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2013年6月28日 (金)

№19. レ・ミゼラブルを完読する

ああ、終わりました。

 

7か月にわたる心の中での160年前のフランスの旅が終わりました。

 

 

去年(2012年)の12月頃から読み始めたユーゴー作「レ・ミゼラブル」を

 

毎日20分の音読でようやく6月24日で完了しました。


総頁数2,400余(和訳)で、全朗読時間約72時間です。


岩波文庫の豊島与志雄訳で全4巻です。

 

 

 

ユーゴーのレ・ミゼラブルは何十年も前から少年少女向けにも何度も出版されたし

 

映画化も何度もされ、また芝居もたびたび上演されて

 

その物語を知らない人はいないでしょう。

 

私も小学生のときから「レ・ミゼラブル」を読んで感激し、映画を観てまた感激しました。

 

ただなぜこんなに長編なのかは疑問でした。

 

だって簡単なわかりやすいお話ではありませんか。


ミリエル司教、ジャン・ヴァルジャンとコゼット、マリユス、ジャヴェル、

 

テナルディエ等々の登場人物の織り成す愛と悪と赦しの物語です。

 

それなのに原著はすごい長編です。


いったいユーゴーはあの長編で何を言いたかったのだろうと、

 

それを知りたかったのです。単なる博愛の精神だったのでしょうか?

 

 

 

また以前ドストエフスキーの伝記を読んだとき、

 

ドストエフスキーが税金が払えなくて、牢に入ったとありました。

 

入れば税金が免除になったのです。

 

彼は牢の中でいろいろ読書をしましたが、

 

レ・ミゼラブルも真剣に読んでいたそうです。

 

それも心に引っかかっていましたので、

 

ぜひこれを読まなければと去年の12月頃から読み始めました。

 

 

 

ジャン・ヴァルジャンように

 

一片のパンを盗んで投獄されたものが実際にあったそうです。

 

パン一切れを盗んだだけで、投獄された人間が。

 

あの頃はそのような時代だったのです。


盗みは悪いことだけれど、パン一切れの窃盗で牢獄に入り、

 

本当の大泥棒は捕まるどころか尊敬や名誉や権力に浸っている。

 

まあいつの世でも似たりよったりですが、

 

あの時代は実に非道なことが行われていたのでしょう。


恐怖と暴力と恥辱に満ちた牢獄は

 

純朴な青年だったジャン・ヴァルジャンを野獣のように変えていました。

 

 

 

ミリアム司教の深い愛は

 

ジャン・ヴァルジャンの人間性を欠くほどに荒れた魂を変えたのです。

 

 


ユーゴーは言っています。

 

恐るべき貧しさは悪である。

 

それは人の魂を破壊してしまうのだと。


恥辱と差別と自虐と嫉妬そして復讐心などで、

 

肉体の破壊とともに魂も破壊されるいうことです。

 

ユーゴーは魂の破壊ということを最大の悪だといいます。

 

それが真の恐怖であると。


そのようなジャン・ヴァルジャンの魂を救ったのはミリエル司教の神の愛でした。

 

司教は彼の魂を救ったのです。




彼の新生が始まりました。魂の復活です。


その物語がコゼット、マリウス、ジャヴェルへと続いていきます。

 

ユーゴーはジャン・ヴァルジャンの生涯を通して、

 

神、これは見えない絶対的崇高なるものへの贖罪と解してもいいでしょう。

 

そしてときには岐路に立って煩悶しながらも

 

苦しみ悶えながらも、忠実なる良心の使徒となりました。

 

 


晩年になり老いたジャン・ヴァルジャンは最後の岐路に立たされました。


自分の素性も言わないでこのまま、コゼットやマユウスと幸せな生活を続けるか。

 

あるいは何もかも告白するか。

 

自分の素性を告白することは永遠に信頼を失い、愛を失うことになる。

 

彼の人生は悲惨と苦しみとの連続でした。


けれども最後に与えられたこの試練は最大のものでした。

 

魂の救いかそうでないかの。

 



けれども彼は告白の道を選びました。

 

それは神の前に正直であれということであり、それを自分の義務としたのです。


その結果は・・・彼は真の孤独に陥った。

死の床で彼は愛するコゼットを想った。

 

幸福なものたちは苦しみの中にあるもの、悲しみの中にあるものの心はわからない。

 

 

 

しかし、神は最後にジャン・ヴァルジャンを嘉せられた。

 

すべて真実を知ったマリユスはコゼットとともに駆けつける。

 

彼に赦しを乞うために。

 

罪びととはいったい誰であるのか。

 

我々は誰でも知らずして罪人であり、赦しを乞わねばならない存在ではないのか。

 

 

重い十字架を背負った偉大な魂は天に還った。

 

報いを求めないで神への愛を為し続けた徒刑囚は今や殉教者として天に還った。

 

ユーゴーはジャン・ヴァルジャンを通して、神の愛の存在を現したのです。

 

 

 

「私が貧しい者であるということを忘れないで、

 

どこかの片すみに私を葬って、

 

ただその場所を示すだけの石を立てて下さい。

 

それが私の遺言である。

 

石には名前を刻んではいけない」

 

これが徒刑囚の臨終の言葉でした。

 

 

7か月かかった「レ・ミゼラブル」の読書は

 

最終章において、深い感動に包まれました。

 

ミリエル司祭の無私の愛はジャン・ヴァルジャンの無私の愛をもって完結したのです。

 

そこに流れ続けていたのは、

 

神(人智を超越した崇高なる不可視的存在)の愛でありました。

 

ユーゴーはこの物語を通して、

 

全人類に対して「神の愛と赦し」を示そうとしたのだと私は理解したのでした。


2013年6月28日

 

 

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