2017年10月19日 (木)

灯をともされて

今日は朝から一日中雨が降る筈でした。
そのように天気予報がなされていましたから。
それが何と朝から曇り空で殆ど一日中空から雨は降ってきませんでした。
これはよほど強烈な晴れ男か晴れ女がいたからでしょう。


今日はひまわり広場で「ロシア祭」が開催される日で、
ロシアの方々の歌や踊りがあるとのことで楽しみにしていたのです。
広場には雨が降ってもいいようにテントが張られ、
演技ができるようにはなっていました。
軽い気持ちで行ったのですが
ロシアの領事や市長さんのご挨拶もありました。
日本の国旗やロシアの国旗もあり、
日本とロシアの友好親善のための企画のようでした。


美しいロシアの女性(プロの舞踏家)が、
(ロシアカルチャンセンターのカチューシャ)
民族衣装をつけて踊ってくれましたが、神秘的な感じさえしました。
髪は金髪、少し金髪、黒味がかった人、
真っ白い肌、黒い瞳、中近東のような肌の色、いろいろですね。
衣装も何度も取り換えながら、満面の微笑を浮かべて、
ロシア語で100万本のバラを歌ってくれました。
日本人はロシア人が大好きですね。
ダンサーの人たちは日本とロシアの架け橋になっているそうです。
日本ではロシアの歌や踊り、ロシアでは日本の舞(日舞)をして、
大変ロシア人から喜ばれるといっていました。


すばらしかった。
踊りや歌を聞きながら、彼女たちの姿を見ながら、
14歳頃の自分を思い出していました。
ロシアに浸っていたあの頃を・・・


私の精神的(霊的?)原点はロシア文学です。
それもトルストイとドストエフスキーによって、
私は信仰を与えられたのです。
まだ育ち中の青い果実の私の心に
見えない存在が灯をつけてくれたのです。
シベリアの冷たい風よりも、硬い氷の大地よりも、
冷たく凍っていた私の孤独な心に、
温かい灯をともしてくれたのは、天使だったのかしら? 


神、イエス・キリスト信仰は
トルストイやドストエフスキーの信仰でもあり、
その書物を通して彼らの魂が私を導いてくれたのです。
あのときから・・私は神への探求の道を歩き始めたのです。
ダンサーの踊るロシアの世界に触れながら、
当時を思い出して胸が熱くなりました。


罪と罰のソーニャ、カラマーゾフのアリョーシャとイワン、
復活のカチューシャ、
戦争と平和のナターシャ、ピエール、ボルコンスキー、マリア等々・・
私には作品の人物(モデルは存在している)は
私の中では事実実在したのです。
ソーニャもカチューシャも・・


忘れないですよ。
あれから魂の探求を始めたのですから。


2017年10月19日

2017年10月10日 (火)

タイの賢い娘さん

「賢くて、可愛くて、優しい子」
これは、今日のゲストタイ人ウィウさんのお母さんが
「あなたの娘さんはどんな娘ですか?」と聞かれてこのように答えました。
日本人の親では心で思っていても、
かえって反対のことを言ったりしますが、
このお母さんは我が子を心から誉めていました。
事実娘さんはそんな人でした。(現在阪大で国際経済を研究)


お母さんも今日本観光中とかで、親子ゲストでした。
お母さんは純粋なタイ族らしく、小柄で肌は小麦色より少し濃いめ、
でもとてもチャーミングで魅力的な人でした。
お二人とも大の日本好きらしいです。
多文化サロンでしばらく欧米や南米など
日本人とは肌や外見が異なるゲストが続いていましたが、
今回は東南アジアで、私にとってタイの人は初めてでした。
タイの人たちは観光には日本に来ているのでしょうが
あまり目立たないのでわからないのでしょう。


ウィウさんはお父さんが中国系、お母さんがタイ族とかで、
肌は一般のタイの人よりも白く、体形も中国系に似ているようでした。
タイと言われればこの間崩御されたプミポン国王を思い出します。
今も尊敬を一身に受けている大きな存在だということです。


タイは仏教が国教であり、
その浸透ぶりは日本の仏教どころではありません。
でもタイの仏教は日本とはかなり違っているようです。
日本の葬式だけ、何か特別の行事のときだけという仏教ではなく、
生まれたときから存在している自然にあるものという感じでしょう。
だいたいタイもですが仏教国の人は顔が穏やかです。
微笑みが自然に備わっています。
毎日挨拶からして、手を合わせるからでしょうか。
手を合わせながら、きつい顔はできませんから。


今日の30名ほどの皆様とFさんの心をこめたタイの料理をいただきました。
タイの料理は美味しいですね。
大勢の人たちと同じ食事をしながら楽しむのは、とても楽しいものです。

レッドカレー(ココナッツミルクのチキンカレー)と
ヤムウンセン(春雨サラダ)と
カノム・カイ・ノッククラター(さつまいものドーナッツ)が今日のメニューでした。
次回はイタリアの方だそうです。


*日本の仏教を葬式だけと書きましたが、
信仰深い、敬虔な仏教徒も沢山おられます。
そういう方々の熱い信心によって、
千数百年前から続く仏教の法灯は、
今もなお途切れることなく脈々と続いています。
それは日本人の精神構造の基ともなっています。



2017年10月10日

2017年10月 1日 (日)

奈良西大寺展へ行きました

あべのハルカス美術展で公開された「西大寺展」最後の日、
そんなに遠くでもないので夫と出かけました。
日本の仏像美術を見たいと思ったのと、
私の従妹が死ぬ2年前に「西大寺で会おうね」と言っていたのを思い出して、
せめて西大寺の仏像を見て、従妹の供養をしたく思ったのでした。
何度も西大寺に行こうよと従妹がいっていたのに、
私が重い腰をあげなかったのでした。
従妹は薬漬け(病院の)でフラフラしていたけれど、
私が彼女の心の寂しさを察して、いくら交通音痴の私でも
頑張って会えばよかったと今も心苦しく思っています。


海老蔵さんの音声ガイドを聞きながら、
秘仏といわれる仏像の数々をゆっくりと見て回りました。
かつてはどの仏像も金箔が貼られ、黄金色に輝いて、
極楽浄土へと人々をさそっていたことでしょう。
仏像は鑑賞するためではなく、
一体一体が信心のためであったと思います。
仏師は全霊をこめて、彫り続けたであろうし、
それを見る人々はただ頭を垂れて合掌したのではないでしょうか。


仏教のいう救済はキリスト教のいう救済とは少し違うかもしれませんが、
人々の苦しみからの救済を願って、寺が建立され、
仏像がおかれ、人々が救済を求めて集まったのです。
会場に鎮座している諸仏像も
その昔、人々の熱い信仰を受けていたにちがいありません。
仏像の一体、一体に
当時の人々の祈りがこめられているように感じました。
仏教寺院も西洋の荘厳な教会も今は観光のためのようになっていますが、
本来は信仰の場所でした。
神や仏に対する人々の内面的希求が建物として現わされたのです。
たとえ・・・・鑑賞展として見に行ったとはいえ、
そういう思いを持ちながら見ると
畏敬の念と有難いという気持ちが伝わってきます。


「西大寺展」は最後だったので、とてもにぎやかでした。


今、カトリック神父のペテロ・バーケルマンスが日本語で書かれた
「イエスと空海」を読んでいます。
神父は高野山大学大学院博士課程を修了されました。
また四度加行の最終修行もなさり、
またヨーガの指導研修も受けておられます。
分厚い本(443ページ)ですが、
仏教音痴の私にとって、とてもいい教導書です。
神父自身の体験から教えられています。
私の年齢(73歳)でも理解できます。
現在は仏教系とカトリック系の教育機関の間に霊的つながりができ、
お互いの専門家との間に深い友情が生まれているそうです。
すばらしいことだと思います。


仏教やヨーガ(霊的な)を勉強していると、
キリスト教の深い意味がわかってきました。
前から感じていたのですが、
カトリックはかなり内面的にも外面的にも
仏教に類似している部分があります
どこかで深いつながりがあるような気がします。
イエスの言葉は仏教の理解をもってさらに深められます。
信仰とは一生をかけての道なのでしょう。
それはどの宗教においても同じことです。


私は偏狭主義のキリスト教で育ったので、
なかなか多様性とか視覚的な像に対して、
抵抗のようなものがありましたが、
今はむしろ太古の昔から各民族が祈りの対象としてきた女神や神々、
聖人の像や絵に温かみと懐かしさを覚えます。
心がすごく軽くなりました。
我ながら驚く変化です。


2017年10月1日

2017年9月22日 (金)

また本が増えました

久しぶりに教会に行きました。
このブログにも、教会のことはあまり書かないので、
どうなっているのと思う人もいるかもしれませんが、
私がキリスト教徒であることには変化はありません。
ただ本来のイエスの教えは
もっとちがったものではなかったかと思って探求しています。
自分の信仰をさらに深く学ぶために、
キリスト教とは何かを学ぶために、
教会からは少し距離を持とうとしたのです。


カトリックのすばらしさは自由に休暇を与えてくれることです。
カトリック教徒としての籍は
私の出生戸籍のようにきちんと登録されていますので、
こちらがどんな心境でいても、変わることなく
どこどこで洗礼を受けたカトリック教徒としてずっと存在しているのです。
教会に行かなくなったら
背教徒となるプロテスタントとは事情が異なります。


クリスマスだけ復活祭だけと
堂々と言っているカトリックの人も稀ではありません。
また何年も離れている人も沢山・・・
それらすべて認めていて、すべて自由であるというのがカトリックです。
なぜなら、戸籍上は立派なカトリックですから。
死ぬ間際に真面目?になるかもしれませんから。
もちろん、毎週まじめに、また週何回もご奉仕に行っている人も沢山います。


属している教会内にある書店を久しぶりに覗いてみました。
この書店は修道院の管轄ですが、
そこにおかれている本の種類によって、
現在のカトリックが歩もうとしている道がわかるような気がします。
カトリック関係の本、プロテスタント関係の本、ユダヤ教、仏教、
そして禅、イスラム教、またかつてカトリックが異端としてきた
キリスト教神秘主義に関するものなどがおかれています。
あきらかに今もカトリックが異端としているものは除いてますが
(ものみの塔、統一教会、モルモン、また様々な新興宗教など)


また買って帰りました。
4冊です。重かった。
「禅キリスト教の誕生」佐藤研、
「イエスとブッダ」ティクナットハーン
「イエスと空海不二の世界」ペテロ・バーケルマンス
「異端カタリ派の歴史」ミシェル・ロクベールです。
4冊で重さ数キロ


一時空いていた本箱がこの数か月でまた埋まってきました。

イエスの教えとブッダとはとても共通点があります。


2017年9月22日

2017年9月13日 (水)

悩めるスロバキアの青年

家を出て1時間余、難波で電車を乗り継いで着きました。
何度も来ていても、ちゃんと行くかなと思います。
ちょうど会社帰りの人たちといっしょになり、
数十万人が行きかう混雑する駅を歩いていくからです。


というわけで、今日もお馴染みの戸を開けたら、
ゴーデンリバー犬のこまなちゃんが出迎えてくれました。
私は犬が大好きです。
ときどき散歩していると、犬が立ち止まって私をじっと見てくれます。
どこか共通点があるのでしょうか。


部屋の奥の方にこれはまたハンサムというか
彫刻のような顔をした若者がすでに来ていました。
今日のゲストHさんです。
スロバキアの青年です。
黒に近い肩の中程まである長い髪、白い肌、
深くて大きな焦げ茶色の瞳。
大きな身体なのでゲルマンかと思ったら、スラブ人だそうです。
ロシア式の名前・・・・スキーとなっています。


通訳もいたのですが、「日本語でやってみる」ということで、
1時間ほど一生懸命に話しました。
終わったとき拍手したくなりました。
外国語で話すのは大変なことだと思います。
話している途中何度も大きな声で「ウハー、ハー」というので、
日本語につまっているのかなと思ったのですが、
一部はそうであり、もう一部は
あまりにも自国の歴史の説明をするのにため息が出てきたようです。


それほどスロバキアの歴史は過酷そのものであり、
本当の独立を遂げたのは、1993年でその後も混乱しているようです。
ハンガリーに1000年支配されていたということ、共産時代の苛烈な生活。
聞いているほうも「ウハー」といいたくなるほどの歴史でした。


生きることが命がけの国・・
そこから日本に来る人には日本人の生活が
ふにゃふにゃしたような生半可な生き方に見えるのかもしれません。
かなり日本人に対して厳しい見方をしていましたが。
おかれた環境がそれだけちがっているのでしょう。
日本人は平和に慣れ、それが普通なのですが、
大変な国から来た人たちから見て、
ぼけっとしているような感じがするのでしょう。
まあ、事実そういうところもあるのでしょうが・・・・


「わたしには、母国はない。私は一人だ。」Hさんの叫びです。
母国において未来を見つけられないのでしょうか。
若者は国を出ていくといいます。
彼は酒を飲んで荒れたことがあったが、今はやめた。
仏教に触れたということです。
精神的な救いを求めているように見えました。


今白人社会では仏教に関心を持つ人が増えています。
仏教=日本と考えている人もいるみたいです。
仏教の心髄に触れれると思っていたのに、
期待が大きかったのでがっかりするということもあるのでしょうね。
でもよく見れば、しばらく日本に住めば、
理屈ではなく日本人の精神の中に
禅や仏教意識が生きていることがわかるのですが。
Hさんが、滞日している間にそれを実感できたらと願っています。


人種に変わりなく、国に変わりなく、若者は真実に深いものを探している。
今日のハンサムゲストのHさん、
人生は辛いことも多いけれど、上昇ある人生にできるのは
自分だと信じて生きて欲しいなと心から願いました。
スロバキアの国にも、安心と平和が訪れますように。

2017年9月13日

 

2017年9月 3日 (日)

バベルの塔展へ

バベルの塔展の案内です

バベルの塔の絵を見に行かない?」と夫に言ったら、
始めは何でかしぶい顔をしていましたが、
しばらくすると「行こうよ」ということで、
大阪の国立国際美術館にでかけました。


あとで夫の説明によると、
「教会ではバベルの塔の話は
人間の傲慢さに対する神のさばきだと教えられたから。
どうしてそんな神のさばきの絵を見に行きたいのかと思った」
ということでした。
教会 (特にプロテスタントは罪と罰が好き)で、
いつも罪とかさばきを聞かされたので罪アレルギーになっているのです。


「教会では確かにそのように教えられたし、
事実聖書に書かれているしね。
でも今の私には別の解釈があるような気がするの。
この絵は失敗を乗り越えて進む、希望ある人類を描いたと思うの。
何度も神に背き、まちがいをする人間だけど、
その度に間違いを学んで、賢くなっていくのだと思う。
だからバベルの塔は希望を与える絵なのよ」と・・・私の見解。


教会関係の方たちも多く来ていたようです。
周りの会話がイエス様とか聖像とか
教会言葉がしばしば聞こえてきましたから。
バベルの塔を罰として受け止めるか
未来への希望をもち続けるたくましい人間の絵として受け止めるかは
それぞれ異なってきますが。


バベルの絵とともに沢山の版画絵もあり、
これは幽界というか霊界をイメージしたような感じを受けました。
目が弱いので版画の絵はよくわからなくて、
本を買って家でゆっくり見ることにしました。
バベルの塔の絵は想像したよりも小さいもので、
その真ん前で見るために30分並びました。


その拡大版が大きく貼られていましたが、
絵の中にはまるでミクロの世界のような
肉眼では見えにくい世界が描かれているのです。
人間の技だとは信じられない、
イメージに富んだ不思議な世界が広がっているのです。
この絵は神の罰ではなく、
未来に向かって進むたくましい人間の姿だと思いました。
まるで絵の中から人の声や工事の音、機械の音が聞こえてくるようです。
上の方は建物が壊れていますが、
下の方では同じ作業が一心不乱に続いています。
上が壊れていることにも気づいていません。


2800円の重い本を買って帰ったら、
思わぬプレゼントがついていました。
それは75㎝×60センチの迫力あるバベルの塔のの写真でした。
すごい!
早速、居間の壁に貼り、毎日見ています。
励まされますよ。
失敗を恐れるな・・と言われているみたいです。
このエネルギーをご覧・・・と。
数えられない人たちがきっちりと描かれ、
それぞれの役割を果たしています。
空の鳥も海に浮かぶ船も雲までが、人間を応援しているようです。
(実は神々も、応援をしているのかもしれません)


********
聖書 創世記第11章1節~9節


「全地は同じ発音同じ言葉を用いていた。東の方から移り住んでいるうちに、
シンアルの地に平野を見つけ、そこに住みついた。
彼らは互いに言った、「さあ、煉瓦を造ってよく焼こう」。
彼らは石の代わりにアスファルトを用いた。
次に彼らは言った、「町を造り、頂が天に達する塔を建てよう。
われわれの名を高め、われわれが全地に散らばらないようにしよう」。
主は人の子らが建てた町と塔を見るために降ってこられた。


そして主は仰せになった。「見よ、彼らはみな同じ言葉をもつ一つの民である。
これは彼らの業の初めにすぎない。
これからも彼らが行おうと思うことで、成し遂げられないものはないであろう。
さあ、われわれは降りていって、あそこで彼らの言葉を乱し、
互いの言葉が分からなくなるようにしよう」。
主はその人たちをそこから全地の面に散らされた。
彼らは町を建てるのをやめた。それでその名はバベルと呼ばれた。
主がそこで全地の言葉を乱されたからである。
主はその人たちをそこから全地の面に散らされた。
(フランシスコ会聖書)


神は人間が強くならないために、言語を乱され、
世界中に散らされたのですが、人間は神の希望通りになりませんでした。
今ではバベルの塔よりもはるかに高い建物を
言語の違いを超えて、造り上げてしまいました。
あっちもこっちも、雲をつくような高い建物を。
それどころか宇宙までも飛び出しました。


神は人間を懲らしめるために次の計画をされるでしょうか。
それとも大きく逸脱しないかぎりは大目にみられるのでしょうか。
それとも、真実は被造物である人間の成長を喜び見守っておられるのでしょうか。
バベルの塔は、今日もいろいろなイメージを与えてくれます。


2017年9月3日

2017年8月26日 (土)

することがないの!

朝8時過ぎ、ときどき会って話をするMさん(71歳)がやってきました。
朝が早いので何ごとかと思って戸を開けると、
「賞味期限が今日だけど・・」といって
いただきものをもってきてくれました。
でもそれはついでのことで、
本当は「話す人がいないの。毎日何をしていいのかわからないの」でした。
玄関の戸半開きのまま、20分ほど話ましたが、
彼女の心の奥底にある暗闇のような寂しさを私にはどうすることもできません。


一見何も不自由してない生活、
ご主人は怒ったこともなく、優しい人。
70歳の今も仕事に出ておられる。
彼女は結婚以来、専業主婦、
子供も立派に育て、良い子ばかりで何も問題なし。
ただ夫婦間には殆ど会話無しだそうです。
何がどこに不満があるのか・・
ただ彼女は社交性があまりなく、そして唖然とするのは、
子供の頃から大好きなこと、
夢中になったことは一度もないという珍しい人。


だから今も興味を持つものはなく、
家がいつもきれいでないと落ち着かないので、家はいつもピカピカ。
本一冊なし。新聞も読まず、テレビも見ず、本も読まず。
関心は家の掃除と娘と孫のことのみ。話はそれだけ・・
私にはあまり興味がないので、話題に困り・・


実はこのようなタイプの人は多いのです。
8年前に亡くなった私の従妹で元ピアノ教師。
ご主人のいない間に、
「今何しているの? 私は何もすることない!」と
悲鳴にも似た電話をたびたびかけてきました。
「何かすることないの?」と聞いても、何もないと言います。


原因は何かよくわかりませんが、
薬漬け、精神不安定、話もはずまず。
それでも従妹なので、共通の話題は探せばあるので、
1時間くらい話していましたが。
生活は豊か。子供は立派な所に就職。
真面目なご主人。謹厳実直を絵に描いたような人。
彼女自身も親から受け継いだお金も十分すぎるほどある。
どうしてこんな叫びが出てくるのか。
ただ夫婦の会話は無し。
顔もあわさない家庭内別居でしたが。


彼女はテレビが友達だった。
そしてある日、寝たままの姿で
死んでいたのをご主人が見つけたということです。


老いた女性が今日もにぎやかに歩きまわっています。
でも家の中でじっとしている人もいます。
一見ちがうようで、実は心の奥底に何ともいえない闇の部分を
かかえている人が多いのではないかと思ってしまいます。
まぎらわそうとして、人と接触してみても、
一人になればその闇の部分がまた浮かんでくる。
辛く、寂しく、悲しく、解決できなくて、さらに沈殿していく。


60歳では何とかなるにしても
70歳で「どうしたらいいの?」と言われても、
それまでの人生の総決算のとき、
そのまま人生の終着へと行くしかないのではと思います。
男性のことはよくわかりませんが、根本には夫婦問題があるように思います。


仲の良かった夫婦は一人になっても、
亡き人の思い出というか霊というかいつもいっしょのようです。
毎日仏壇の主人に話したり、
何十年たっても花をささげたりしています。
未亡人になっても落ち着いたいい表情です。
会話がない夫婦はどんなことかよくわかりません。
毎日2時間以上も私は夫と話していますから。
生きる方向が同じだからかもしれません。


70歳、80歳になった方々、
新しいことは若いときから変化を恐れない性格ならいざしらず、
無理かもしれませんね。
せめて自分の伴侶に対して理解と暖かい心を持って生きていきましょうよ。


2017年8月26日

2017年8月17日 (木)

シーボルトの日本博物館へ

シーボルトの日本博物館の蘇り

今日も真夏日、
しかしまだまだ気力、体力?があるのか、外に気持ちが向かい始めます。
シーボルト日本博物館のお知らせが目に留まり、
かの有名なシーボルトが日本から持って帰った6000点のうち、
その一部が150年ぶりに日本で蘇るとのこと・・・
行かなければという思いがまたまた生まれ、夫をさそって出かけました。


場所は万博の中の国立民族博物館です。
我が家からみれば、生活空間の一部のような場所です。
しかしこの炎天下、会場まで徒歩15分かかります。
万博で会場までシャトルバスが出ているので、今日は初めて利用しました。
クーラーの効いたバスは快適、すぐ着きました。
バスのおかげで体力温存ができ、
かなり広い会場の全展示品を一時間半かけてゆっくりと見学できました。


これらはすべて、日本の物であり、
それも開国前の大変貴重なものです。
日本人の高い技術、その芸術性、
当時の人たちの高い知性に改めて驚嘆しました。
これだけの力を西洋がやってくる前に蓄えていたのですね。
その蓄えがあったからこそ、
短期間で西洋に追いつくことができたのだと思います。


幼児の玩具にいたるまで、細かな装飾が施されていました。
親の気持ちが伝わってきます。
仏像の美しさ、戦いに使われたというほら貝、数々の陶磁器、
そして何よりも世界一とされる、漆塗の工芸品は最高です。
西洋のきらきらと輝く色彩の工芸とは違いますが
その底光りする美しさ。


開国前の日本はどれだけ知力をしぼったかを想像されます。
長い歳月、大陸側からの影響はありましたが、
自国中心の世界観で生活して来たのです。
それが西洋という価値観も異なる大きな波が
日本を覆うことになったのですから・・
当時の方々は大変だったと思います。


有名なシーボルト事件も起こり、
シーボルトの日本の妻子もそれからシーボルトの弟子たちも、
関連する人たち50数名に悲劇が襲いかかりました。
自国を守ろうとする日本側、
未知の西洋の新しい文化を吸収したい日本の人たち、
その時代に生きた人々の悲喜こもごもの物語が生まれました。
シーボルトは自分に協力してくれた日本人に罪が及ぶことを恐れ、
日本への帰化を願ったのですがかないませんでした。


国外追放で故郷へ帰りましたが、
彼は本当に日本を愛していたのです。
学者シーボルトは日本に関する膨大な資料を持ち帰りました。

シーボルトが調査研究した分野は
宗教、政治、習慣、法律、地理、農業、音楽、歴史、風俗、
民族、薬草、言語、美術、医学、植物、動物、鉱物等。


また収集し持ち帰ったもの
硬貨、楽器、漆器、地図、書物、彫刻、玩具、絵画、
武器、武具、植物、工具、衣料品、調度品、陶磁器、日用品などです。
この持ち帰りの品々の一部が今回公開されました。


ヨーロッパで初めて日本の正しい姿を知らせたのはシーボルトでした。
彼は死ぬまでヨーロッパで日本博物館を開設するために働き、
それが原因で体力を消耗し亡くなるのです。
70歳になったシーボルトはまだ日本への思いが断ち切れず、
死の直前まで「わたしは平和の国へ行く」とつぶやいていたそうです。
ヨーロッパの人たちが日本への正しい認識を持てたのは、
シーボルトの貢献でした。
シーボルトの亡くなった日は私の誕生日。
何か特別に感じさせられる思いでした。


会館を出て、「どうする? バス? 歩く?」と夫と相談。
何か元気が出てきて、帰りはまだ暑い昼下がりでしたが、
・・駅まで歩きました。



2017年8月17日

2017年8月 8日 (火)

恐竜展2017

恐竜展の会場です

いい年の老人が恐竜展へと思いましたが、
実際に生きていた恐竜たちの骨が展示され、
こんな機会はあまりないとのことなので、暑い最中、夫と行きました。
この度は見学にとても乗り気になったのは、夫の方です。


夏休みになって初めての日曜日、
どんなに沢山の人たちかと覚悟していきましたが、
近くの海遊館に行く家族も多く、思っていたよりはゆっくりと見学できました。
開催は大阪南南のATCホールです。
すぐそこに海が見え、九州に行くさんふらわあがいつも待機しています。
いつかもう一度あれに乗って九州に行ってみたいなと思ったり・・
会場は恐竜さんがいっぱいです。


前日スピルバーグのジェラシックパークの録画を見ていたので、
恐竜の種類や性格などがよくわかりました。
ウオー、ウオーという恐竜たちの叫び声、全地を走り回る巨大な姿。
今目の前で見るその大きさは言語に絶するほどです。
とにかくすごい。
実際の骨を生前のままに再現してあるのでから、
そのおおきさはとてつもなく大きいです。
人間は一足でぐにゃりです。
でも恐竜の視力はどうだったのかしら。
人間なんて小さくて、小石ぐらいにしか感じないでしょうね。


かつてあれだけの巨大動物が地上を闊歩していたのです。
恐竜だけでなく、クマの先祖も狼の先祖も、そして植物も巨大で。
2億年以上もの長い間、この地上を生きていたのですね。
でも恐竜の体は怖いけれど、恐竜って何となく可愛い感じもします。
子供たちが大好きな気持ちもわかります。
会場の子供たちは夢中でした。
図鑑片手に質問する息子さんにお父さん大変のようでした。


私は恐竜たちと聖書の冒頭の箇所、
「はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、
神の霊が水のおもてをおおっていた。」創世記1-2


この言葉と恐竜の生きた時代を
どういうふうに考えたらいいのかわからなくなりました。
地は形なくとありますので、まだ恐竜は存在しません。
聖書を読めば人間が出てくるのは2ページ目なので、
すぐに人間が誕生したように思うのですが、
そこにいたるまでには光とやみ、
すなわち夜、夕、朝、水、大空、陸、海、草、果樹、星、魚、鳥、獣が生まれ、
その後ようやく人(男女)が創造されたのです。
恐竜はこの聖書の箇所のどの辺に存在したのでしょうか?
こんなことを考えるのは変でしょうか。


昨日(5日)は、ジェラシックワールドを録画で見ました。
前回のジェラシックパークもそうでしたが、
遺伝子操作をして恐竜を作り、
金もうけに利用する悪辣な人間の物語で、
映画監督がメッセージとして、生命を弄んではならない。
それはいつか反撃されると警告しているようでした。
ジェラシックワールドは恐竜の反撃ですね。
恐竜展や恐竜の映画録画を見て、遠い時代の地球の有様を思い描いて、
何か厳粛な気持ちになりました。
恐竜も創造主の作られたものですからね。



2017年8月8日

2017年8月 1日 (火)

日野原重明先生の講演へ

日野原先生の病院葬です

7月30日の読売新聞の記事に
「日野原さんの病院葬に4000人」とありました。
青山の葬儀所で営まれたそうですが、
式の前には皇后様も弔問されたそうです。


私は日野原重明先生の講演を聞きたさに夫と関西でしたが、
かなり遠くまで行きました。
もう6年ほど前ですので、先生は98歳くらいだったのではないでしょうか。
幸運にも、長い間並んでやっとかなり前の方に席がとれ、
ほっとして座っていると、
真ん中の通路を隔てて(通路は狭い)隣の席に
日野原先生が座られたのです。
普通の人のように、そっと腰掛けられたのです。
私はびっくり・・・・


司会者の方が「日野原先生は・・・」と呼ばれるので、
先生は立って檀上に上がっていかれました。
先生の人柄です。
観客と同じ席にそっと座っておられる。
本当に間近で先生に会いました。
感激でした。
そのときも約1時間以上の講演を立ったままなさいました。
終始にこにこして・・・
誰でも包み込むあの優しい笑顔で・・
そして鳳蘭さんとダンスの披露もしてくださいました。
鳳蘭さんの歌とダンスは美しくてうっとりしました。
鳳蘭さんは相変わらず、美しい方でした、
それがたった一度お目にかかった先生の生身の姿です。


あとはテレビや書物で先生のことを知っていましたが、
亡くなられて改めて、
105年の見事な生涯に尊敬とともに圧倒された気持ちです。
人間としての真摯な生き方。その品の良さ。
そして何よりもキリスト教徒であるけれど
もそれを強調されることはなかったし、誰とでも隔てなく、
心からの友として交流されました。
本物のクリスチャンだったのだと思います。
神を愛し、人を愛し、自分に与えられた義務を愛を持って全うされた、
それを実際に身をもって全うされた模範となるべき偉大な方でした。


足元にも及ばない小さな私ですが、何もできないような私ですが、
気持ちだけは先生の精神を見習いたいと思います。


先生は愛する奥様の待っておられる天国へ行かれました。
神さまの懐の中で、奥様といっしょ・・そこが一番の憩われるところでしょう。



2017年8月1日

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