2017年4月22日 (土)

葉桜と馬

Img_1399

*川面の桜です

桜の花の盛りは過ぎて花は散り始め、
樹木は新緑の葉が美しく輝きだしました。
花が散りだした桜の風景もとても風情があって美しいです。
その下に池や川があると、なお風雅な景色に見とれます。
日本の美しさです。
散っても美しい、枯れても美しい。
すべて自然は美しいのです。


千中の駅から二駅で降りると、広大な緑地公園があります。
全部を徒歩で回るにはよほどの健脚でないかぎり大変です。
この公園には私の子供たちが幼いときからよく来ました。
私たちは老夫婦になって久しいですが
今も時々樹木や花々を楽しみに来ます。
思い出が次々浮かんでくる憩いの場所です。
今日も見慣れた池や散る行く桜、チューリップや矢車草など
いろいろな花たちが目を楽しませてくれました。


桜は満開を過ぎて、川には桜に花が雪のように降り積もっています。
黒っぽい川の流れの上に桜の花が幾筋もふり注ぎ
川の脇のコンクリートの壁とよく調和して、
何かモダンなきもの地をみているような感覚になりました。


そのなじみある公園の中に、ずっと昔から乗馬センターがあるのですが、
いつもそこまではいっても乗馬センターの中には入ったことはありませんでした。
馬が動いてたり、走ったり、人が乗っているのは見ていましたが、
縁もないところであるし、今までのぞいたことはありませんでした。


ところがこの年齢になってふと入ってみたくなり、
見学もできるということで、センターの中に入り、
2階の見学席で馬たちと指導員と乗っている人たちを
初めてに見ることができました。
センター内にも立派な桜の木があり、
馬をみていると何か別世界にいるような不思議な気持ちになります。
馬って背が高く大きいですね。
小柄な女性の身長より高い位です。


調教を受けているのかぐるぐる回りをしている馬、
女性を乗せて静かに歩っている馬、
色は黒(強そう)、白馬、栗毛とみな威風堂々としていて、
かっこいいです。
馬たちが広い草原を全力疾走しているところなんかどんなんでしょうね。


遠い昔、私がまだ小学生の頃、
養父が草競馬に連れていってくれました。
養父は軍人でしたし、
それも騎兵隊にいたのか、馬に詳しかったのでしょう。
草競馬の馬たちは
センターにいる美しいスタイルの馬たちではありませんでした。
今日の馬たちのように細い折れそうな足、
つやつや光っている毛並み、
優雅な顔(馬にもそれがいえるとすれば)ではなく、
草競馬の馬たちはずんぐりとしていて、
荷馬車を引くのがお似合いという印象でしたが、
その頃の日本にはこのような労働に適する馬だけがいたのでしょう。
でも走っていましたよ。


草競馬はその頃の男の人たちの楽しみだったのでしょう。
でも女の子なんて、見にいってませんでしたよ。
養父はいろいろケチをつけていましたが、でも喜んでいました。


養父の輝いてた時期の写真で、
馬に乗って旭日旗を掲げもっているのがあります。
日本離れした体躯、鋭い眼光、兵士の鑑みたいな人でした。
けれども戦場での戦いの最中か、
行進をしているときかわかりませんが、
馬上の養父の太ももを弾が貫きました。
養父は倒れ、それから傷痍軍人として生きることを余儀なくされました。
すごいのは片足が不自由になっても
並みの男性より知力、体力、気力ははるかに勝っていました。
養父のことを思い出すと
あの人は絶対に戦国時代に生まれてくるべきだったと思います。
きっと名を挙げたことでしょう
いつか養父のことは書いてみたいです。
それほど逸話が沢山あるからです。


センターの平和な馬たちを見ながら、
戦火の中を潜り抜けた馬たちを想像し、養父のことを思い出したのでした。

桜は優しく散っています。


2017年4月22日

2017年4月13日 (木)

本の大処分

ブックオフの人が来てくれ、260冊の本を持っていってくれました。
夫と私の本です。

このように大量に本を処分したことは何度かありましたが
今度はこれが最後かなと思っています。
長い間、これだけはと大切にしていた本。
私の精神的な歩みの原点にもなる本も手放す気持ちになったからです。
他の人にとってはいざ知らず、
私にとって、夫にとっては貴重な本も沢山ありました。

高いものは1万円~3万円以上するものもかなりあります。
私たち夫婦の本好きは標準を超えていて、結婚してからでも
小さなマンションが買えるほどだったかもしれません。

私が本を読むのは趣味ではありません。
探求でした。
人生の探求であり、真実への探求でした。
それは今もなお、続いていて、おそらくは死ぬまで続くことですが、
昔よりはかなり明確になってきたようです。
15歳の頃より、
「わたしは何なのか?
 わたしはどこから来たのか?
 わたしはどこにいくのか?」とこの問に答えを見出そうと
この世の知識人、賢人、哲人、思想家の書物漁るように読みました。
この問題に答えを見出すのが私の一生の仕事となっていました。
もちろん、人間としての日々の生活を積み重ねるのですが、
第一の目的はこの大問題を解くことでした。


そして私は宗教の道にも入ったのですが、
そこでも明確には確証は得られませんでした。
けれど、私もある程度大人になり、思考力もついてきたのか、
過去の多くの賢者たちの書物の中から真実の宝を見出したのか、
ある確信を持てるようになりました。


それは私はあらゆる生命の根源である存在とつながっていること。
そして私は死後、その根源の中に帰っていくこと。
そして私は輪廻転生はあるのだと確信したことです。
私は何度も生まれ変わるし、
今の私も何度目かの生まれ変わりであること。
けれども、人間は決して動物や虫には生まれず、
人間としてこの世で修行するためにまた生まれてくること。


そして、宗教の説く、天国と地獄はないと確信したことです。
地獄も天国も自分が作り出す状態であること。
罪も罰もないと思います。
したがって、贖罪はないと思います。
けれども好き勝手に生きることは
自分の運命を善に向けるか悪に向けるかを決定していくので、
これはまた次の生まれ変わりにつながっていくと思われます。


人間は生まれ変わるたびに、何らかの学びをして、成長し、
自らの非を改めていくのだと思います。
そして精神の高みに上っていくのだと・・・


本の大処分はこれと関係しています。
私の中に、私なりの解決が与えられ、
何かあれば自分の内部に聞くと答えが出てくるようになって、
・・・いわゆるコンピュータの中にある程度データが蓄積されていて、
そこから必要なものを取り出すという感じです。
70年以上の学びと体験が私の内部に蓄積され、
それこそが私にとっての財産なのです。
これが私にとって本当の貯金なのです。
ですから、気持ちよく、私は私の本と別れを告げました。

2017年4月13日

2017年4月 4日 (火)

三つ子ちゃん

毎週食材や日用雑貨類を某会社に頼んでいます。
もちろん買い物にも行きますが、半々です。
毎週配達してくれる若い人のことを入社したてと思っていたら、
「ぼく、もう35歳ですよ」といわれてびっくり。
大様な、あせらない、何かゆったりした男性だけれど、
どう見ても20代にしか見えません。

「ぼく、もうすぐ子供をもつんです。それも一度に3人も・・」、
「ええ!三つ子ということ!」
「自然で・・?」
「そうです。奥さんは今入院中で、
だから、ぼく今一人暮らしです。犬のちわわといっしょに。」

奥さんは大事をとって通常より、かなり早めに入院しているらしいです。
「奥さん、元気?大変ね」と私はいうのだけれど、
それほど心配してないらしい。
とにかく元気な奥さんで、お腹の子供たちもすくすく育っているらしいです。
彼は琵琶湖のすぐそばで育ったということで、
大らかなのも、毎日広い湖面を見ながらそだったせいでしょう。

それから、私が毎週のように「どう?」と聞くと、
その報告をいつも楽しそうにしてくれました。
子供の誕生を心から待っている、彼の心情。
優しいなと思うのと、さぞ夫婦仲がいいのだろうと想像しました。
「生まれたら教えますよ」と彼・・・さすが日にちが迫ってくると、
彼も緊張してきました。
「交通事故などに気をつけてね」と私は言ったが・・

今年になり、「生まれました」と配達早々に教えてくれました。
「無事です元気です。」

すごい奥さん・・何事もなく安産だったらしい。
そして毎週「どうしているの?」と聞くたびに、
仕事から帰ったら、すぐに3人を抱くのだそうです。
もうかわいくてたまらないらしいです。
3人が泣いたら、夜も寝られないと思うのに。
平気なようです。

奥さんも元気で奥さんのお母さんといっしょに
育児に専念しているということです。
それにしてもすごいです。
私なんか、2人の世話で疲れて、蕁麻疹だらけになったり
神経を使い過ぎて、胃を悪くしたり
時々はうつ状態になったりしたものです。
どうしてこんなに違うのでしょうか。

ある日、配達の荷物をもってきて、すぐ写真を見せてくれました。
三つ子ちゃんたちです。
標準よりも大きいのだといいます。
もう、嬉しくて、誰にでも見せたくてたまらないのでしょう。
3人の子供さんが大きくなったら、
お父さんがどんなに子供さんのことを思っていたか
教えてあげたいなと思いました。
三つ子ちゃんたち、こんなお父さんをもって幸せね。

3人のまるまる太った顔が3人並んでいました。
女の子2人と男の子1人です。
彼はなかなかのハンサムで、フィギュアの羽生結弦に似ています。
大きくなったら、子供さんたちもイケメンさんと、別嬪さんになるでしょう。

私も本当に幸せな気持ちになりました。
幸せな5人家族に乾杯!

2017年4月4日

2017年3月26日 (日)

大変です ベネズエラ

いろいろな国の人たちに会うことはとても刺激になり、

知識が増し、何よりも独断的偏見が消えていきます。
私が・・自分の国だけが・・自分の民族だけが・・・・
というだけがという考えがもっと広い視野にたって考えれるようになります。
地球上は決して平和ではないけれど、
いろいろな価値観、人種、民族が懸命に生きているのだとわかってきます。
だから、チャンスがあり次第、そういう集まりに出ようと思っています。


今日は別の多文化サロンにでかけました。
こちらはいつものようにゲストの国の食事付です。
珍しい食事を食べることができて、居ながらにして、
外国に行ったような気分です。


ゲストの話が終わって食事中、前の席の人に話しかけたら、
その人は最近来始めたとのこと。
外国に行ったことはないけれど、ここに来ると
普段は会えない国の人に会えて
外国旅行をしたような気になると言っていました。
時にはゲストの方が民族衣装を着てきたり、
お国の歌を歌ったり、楽器演奏をしてくれるので、楽しいとのことでした。


今日のゲストはベネズエラのEさん(若い男性、阪大の留学生)です。
ベネズエラというと、石油大国、チャベス大統領、
とイメージがわきますが、
現実のベネズエラは大変なことになっているようです。
ゲストの方はみな自分の国を愛しているし
自慢にしたいとこともいろいろあるのが普通ですが、
今日のEさんは努力してもだめだったみたいです。
1時間以上の時間を自国民の困苦に満ちた現状を切々と説明していました。
これはよほどのことでしょう。


超インフレ、闇の取引、食料難、
そして何よりも明日の命が保障されないような酷な現実。
「自分を守るのはどうするのですか?」という質問に
「幸運・・」ということを第一にあげました。
運がよければ生きられるということですか?
・・数十分に一人の命が失わているといわれます。
警察は市民を守るどころか、安全を脅かす存在でもあるとか。


映像を見せてくれましたが、延々と続く長い行列
何時間も並んで、食料を手に入れるのだということ。
それも日々インフレで、値段は昨日の値段が今日の値段ではなく、
それも物資が不足して、店の棚はガラガラ・・
人々の心はお互いを思いやるどころか自分を守るために、
他者と争うこともある。


同じ人間として地球に生まれて、
ある人は悲惨な国へ、ある人は平和な国へと・・
どうしてこのような不平等が誕生したときからあるのかと思いますが、
そればかりは私の頭脳では解き明かせません。
なぞです。
ゲストのEさん、母国のことを思い、日本での研究が終わったら
国に帰り何とか貢献するのだと言っていました。


私にとって理解できないことがあります。
それはカトリックというかキリスト教と社会主義の関係です。
この二つは相容れない思想だと思っていたのですが、
何か共通することがあるのでしょうか。


ベネズエラはカトリック国で、
ゲストのEさんは家族全員カトリックだといっていました。
Eさん、ときどき聖書やキリスト教の話も混ぜながら話していました。
そういう風土なのに
独裁的社会主義国になるということが理解できません。

 

少し勉強してみます。


2017年3月26日

2017年3月19日 (日)

スーダンの美人さん

今日のコラボのゲストはスーダンの人でした。
ゲストの名はニーマさんといい、
もともとスーダン人は整ったきれいな人が多いですが、
今日のニーマさん、
薄墨色の肌にとてもよく似合う民族衣装を着てきました。


均整のとれた体、瓜実顔の優しい表情、
1センチほどある長いまつ毛、
笑うと真っ白い歯が真珠のように輝いていました。
頭から全身を美しい絹の布で覆っていました。
総模様の絹です。
日本のきものも外国人からみたら、あのように見えるのでしょうか。
優雅で、優しく、女性らしさいっぱいです。
そして阪大で博士号をとるために勉強をしている方です。
私は理性と優雅さ、これが備わっている女性を最高だなと憧れています。
(私にはとうていないから)


シーマさんはスーダンの事情を詳しく、説明してくれました。
私には北スーダンと南スーダンの区別もよくわかりません。
日本で伝えられるニュースは南スーダンのことが多く
これがスーダン人すべてのことだと思ってしまいます。
今日のゲストの方は
よくわからないこの辺のことを詳しく説明してくれました。
自衛隊が派遣されているのが南スーダンで、
北スーダンとはとはまったくちがう国だそうです。


もともとスーダンはアフリカでも3番目の面積でしたが、
そして一つでしたが、
トルコ、エジプト、英国の植民地になるうちに、
二つの国に分離してしまったそうです。
長い内戦の悲惨な経験を経て、今日があるそうです。
とくに英国の支配のもとで、北はイスラム
南はキリスト教徒の多い国となったそうです。
南北の行き来は英国に禁止されてから、途絶えたようです。
北スーダンはイスラム教徒が97%で、
資源は南ほどではないようですが、平和なようです。


南は一つのスーダンという全体から独立した
新しい国のようです。
今大変な状況になっているのは、南で北は関係ないようです。
スーダン人の結婚式には800人から1200人位集まるということ。
身内、知り合い、知り合いの知り合いと多くの人々が集まり、
5日間も続く結婚式だそうです。
スーダンの家は広くて、20人は泊まれるとのこと。
それにしてもその光景はちょっと想像できません。


人種は他民族国家で600の民族がおり、
公用語はアラビア語だそうです。
ニーマさんはアラブ人だそうです
私はアラブ人という方に会ったのは今日のニーマさんがはじめてです。
「結婚式にそんなに大勢呼ばなくてはならないとすれば、
結婚できない人が出てこないですか?」の質問に、
「そういう問題もあります。でもスーダンでは
以前は11人もの子供を産んでいましたが、
今は2、3人です」と言っていましたが、
多分ニーマさんは裕福な階級の出であろうと思いました。
どこの国にも貧富の差はあります。


珍しいものを見せてくれました。
イスラム圏の男性の着る真っ白い衣服です。
サウジアラビアの王様も着ています。
純白に見えるあの服と
頭に被る帽子インマとかいうのを見せてくれました。
遠くから見ると白だけでわかりませんが、
帽子にもびっしりと細かな模様が刺繍され、
それは見事な芸術作品でした。
素材は多分、シルクかコットンでしょう。

ニーナさんは、イスラムの男性が頭に被る布の巻き方、
そして女性が一枚の広い布を巧みに使い、
全身を覆う方法を教えてくえました。
一枚の布がみるみる立派な衣になっていくのです。
これは、古代からの知恵でしょうね。
ミシンは不要ですし、体形も関係ない、何とも便利です
豪華にもできるし、簡素にもできます。
日本にも流行しないでしょうか。


ニーナさん、最後に集まった一人一人の側に優しく寄り、
名前を聞き、アラビア語で書いてくれました。
夫のも、私のきれいなアラビア語で、そして握手して・・・・・

「サローム、サローム」というのが、挨拶でした。
「平和」という意味です。

本当に「サローム」です。


2017年3月19日

2017年3月11日 (土)

中西輝政氏集中ゼミ

中西輝政先生のプロフィールです

3回にわたる中西先生のゼミを夫と共に受講することにしました。
人数は30人と制限つきで、
夫と一緒だから気軽に申し込みましたが、行ってびっくり。
3回が終わったらレポートの提出だそうです。
困ったな・・・・夫が書くのを少し変えてだそうかしら・・


これは本当の勉強形式です。
ただ先生とは非常に親しく、膝突合せてという感じです。
偉い先生なのに、とても気さくなお人柄で、安心しました。
30名中、女性は5名だけでした。
もともと私は政治や国際問題、女性がちょっと遠慮するような
小難しい出来事に興味があるのですが、
今起こっている国際問題の行方
これからの日本はどうなるかといったことを
時事学問のように勉強するのには、初めてのこともあり、
1回目は緊張しました。


あらためて日本のおかれている位置の難しさを思いました。
これから10年間、日本は日本として生き残れるのかなと
少しではなく、かなり心配になりました。
ロシア、中国、米国、位置的に日本は
三方からの圧迫を受けるよう運命づけられています。
何かが動き出すとそれが顕著になり、
自動車の運転を誤ったら大変なことになるように、
判断と決断を誤ったら、どんでもないことになりそうです。


先生のお話を聴きながら、国をリードして下さっている首相をはじめ、
政治に携わる方々が正しい方向に
国をもっていってくださるようにと願うばかりです。
何といっても、国のリーダーの資質が大きな影響を与えます。


中西先生は世界が変わったことを
一番わかってないのは政治家だと言われましたが、
それでは困ります。
米国のトランプ、ロシアのプーチン、中国の習近平、
北朝鮮の金正恩、いずれも手強そうな政治家で、
日本の国の周辺は波高しという感じです。


1時間半の講義の後、質問になりましたが、
半分以上の方は帰られ、女性は私一人になりました。
年取った女性が残って聞いているのを見て先生は、
ときどき珍しそうな目で私を見ていました。
ほんと、珍しいと思いますよ。
でも2時間ほど一生懸命に聞いたので疲れました。
講義の内容は1回目は日本にとってあまり楽しいものではなかったので、
よけい疲れたのかもしれません。
3回目くらいからは希望が出てくるのではないでしょうか。


2017年3月11日

 

2017年3月 3日 (金)

最終?のホームの見学

新聞のチラシの中にソンポの老人ホームが
何とうちから歩いて15分ほどの所にできていて
入居者の募集と見学会をやっていました。


先月、近いので散歩がてらにと思って、
見学を申し込み夫と行きました。
すぐにわかる筈なのに、なかなかわかりません。
ようやく一人の婦人に聞いてみたら、
立っている場所の真ん前がそのホームでした。
どうしてこんなにわかりにくく、
おまけに大きな字で建物の名称が書いてないのかと思いましたら、
これには理由がありました。


そのことはホームを案内してくださった方が説明してくださいました。
近所の人にも知れないほどにひっそりと
他のマンションの一つのように存在していることが大切なのだそうです。
そういう時代なのですかね。


外側から見るよりも内部はとても清潔で無駄な装飾はなく、
ワンルームの室内は25㎡もあって広々とした感じでした。
浴室、キッチン、下駄箱、トイレ、洗濯機置き場、冷蔵庫置き場、
普通のマンションの一人暮らしができる設備がすべて揃っていました。
クーラーももちろん。
これは新しい形のホームで国も推奨しているそうです。
自由でプライバシーが尊重され、鍵も自分でもっている。
必要なときだけ、食事や介護、病院にお世話になる。
外出も自由だそうです。(洗濯機、冷蔵庫は自分持ち)


そして認知症の人ももちろんOK。
24時間見守り体制でいつでも飛んでこれる。
最後の看取りもしてくれる。
従来の施設の団体行動や、生活すべてが規制されたものではなく、
自宅にいるのと同じ状態で、必要なときに援助を受けるということでした。


説明を聞きながら、老々介護の悲惨さを避けるためにも、
どちらかが本当に弱ったとき、
このようなホームにお世話になるのがベターではないかと思いました。
ベッドだけが世界という病院での末期よりも
このような部屋で最後を迎えたいと思います。
今の自宅での最後は24時間体制でもないし、
老いたどちらかが介護することになり、
それは不可能なことだと思うようになりました。
夫婦でもできるだけ相手に犠牲を強いないこと。
それが長年連れ添った相手への思いやりだと思います。
自宅圏内にあるということは
残された一人が家にいてもいつでも会うことができます。
ましてやいつでもOKの独立した部屋なので遠慮もありません。
ただ車いすに対しての配慮は十分ですが、
大きな物入れがないのにはちょっと困るのではないかと思いましたが、
それは欲張りでしょうか。


将来はどうなるかはわかりません。
必要がない場合もあるでしょうが、でもいざとなったら
このホームのような所もあるのだと知っているだけでも心強いです。
「入所者の年齢は何歳ぐらいが多いですか?」の質問に、
「80歳前後です。100歳の人もおられますが」ということでした。


それで肝心の費用は?
入居のための敷金、礼金はゼロですが、
月々の家賃と24時間体制の見守り代と合わせると14万円ほどで、
それと必要に応じて食事代、光熱費、介護代がかかるそうです。

やはり人に頼らなければならなくなるほど、費用はかかります。
毎月20万から25万というところでしょうか。
やはり大きなお金です。
うーんと考えてしまいますが。
家族に世話をけるか、お金で解決するかですが、
だいたい家族なんていません。
老いた配偶者だけです。
やはり最後は弱った体力と頭を駆使して考えなければなりません。


あと15年、私はどうなっているでしょうか?


2017年3月3日

2017年2月25日 (土)

もう一人の私

今大好きなケルト音楽を聴きながら、書いています。
大好きです。ケルト音楽は日本人の心情と通じるところがあります。


林芙美子という有名な女流作家がいます。
放浪記の作者です。
彼女のかなり分厚い放浪記とエッセイの数々も読みましたが、
いろいろ教えられました。
個性豊かな、そして独立心の強い、
また生活力も備えた彼女でしたが孤独でした。
作家仲間からも、家族的にもそうだったのかもしれません。


表面は普通の顔をしていても、自分の奥深いところにおいて
その本体である私という孤独の部分をじっとみつめていたのでしょう。
人間は真剣に自分というものを見つめ、自分の内部を探求していくと、
そこに深い孤独のようなものを知ることになるのです。
でもそれを見つめるのが怖いと
表面だけの活発さを追い、逃げようとします。
物に人にすがっても、
あるいは私の場合証明不可能な神話的物語の中に無理に入ろうとしても、
私の内部のそれこそもう一人の私が拒絶してしまいます。


林芙美子は彼女はこんなことを言っていました。
「私は一人ではない。私の内部にもう一人の私がいる。私は私に話しかける」と。


私には彼女の言葉がよくわかります。
なぜなら、私の今までの人生でどうしょうもなくなったとき、
私は黙って自分に問いかけました。
自分自身へ、自分の名前を呼びながら・・
あれほど好きな書物にも頼らず、一切読まず、
人に聞くことなどもちろんなく、そして神にも助けを求めなかった。
やはり自分の中の自分の本体に答えを求めました。


不思議なことですが、私は神を信じてきましたが、
神に助けを求めたことはないのです。
鏡に映る自分が本当の自分ではない。
それは外皮にすぎないと思います。
死んだら消えてしまう肉体(外皮)が本当の自分ではありません。
それは本体(魂)である自分を覆っているものです。
人によって見栄えのよい服かそうでないかのちがいです。
私という本体はこの広大な宇宙に存在し、
生きとし生けるものの源である名をつけることもできない
大きな存在と結びついているのだと思います。


そこから命をいただいているのです。
それは一宗派の神のようなものではなく、
もっと広大な、そしてそれは外にも内にも充ち溢れた存在です。
ケルトの音楽を聴いていると、
空間に無限にそして自由へと大きく自分が広がっていくのを感じます。
内奥に潜む魂の躍動を感じます。


2017年2月25日

2017年2月18日 (土)

新しい転換へ

私の内部に燃え続けていた灯が静かに消えていきました。
けれどももっと大きな灯が私の内部で燃えてきました。
もっと力強い、理性的な、健康的な核のような力です。
今ははっきりと書くことはできませんが、
現在の私は教会からは離れています。
原因はキリスト教の根幹にかかわることなので、
今はあえて言いません。
背教者ユリアヌスの心境です。
一年間の必死の探求の結果です。


私の心境に近い人が日本人にいないかと思ったとき、
高村光太郎がすぐに浮かんできました。
高村の宇宙観、自然観、至高的存在に対する畏怖と尊崇(宗教ではない)は、
今の私の心の内部を代弁している」ようです。

 

********

少し長いですが「道程」を読んでください。
高村光太郎の代表的な詩で若い頃から大好きでした。

 

「道程」

どこかに通じている大道を僕は歩いているのじゃない。

 

僕の前には道はない。

僕の後ろに道はできる。

道は僕のふみしだいて来た足あとだ。

だから

道の最端にいつでも僕は立っている。

 

何という曲がりくねり

迷い迷った道だろう

自堕落に消え、滅びかけたあの道

絶望に閉じ込められたあの道

 

ふり返ってみると

自分の道は戦慄に値する

支離滅裂な

またむざんなこの光景を見て

誰がこれを

生命の道と信ずるだろう

それだのに

やっぱりこれが生命に導く道だった

 

そして僕はここまで来てしまった

このさんたんたる自分の道を見て

僕は自然の広大な慈しみに涙を流すのだ

 

あのやくざに見えた道の中から

生命の意味をはっきりと見せてくれたのな自然だ

僕を引きまわしては目をはじき

もう此処と思うところで

さめよ、さめよと叫んだのは自然だ

これこそ厳格な父の愛だ

 

子供になりきったありがたさを僕はしみじみと思った

どんな時にも自然の手を離さなかった僕は

とうとう自分をつかまえたのだ

 

丁度そのとき事態は一変した

にわかに眼前にあるものは光を放射し

空も地面も沸くように動き出した

そのまに

自然は微笑をのこして僕の手から

永遠の地平線へ姿をかくした

 

そしてその気魄が宇宙に充ち満ちた

驚いている僕の魂は

いきなり「歩け」という声に貫かれた

 

僕は武者ぶるいをした

僕は子供の使命を全身に感じた

子供の使命!

 

僕の肩は重くなった

そして僕はもう頼る手が無くなった

無意識に頼っていた手が無くなった

ただこの宇宙に充ちている父を信じて

自分の全身をなげうつのだ

 

僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した

かなり長い間

冷たい油の汗を流しながら

一つところに立ちつくしていた

 

僕は心を集めて父の胸に触れた

すると僕の足はひとりでに動き出した

不思議に僕はある自憑の境を得た

僕はどう行こうとも思わない

どの道を取ろうとも思わない

 

僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景がひろがっている

その間に花が咲き水が流れている

石がありみないききとしている

僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく

 

しかし四方は気味の悪いほど静かだ

恐ろしい世界の果てへ行ってしまうかと思うときもある

寂しさはつんぼのように苦しいものだ

僕はそのときまた父に祈る

父はその風景の間にわずかながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる

同属を喜ぶ人間の性に僕は震え立つ

声をあげて祝福を伝える

そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすくほど深い呼吸をするのだ

 

僕の眼が開けるに従って

四方の風景はその部分を明らかに僕に示す

生育のいい草の陰に小さい人間のうじゃうじゃはい回っているのも見える

彼らも僕も

大きな人類というものの一部分だ

 

しかし人類は無駄なものを棄てて腐らしても惜しまない

人間は鮭の卵だ

千万人の中で百人も残れば

人類は永遠に絶えやしない

棄て腐らすのを見越して

自然は人類のため人間を沢山作るのだ

 

腐るものは腐れ

自然に背いたものはみな腐る

僕はいまのところ彼らにかまっていられない

もっとこの風景に養われ育まれて

自分を自分らしく伸ばさねばならぬ

子供は父の慈しみに報いた気を燃やしているのだ

 

ああ

人類の道程は遠い

そしてその大道はない

自然の子供らが全身の力で拓いて行かねばならないのだ

歩け、歩け

どんなものが出てきても乗り越してゆけ

この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ

 

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、父よ

僕を一人立ちさせた父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため



2017年2月18日

2017年2月11日 (土)

倒れたご婦人

今日も風吹く寒い日でした。
最近私も外を歩くとき意識して歩くようになりました。
転んで頭を打ったり、骨を折ったりするからです。
「年取ってから転ぶことはくれぐれも注意しなければ」とあります。
年を取るとこれが認知症の原因にもなるらしいです。
今日(6日)いつものように千中に買い物に行って、
エスカレーターーに乗ろうとしてふと後ろを見ると
数人の人が集まっていて、
その足下にグレーのコートを着た人が横たわっています。


どうしたのかと近づいてみると、
ショッピングカーをもった70代後半らしき婦人が倒れていました。
震える手に血が飛び散っています。
どうも倒れるときコンクリートに頭をぶつけたようです。
私の他に若い子供連れの奥さん、かなり年配の老婦人、
そして50前後のきびきびした女性が側にいました。
・・救急車は誰かが呼んだようです。


50前後の頭の回転の速い女性は看護師さんらしく、
倒れたままの婦人を起こそうとはしませんでした。
頭を少し持ち上げてあげて、
不安と痛みにある倒れた婦人にずっと語りかけていました。
・・「家族の人に連絡とれないの?携帯はないの?」
と看護師さんが聞くとうっすらと目を開けて、
ショッピングカーを震える手で指示していました。
私は何もできないまま、いっしょに救急車を待っていました。


日本の救急車はやはりすごいです。
到着して5分も経たないで、さっさと婦人をベッドに乗せて、
それもベッドを起こした状態で、急いで走って行ってしまいました。
それから、倒れた婦人のショッピングカーもきちんと乗せて・・
周囲にいた数人の人たちは隊員に向かって「お願いします」と言っています。
まるで自分の知り合いのように。
他人のことなのに、自分のことのように。


私は他人のこととして見れませんでした。
どこで思わないときに、倒れるかもしれないのだと、
自分のこととして見てしまいました。
千中で倒れた人を何回も見ているからです。
車いすごと横転してそのまま横倒しになっていた老婦人、
エスカレーターからショッピングカーごと下まで落ちて
血を出して倒れていたやはり老婦人、
転んだのか道路に血を出して蹲っていた年配の男性など
・・・その他知り合いの人も。


「急に倒れちゃったの!三か月の入院よ」とか言っています。
やはり80代前後が多いですね。
そうなるのでしょうか。
明日は我が身、毎日のように救急車が走っています。
他人事とは思えなくなりました。
でも日本人は優しい。
必ず心をこめて世話をしてくれる人がいる。


今日の名も知らない看護師さん。素晴らしかったです。


2017年2月11日記す

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