それから、私が毎週のように「どう?」と聞くと、
その報告をいつも楽しそうにしてくれました。
子供の誕生を心から待っている、彼の心情。
優しいなと思うのと、さぞ夫婦仲がいいのだろうと想像しました。
「生まれたら教えますよ」と彼・・・さすが日にちが迫ってくると、
彼も緊張してきました。
「交通事故などに気をつけてね」と私は言ったが・・

今年になり、「生まれました」と配達早々に教えてくれました。
「無事です元気です。」

すごい奥さん・・何事もなく安産だったらしい。
そして毎週「どうしているの?」と聞くたびに、
仕事から帰ったら、すぐに3人を抱くのだそうです。
もうかわいくてたまらないらしいです。
3人が泣いたら、夜も寝られないと思うのに。
平気なようです。

奥さんも元気で奥さんのお母さんといっしょに
育児に専念しているということです。
それにしてもすごいです。
私なんか、2人の世話で疲れて、蕁麻疹だらけになったり
神経を使い過ぎて、胃を悪くしたり
時々はうつ状態になったりしたものです。
どうしてこんなに違うのでしょうか。

ある日、配達の荷物をもってきて、すぐ写真を見せてくれました。
三つ子ちゃんたちです。
標準よりも大きいのだといいます。
もう、嬉しくて、誰にでも見せたくてたまらないのでしょう。
3人の子供さんが大きくなったら、
お父さんがどんなに子供さんのことを思っていたか
教えてあげたいなと思いました。
三つ子ちゃんたち、こんなお父さんをもって幸せね。

3人のまるまる太った顔が3人並んでいました。
女の子2人と男の子1人です。
彼はなかなかのハンサムで、フィギュアの羽生結弦に似ています。
大きくなったら、子供さんたちもイケメンさんと、別嬪さんになるでしょう。

私も本当に幸せな気持ちになりました。
幸せな5人家族に乾杯!

2017年4月4日

«大変です ベネズエラ

無料ブログはココログ