2018年2月15日 (木)

人間とは違うもの

私の行っている教会は
梅田の中心に近く、非常に便利なところです。
建物は現代建築そのままで、一見これが教会?という感じです。
ある人によると全体はノアの箱舟を模しているということですが、
誰に聞いても、この教会の建物の意味はよくわかりません。
はじめは違和感があり、
ああ、ヨーロッパにあるような美しい、
荘厳な雰囲気のある教会だったらいいなと思いましたが、
今はこのよくわからない建築物が何か好きになりました。


建物は四階建てになっていて、聖堂は三階にあり、
一階は広いロビーになっていて、
いろいろな用事の方
(一般人、学生、他宗派の人、諸集会列席者)が出入りしています。


わたしが入っていく時間帯には外国の方々がいっぱいいて、
話したり、書店で買い物したり、何か食べたりしています。
国は様々ですが、多いのはフリィピン系の人です。
ときにはインド、パキスタン、バングラデシュのような人も見えます。
日曜以外は南米系の人も多く集まるようです。


今日はにぎやかです。
アジア系の40人ほどの人たちが椅子にかけて、
代わる代わるマイクをもって歌の披露です。
英語かタガログ語かわかりませんが、
とにかく楽しそうに手拍子をとりながら、歌っています。
もちろん聖歌ですが。


日本人はそれを横目でみながら、
11時からのミサのため三階にいきます。
外国の方々は9時からなので、
終わって仲間同士の交流会をしています。
今日は食事も少し豪華なので、
何の祝日だったかなと、無知な私は思いましたが。


三階の日本語のミサはとても静かで、
90%が日本人、残りが外国人です。
日本語のミサは仏教系かと思うほど、瞑想的な歌であり、
どちらかというと内省的な雰囲気です。
ところが日本語ミサが終わり、聖堂から下に降りていくと、
別の世界が広がっているという感じです。


顔があったら挨拶します。
言葉はわからなくても、笑顔は同じです。
毎週違う国の人と出会っていると、
本で読むのとはちがう勉強になります。
日本人はどちらかというと頭で考える。
ドイツとかスイスの気質に似ているような。
でも頭で考えるというより、
体で受け止めるという気質もあるのだとわかりました。
考えるより先に手足が動く。
歌が出てくる。
ハグし合う。


ロビーの隅っこで、
大鍋が3つほどシュー、シューとふいていました。
皆で鍋を囲んで、また歌を歌い、踊るのでしょう。
楽しそうでした。
日本人でも異文化にすっと入っていける人もいます。
外国人でも日本人と同じような人もいます。
植物や動物にも様々な種類や特質があるように、
人間にも多種の気質があるのでしょう。
それがまた神の働きの多面性であり、多要素であり、
それはいろどり豊かな世界のためかもしれません。


2018年2月15日

2018年2月 8日 (木)

寒い日

寒い、寒い日。
気をつけていないと、また風邪がぶり返しそう。
せっかく自力で治したのに。
ミサが終わると書店にちょっと寄って、それからすぐ電車で帰ります。
電車に乗って17分で駅に着きます。
とても簡単で近いといえるでしょう。


ホームで電車を待っていると
なぜかいつもYさんが追いかけるようにしてやってきます。
今日は電車に乗った私を見つけたのか
すぐ横にやってきて腰掛けました。
少ししか空いていないのに、
彼女は細いからするっと入って・・・新大阪までいっしょです。
「心臓が悪いみたい。医者が嫌いで」と。
彼女は72歳。
わたしより2歳下です。
若いとき未亡人になって3人の男の子を育てたということです。
「働いてきて疲れたのよ。
体もほっとして、疲労をそのまま出しているのよ。ゆっくりしてね」
とわたしは言ったのですが、
やはり70歳を過ぎるとどこか不調を訴える人が出てきます。


教会は60歳から90歳までの人が7割くらいです。
いつか来れなくなり、消えてしまう人もいます。
来たくてももうだめだという日が必ず来るのです。
教会に行けば救われるとかいうものではありません。
本当の教会は建物ではなく場所ではなく、心の内部にあるのです。
これはカトリックも言っています。


私も含めて年寄りは、いつまでかなと思いながら、
通っている人が多いです。
だから教会に行ける日々を大切にしたいと思っているのです。
信仰とは神さまとわたしの問題です。
結局は自分の心の中にしっかりと信仰という根をおろして
強固な根にしておかないと、
一番大切なとき、役に立たないことになってしまうでしょう。


今日のミサ、わたしの隣に教会で一番の歌い手が座られ、
美しい声で正しい音程でリードしてくださり、
歌の苦手な私もついて歌って楽しくなりました。
歌のうまい人って素敵ですね。
ただ、日本一といわれる学者神父さまのお説教は、
難しくてありがたいというところまではいきませんでした。
聖書を読む方がよくわかりました。
こんなこともあるのです。


毎週何か小さな変化はあるのですが、
聖堂に入って椅子に掛けたとき、すごく暖かくほっとするのです。
ずっとこのままここにいたいとさえ思います。
心から安らぎを感じます。


2018年2月8日

2018年2月 1日 (木)

生きること、死ぬこと、その後

「わたしは何ものなのか」

「わたしはどこから来たのか」

「わたしはどこに行くのか」

 

この問いは13、4歳の頃から起こり始め、
解決することなく長い放浪(精神的)の末、
まさに人生の終わりが近づく頃なって、
ようやく神の御憐みによりかなえられたのでした。


 その問題は偉い哲学者もなかなか解決できないのでは?
といわれるかもしれません。
個々の哲学者はそう人もいるかもしれません。
けれど哲学者にも二種類ありまして、
神を信じているか、死後の生命を信じているか、
そもそも見えない世界を自覚し得る哲学者かどうかです。
そもそもこの世の可視的世界しか信じれない哲学者と
神を信じる哲学者とはまったく異なります。
日本にはこの世の感覚しか信じれないで
見えない世界を論議する学者の方が多いように思います。
見えない人がどんなに言葉を費やしても、
所詮見えない目で見えない世界を見ようとするのは不可能なのです。


ドイツ哲学の祖といわれる人はいろいろありますが、
その中で群を抜いて、そそりたつ巌の如き存在を示しているのは、
神秘主義者エックハルトとヤコブベーメです。
エックハルトは神という存在以前の無の世界まで到達した人、
ベーメは与えられた神秘体験による啓示によって、
天地創造、悪と善の始まり、
人間の創造、地球の創造と未来、自然、天国と地獄、
キリストの意味(ベーメはキリスト教は科学であるといっている)、
他宗教、等々・・・あらゆる疑問に対して明確に答えてくれています。


ただし、ベーメの著作を理解できるのは、
真理に飢え渇き、謙虚にへりくだり、自分を無にできる人だそうです。
そういう人に光は射し込むといいます。
ベーメの著作は英語では多数の本が出版されていますが、
日本語では少数です。
キリストの道(福島正彦訳)、ヤコブベーメ開けゆく次元(南原実著)、
アウローラ(園田坦訳)、キリスト教神秘主義著作集13(南原実訳)等々


ただし、英語のできる人にはオンラインとつながることができ、
多くの著作を読むことが可能です。
・・・・・・http://jacobboehmeonline.com/home

 私は日本語を殆ど揃え、それから英語ができないのに、
無謀にも英語版をパソコンに取り入れ、
グーグルの翻訳とこりゃ英和(夫が入れてくれた)の翻訳機を併用し、
それでもわからない単語を電子書籍で引いて、
毎日少しづつ読んで私なりにまとめて書いています。
まるで、私は富士山に登ろうとしている小さな蟻のようです。


でも蟻はあきらめません。
蟻の性質はこつこつと死ぬまで、働き続けることです。
蟻は自分の獲得したものをどこに運ぶか知っているからです。
蟻はわたしです。
今まではあちこちと蝶々のようにひらひらしていたけれど、
今度はよいしょよいしょと蟻の歩き方を学びます。
わたしは確かに目指したゴールに到達しましたが、
その門を開いただけで、探索は終わったわけではありません。
門の中の広い神秘の世界を教えられたのです。



2018年2月1日

2018年1月25日 (木)

ヒルデガルトの音楽

https://www.youtube.com/watch?v=v6qFCYRQKVA

上記はヒルデガルトの歌です
************

グレゴリオ聖歌はすばらしく、特に心を落ち着けたいとき、
鎮めたいときに聴くと心底癒される思いです。


それと同じように、ときにはそれ以上の天上的な、神的な、
あるいは天使の声といいたいような歌がありました。
それはビンゲンのヒルデガルトの歌です。
上記をクリックして是非お聴きください。


彼女は中世ドイツのベネデクト会系女子修道院長です。
ビルデガルトは40歳頃幻視体験をしたといわれ、
預言者としても有名です。
しかしそれだけでなく、作曲家としても有名であり、
女性の地位の低かった時代において、
史上4人目の女性教会博士であり、他にも豊かな才能に恵まれました。
神学者、説教者、宗教劇作家、伝記作家、言語学者、詩人、
また医学、薬草学に強く、ドイツ薬草学の祖といわれています。


ビルデガルトは中世ヨーロッパ最大の賢女ともいわれていますが、
現在も彼女の知恵、知識は生き続けています。



2018年1月25日

2018年1月18日 (木)

西郷隆盛と聖書

この前「健康とは」について書きましたが、その後風邪気味で、
どうしたら快癒するかあれこれ試しながら、
自分の身体を見つめています。
多分私の不注意からです。
電気ストーブだけで暖をとっているので、
やはり寒く、家の中でもダウンジャケットを着ています。
コタツもありません。
コタツに入ると出るのが嫌になので。
あまりにも寒いときは、ダウンジャケットを寝袋として利用します。
すごく快適です。電気毛布は使用してません。
本当かどうかはわかりませんが、
電気毛布と認知症が関係あるとかないとかいうので、
まあ使用しない方がいいと思って。


14日は風邪気味の状態で教会へ行きました。
今日は特に寒い日。
私の他にマスクやゴホン、ゴホンという咳の音も聞こえて。
「1時間のミサの間、保てますように」と祈りつつ、
今日は後ろの方に腰掛け、目立たないようにしてました。
1時間無事に終わりました。


感謝しながら、書店に降りていき、久しぶりに本を眺めているうちに、
西郷隆盛に関する本がありました。
教会と西郷?・・
不思議な気持ちで手にとってみました。
本の題名は「西郷隆盛と聖書」守部喜雅著:いのちのことば社発行です。
もうずっと前に、
西郷隆盛は横浜の方で洗礼を受けたという話は知っていました。
何かで読んだか聞いたかしたことがあります。
そもそも「敬天愛人」ということばは、
わたしのような鈍なものでも、すぐに
キリスト教の「神を愛し、人を愛すべし」という聖句が浮かんできます。
説明とか、確証なしでも。


今日は風邪気味の中頑張って?
教会に来たお恵みだと思って本を買って帰りました。
幕末の頃、サムライたちは聖書を読み、
ある人は洗礼を受けたことが詳しく書かれています。
明治の初め、隠れキリシタンへの残酷な迫害を最後に、
キリスト教が解禁となり、
欧米のプロテスタント宣教師が先端の文化と思想、技術を伝えたようです。
カトリックとちがい、聖書そのものを
国政のリーダーから下々のものまで読んだようです。


新島襄、新渡戸稲造、内村鑑三、山本覚馬、大隈重信、
木戸孝允、勝海舟等々、
嫌でもキリスト教と関わりを持たざるを得なかったのです。
はじめは欧米を理解するためであった人も、
いつか心惹かれ、牧師になるサムライも出てきました。
勝海舟もそうであり、西郷隆盛もそうでした。
西郷隆盛は晩年、聖書を教えていたということです。
そして西郷隆盛のように、
身をもってその精神を実践した人も現れました。
また勝海舟のように、
晩年心からキリスト教に入っていった人もいます。


とても参考になりました。
懸命に学び、生きた先達たち。
今も生きています。
興味を持たれた方は是非お読みなってください。

2018年1月10日 (水)

健康とは

道で知り合いの人に会って「お元気ですね」と言うと、
たいていの人が
「いいえ、ガタガタですよ。病院通いですよ。」と言われる。
「病院に行かれるほどお元気ですね」と
私はちょっと言いたくなるのですが。
わたしから見ると病院通いしている人の元気なこと。
社交ダンス、旅行、食事会、カラオケ等々。結構楽しんでおられます。
わたしからみると、病院に通うのはエネルギーのいること。
まず病院までの距離。
待ち時間。諸々の手続き。
あれを思うと「病院は止めた!」となるのです。
少々の痛みや不便さは我慢しようと・・・・


作家の五木寛之さんの「健康という病」という本を読みました。
売れているようです。
書店で山積みです。
五木さんの本を読んで、その通りですと言いたくなりました。
わたしは五木さんほどではありませんが、検査はしません。
薬は全く飲みません。
歯医者(3年に一回)以外そんなに病院に行きません。
2年前にインフルエンザにかかったときは行きましたが、
それも家でじっとしておれば治ったでしょう。
夫が心配するので行きましたが。


五木さんのように、80歳過ぎまで
病院に行かないということはできないと思いますが、
私も五木さんのように、
治せることは自分でやってみるということはしてきました。
少々のことだったら、自分で治せるのではと思うのですが。


突然の事故、急病、ガンとかでないかぎり、
今のところは病院に行くのは時間が惜しいのです。
検査なんて意味がないと思います。
多分どこか悪いところが発見されるでしょう。
けれど100%何もない身体なんてあるはずがありません。
年齢とともに弱ってくるのです。


病院通いは体力の消耗、心理的消耗が甚だしいということです。
とにかく病院に行けば疲れてしまいます。
私は一週間に何回も病院に通うほど強くありません。
日本の病院の先生は皆優しくて、
一度行くとまたいらっしゃいと言って、ずっとお世話してくれます。
私はその優しさに疲れてしまいます。


とこんなわけで、よほどのことがない限り、自己流でやっていきます。
夫も同じように、歯医者以外、病院には行きません。
それでも77歳(今月22日で78歳)まで元気で、頭髪も黒黒です。
血流がいいのか活動力も旺盛で、まだまだ好奇心いっぱいです。


病院は行きたくないな・・・80歳までは


2018年1月10日

2018年1月 3日 (水)

2018年の始まり

今年の元旦は実におだやかな幕開けでした。
天候も突き抜けるような青空、日光も溢れんばかりに注ぎ、
新しい年を祝福してくれています。
お店も元旦から開けるところも多く、感覚においては
昨日と今日(元旦)は何も変わりないように見えます。
でも新しい年ですね。
2017年は過ぎ去ったのですから。


この穏やかな日が一年中続けばいいのですが、
何となく今年はびっくりするようなことが起こるような予感がします。
地球が、国々が、民族が、人々が
何か得体の知れないものに向かって、走っているような気がします。
走っていく先はどこなのでしょう。
何かに追われていて、うしろを振り返る余裕もないようです。


元旦、教会のミサに行きました。
元旦ミサは3年ぶりです。
正式にはこの元旦ミサは「神の母聖マリア」といいます。
今日もやはり特別な日なのでしょう。
M神父さまは、思いきり、振り香炉を何度も何度も振られたので、
薫りと煙が聖堂に満ちました。
集まった400名近くの人たちは個人、家族、共同体、
世界のために祈ったと思います。
誰もが「すべてが平和であるように」と。
特に苦しみの渦中にある人は心をこめて・・・


M神父さま、必ずミサの終わりに言われるのです。
「さあ、元気で頑張って行きましょう」と。
今日はそれに2018年もと付け加えられました。
2018年も元気で頑張って行きましょうということです。
それぞれの持ち場で働きましょうということです。
個人ではどうにもできないこともある。
けれど個人でできることもある。
老いたものは老いたものの立場において、
なすべきことをやりましょう。
誰にも能力と種類はちがってもすべきことはあるのですから。
「さあ、行きましょう。」・・・2018年は始まりました。


補足

素晴らしいと思ったこと。
神父さまは、ミサ中
手の平ほどの星の形をした白い紙を何枚か見せてこう言われました。
「この星はグランフロント大阪から来ました。
キリスト教徒ではないでしょうが、星の裏に願いが書いてあります。
祈ってくださいということです。外国語です。」


グランフロント大阪でクリスマスツリーが飾られ、
そのツリーに願いをこめて書かれた星が吊るされていたのでしょう。
それを近くにある私たちの教会に渡されたのでしょう。
ということで、見知らぬ方々の書かれた
星の裏の願いについて全員が祈りました。
祈りは教会の人たちだけのものではありません。
見知らぬ人のために祈ること・・・とても嬉しく思いました。



2018年1月3日

2017年12月27日 (水)

教会のクリスマスイヴ

街では一か月も前から、クリスマスが始まっているようでした。
立派なツリーが飾られ、クリスマスケーキの予約、
プレゼント等の購買意欲を増すために、
お店の人たちの努力は大変なものでした。
お店中が何かそわそわしてくるような感じでした。
遠い日、養母が「なんでキリストさんは、
こんなあわただしい年末に生まれなさったんだ」と言っていましたが・・
確かにそのような面はあります。
しかし、クリスマスは今では日本の風物の一部になった感さえあります。


どうして日本人はこんなにもクリスマスをお祝い?するようになったのでしょう。
何かほっとする暖かい幸せを感じるのでしょうか。
自分のことより、恋人、友人、家族など
誰かのことを考えるようになるのでしょうか。
「誰かのために」・・・
そのような気持ちにさせるクリスマスはやはり、
クリスマス(キリストのミサという意味)なのです。


「教会でもクリスマスをするの?」といわれそうです。
去年はいきませんでしたが、今年はあのイヴの雰囲気に浸りたくて、
帰りは遅くなるのですが夫と行きました。
40分も前に行ったのですが、次々と人が集まり、
入祭が始まる頃には400人を超えていたでしょう。
それでもそれは殆ど日本人だけであり、
その後は英語ミサがあり、外国の人たちがやはり何百人も集まります。
教会の中がいっぱいです。


聖堂の灯を消して、400人余の人たちがローソクをもち、
隣の人へと点灯していきます。
ローソクの灯だけになりました。
ローソクの灯のもとで歌う賛美の美しさ。
歌の下手な私も一生懸命歌いました。
そして神父さまの祈りの言葉。
今日は特別に振り香炉が振られ、聖堂が薫りで一杯になりました。


いつもの雰囲気とちがいます。
当然のことですが、イエスさまがここに
そして私の中におられると感じるのです。
できの悪い、素直になれない私だけれど、
それでも今まで私の成長を待っていてくださり、
またいまも待ち続けておられる聖なる存在に心から感謝しました。


若い人も沢山、90歳に近い老人の人も外国人の方も数十名。
心一つになる時です。
どんなに多くの人たちでも、同じ思いになるとき、
それは一つになっているのです。
人間の体は別々だけれど、内部から出る祈りと賛美は
不可視の世界で空間で一つになるのです。


神父さまは説教で「2017年間、平和のために祈り続けてきたのですが、
この世界は絶えずどこかで戦争があり、止むことはありませんでした。
平和の君なるイエスといいますが、イエスのいわれた平和とは
本当はどのような平和なのか考えてみたいと思います。
世界の平和のために祈ることは大切ですが、
まずわたしたちの周囲、
近い人たちとの平和のために努めましょう。」といわれました。


わたしはイエスの平和は自分の心の平和だと思います。
自分の心が平和でなければ、
愛とゆるしがなければ平和になれないでしょう。
平和の君イエス・・・私の心に真の平和が来ますように。


外はかなりの雨でした。
その雨の中を傘をさしながら、外国の方が教会へやってきました。
大勢です。肌のいろも様々。体形も様々。でも同じ思いです。


私たちも降りしきる雨の中を帰りました。
心の中に温かい灯をともして・・・



2017年12月27日

2017年12月21日 (木)

エルミタージュ美術館展へ

http://hermitage2017.jp/works-detail/works_03.html

ポンペオ・ジローラモ・バトーニの聖家族です
美しいです。

よく晴れた日です。
といっても気温は8度くらいで、外は寒いですが。
この年齢になると師走の慌ただしさも昔のことのようで、
正月も老夫婦二人だけで気楽なことです。
というわけで、「ちょっと遠いけど、展覧会に行こう」ということになり、
兵庫県立美術館へ、エルミタージュ美術館展にいきました。
世界三大美術展のひとつだそうです。


 今日は平日なので、人もそれほど多くはなく、
大作ばかり85点をゆっくり見ることができました。
ただ名画が多すぎて、
感激して見ていると次にまたすばらしいのがあり、
頭の中に消化しきれずいっぱいたまってしまった感じです。


最初に出迎えてくれたのは、
エカテリーナ二世の堂々たる華麗な姿。
「私は女帝よ」といわれているような気がして。
絹のドレスに数えきれない宝石の数々がつけられ、
頭の宝冠は輝く宝石がずっしりと。
この重さはどれくらいあるのでしょうか。
昔、権力者は重さにも耐えたのでしょう。


何枚かの絵が心に残りました。
聖画も多く、どれも美しいものでしたが、
フランシスコ・デ・スルバンの「聖母マリアの少女時代」、
バルトロメ・エステバン・ムリーリョの「受胎告知」、
そしてポンペオ・ジローラモ・バトーニの「聖家族」に
とても引き付けられました。
特に「聖家族」は、今まで見た聖家族の中でも、
群を抜いたものでした。


畳一畳位(もっと大きいかな)の大きさの絵でした。
聖家族の何気ない日常の生活をかくも神々しく
美しく描いた絵をみたことはありません。
絵を見ていると、家族たちの動きや会話が現実味を帯びてきます。
それでいながら、全体は光に包まれているのです。
頭上では天使が花のようなものをもちながら、祝福しています。
パソコンで調べてみたら、ありましたので、
クリックしてみてください。
イエス、マリア、ヨセフ、そしてマリアの母アンナ、
少し大きな子供はバプテスマのヨハネが描かれています。
中央の
幼子イエスに光が集中していて、
聖書を読んでいたヨセフがイエスの方を見ています。
クリスマスにふさわしい絵です。


帰り、なぎさ公園の海岸通りを夫と歩きました。
小一時間もあったでしょうか。
海を見ながらです。
神戸はやはりハイカラな街です。
2時間近くの絵画展の鑑賞と散歩がてらの海岸通り・・・
私たちの足、まだまだ歩けそうです。


*兵庫県立美術館の設計は安藤忠雄氏の設計です。
絵画の鑑賞と共に、会館の見学もできました。


2017年12月21日

2017年12月13日 (水)

命・・・最期の姿

今年7月に亡くなられた日野原先生は、
今も多くの方々から慕われ、先生の著書は書店に数多く置かれています。
優しいお顔と共に。
まだ生きて語っておられるかのようです。
業績の数々も多くて指折りをしても、はみ出してしまいます。
長い人生をまことに真摯に正しく、徳ある人性でもって、
日本国中の人たちに勇気を与え、慰め、また笑いも与えてくださいました。
お顔を思い出すごとに、温かい気持ちになります。


そんな先生の記事が10日の読売新聞に載っていました。
次男さんの奥さんで真紀さんのケアノートでした。
先生と生活を長く共にされ、
その最後の姿をご存じの方が書かれた、すばらしい文章でした。
その中で、これぞ先生といわしめるお姿が書かれていました。
先生は沢山の講演、著書、医師として多くの人命にかかわった方です。
並外れたお仕事をなさった方です。
けれど、この最後の先生の姿ほど心打たれたことはありません。


「義父は最期の一か月、目をつぶりお祈りの姿勢をずっとしていました。
牧師の家庭で育ったからでしょう。
亡くなる二日前には、もうきちんと胸の上で手を組めなくなりました。
その姿に神々しいオーラを感じました。
もう見られないと思い、「ごめんなさい」と言って写真をこっそり撮りました。
最期は安らかな姿でした。・・・読売12月10号


あれだけ行動力があり、活動なさった先生が死を受容されて、
ただ一人神に祈られる姿です。
神のもとに帰ろうとする一人の人間として、
神と対話し祈られる謙虚な姿。
この間の渡部先生もそうでしたが、
人は自分が死後生命ある存在として生きるという確信をもったとき、
心から平安を持ってこの世を去ることができるのだと思います。


人間は死ぬとき、真実の自分の姿を見せます。
最期はその人の生き様がやはり現れてくるように思います。
キリスト教では死は終わりではなく、誕生だと言います。
あるいはプロテスタントではよく帰るといいました。
故郷に帰るのです。
私たちはそこからやってきたのだから。
カトリックでは、あの世に誕生するというようです。
どちらも、あの世こそ(神の国)、私たちが生きる真の場所だといいます。


日野原先生は、魂の故郷へ帰られたのだと私は思います。
私も死は新しい生で、本当の故郷へ帰ることだと思います。
だから、死は悲しみではありません。


2017年12月13日

«私の小さな歩みのゴール

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