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2013年11月23日 (土)

読書と私1 小学一年から中学三年間まで

読書は私の命のようなものです。世には読書が好きですという人も多くいますが、
私の場合は本きちがいの部類に入るかもしれません。
その割には別に何者になったというわけではなく、ごく普通の人間ですが。

小学校1年生の時、養父が本を買って来てくれました。
まだ世の中は終戦後で、物資もままならぬ時代でした。それに田舎です。
どこで手に入れてきたのか2冊の本を私にくれました。
養父自身は本一冊読んだことのない、また興味もまったくない人でしたが。

「出雲の神話」と「石川啄木」でした。
小学校1年にはなかなか難しそうでしたが、滅多に買ってもらえないときでしたから、
何度も読むうちにそれが面白くなってきました。

特に「石川啄木」は今でも感動したことを覚えています。
その他には毎月の小学1年生の雑誌。それから新聞の子供向けのマンガ。
数少ない本を手垢ができるぐらい何度も読みふけり、いろんなことを想像しました。

その後関金温泉街から倉吉の町(鳥取県)に移ったのですが、
親から本を買ってもらったという記憶はありません。
ただ小学校の近くに2軒の大きな本屋があって、
私は学校帰り毎日のようにそこに行って眺めたものです。
その頃、きちんとした本は少々高くて、とても買ってとはいえませんし、
小遣いというものをもらったことのない私には欲しい本を手にすることができませんでした。
(その当時の多くの子供は小遣いなどはなかったかもしれません)

でもやはり養父母だからでしょうか。
実の親なら忘れることがなかろう私の誕生日を覚えていてはくれませんでしたので、
「あのう、誕生日のお祝いに本を買って」と勇気をもって頼んだものです。
私は自分の欲しいものを親に頼んだことは殆どありませんので。
本が何よりのものでした。
ゼンダ城の虜、悲劇の王妃マリー・アントワネット、紅はこべ、小公女、小公子、
アイバンホー、それに柴田連三郎の時代小説等々など
、少年少女の名作全集を次々と読んでいきました。

北海道の優しい祖母(実母の母)が年に何回か自分の小遣いの中から
1万円とか5千円とか送ってくれましたので、
それで誰にも遠慮することなく本を買っていたようです。
小学6年生で「椿姫」を読んで、養母がとても心配して学校の先生に相談にいきました。
それまで活発に友達と遊んでいた私がいつも本ばかり読むようになったからでしょう。

中学に入るとそれこそ本ばかり。
養父の弟、私にとっては義理のおじさんが蒐集していた世界文学全集や日本文学全集を借りて
読んだ、読んだ。大東亜戦史集もあったのでそれも全巻読破。
この全集は有り難いことでした。学校の勉強は放りっぱなし。

特に西洋文学に興味をもち、その頃、トルストイとドストエフスキーの世界に
毎日のように浸っていました。

夜中の3時頃スタンドの傘に服をかぶせて
明かりがもれないようにして読んでいたのに見つかってどなられたこと。
ドストエフスキーの罪と罰のゾシマ長老とイワンの息詰まるやりとりの場面では
本当に私の周囲が動いたこと。あれは忘れられません。
ロマン・ロラン、アンドレジイド、ヘッセ、ブロンテ姉妹、モーパッサン、リルケ等々
、読書は私を本当の意味で育ててくれました。

トルストイは私にとって厳父であり、慈父です。
今でもトルストイの写真を見ると熱いものがこみあげてきます。
私は書物によって学びました。私の学校は書物の中でした。

(ただ、少女小説は大嫌でした。軽い恋愛ものは、体質的に大嫌でした)

ある男子生徒が私の顔をじっと見て言いました。「・・・・さんを敬遠する」と。
そうです。私はいじめの対象(いじめられたことはかつてありません)にも、
憧れの対象にも、無視という対象にもならないということであり、
離れていたいということなのです。

私は本を読む変わった人間としてクラスでも有名で、変人で通っていました。
でもネクラではなく、クラスで反対が一人だけでもそれが正しいと思う
と私は頑張ってしまう、
陰口とこそこそが嫌いで、先生にも疑問をぶつけるし、クラスの中でも意見を言う、
少々男勝りの性格でありました。
男子生徒はよく女生徒をからかったり、いたずらをして喜ぶものですが
私には手を出しませんでした。面白くなかったのでしょう。
先生は自習の時間、自分はどこかへ行ってしまって、私を教壇に立たせて
ずっと朗読をさせていました。

中学時代、自分の脳が消化しきれない量の文学や歴史物を読んだことは、
私にとっては人生第一期の大収穫でありました。

しかし、親の立場からすれば、さっぱり勉強しない子供はさぞ心配だったと思います。

口は災いのもと、私は普段は何も言わないのですが、
いざクラスの中で言わなければならないときは、臆せず言うので、
年一回全校生徒が集まって聞く弁論大会に選ばれてしまい、
それこそ心臓が止まるほどの思いをしました。
全校生が体育館に集まって聞くのです。
中学一年生の私が紙も見ないで話すのです。
1000名近い生徒の前です。
(地方の町でしたが、その頃はそれぐらい生徒がいました。)

今でもあのときの緊張を忘れません。
「役立つ人に」という題名をつけました。ずいぶん生意気な題名をつけたものです。
言うだけで、それ以後の私の人生は
それほど人に役立ったと思える人生ではありませんでしたから。

沢山の本を読破するのはいけれど、
それで高い理想を追い求めるのはいいけれど、
周囲との隔離はさらに開いていきました。
読書は私を孤独へといざないました。


2013年11月23日

 

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