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2014年5月28日 (水)

父へ・・・・父の日に

「お父さん」と一度も呼んだことのない人。
また呼ぶことを許されなかった人。

でもあなたは死後数日したとき、私の夢に現れた。
それは確かな感触をともなって。

二人の姉妹には現れないのに。それは心からの温かいものだった。

あの人は私のことをいつも思っていたのだと・・・私は胸がいっぱいになった。

********

父は私が小学校に入る前に再婚した。
私に対して愛情を示すことはできない立場だった。

出会っても優しい言葉どころかつれない、ときには冷たさを感じることもあった。

先妻の子供であり、他家に養女に出した子に、愛情をかけることなどできなかった。

それでも私は心の中であなたを尊敬し、慕い、離散した幻の家族を求めていた。

****

「Yさん、あなたのお父さんは偉い人だった」と中学のときの担任は、

実父の姓で私を呼んで言った。

それには負けるな、誇りを持てといわれているような気がした。

先生たちは私があなたの子であることを知っていた。

その当時父は有名な人だったのだろう。

あなたは二宮金次郎の生き方を理想としていた。

文武両道。質素倹約、質実剛健、一切の贅沢を自分に許さなかった。

国民服が戦後もずっと一張羅。背広などなかった。

地主の二男。戦前はエリート。

戦後は自らの責任を感じて野に下る。(恩給年限目前にして)

財産のない次男坊。

役職のゆえに責任を感じ、戦後は表舞台に出ようとはしなかった。

確かにあなたは人間として偉い人だった。(私を育てなかったことを除いては)

あなたの言うことは間違いはなかった。

清廉潔白・・・何よりも嘘とごまかしを嫌った。

善行も隠れたところでしていたのかもしれない。

あなたが私にいった言葉で思い出すこと。

「オレがお前の親だ」

「頼むから平凡な人生を生きてくれ」と。

「オレが求めていたのは野心だった」

「オレは毎日、太陽に向かって祈っている」と。

平凡ではない人生を父は生きたのだろうか。

父は一冊のノートを遺してくれた。

自分の若き日のことを詳細に書き記して。

・・・35歳、従六位高等官五等・・公職には二度とつかなかった。

自分の責任を強く感いていたのだろう。

私はそれをタイプしてまとめた。

私は1歳のときに2度も大手術をしていた。

小さな手で、親であるあなたの手が痛いほど握ったという。

・・・何度もそのことは話してくれたね。

あなたにはあなたの事情があったのだろう。私を手放した理由が。

***

近づくことができない人。できなかった人。

「オレはいつもあの子(私のこと)を思っている」
と周囲のものにいっていたそう。

・・・ありがとう。今ではその思いやりが私をささえたと思っている。

養父の葬式の日、私はあなたに言ったね。
「よく不良にならなかったと思うよ」と。

あなたの答え、「血が違う」・・・その答えにいい気なもんだと私は思った。

・・・・いろいろと錯綜する思いがあったけれど、今はとても感謝しています。

大きな訓練を与えて、私を強くしてくれたのだと。

あなたは、私の母に会ってどんな話しているのでしょうか。

******

ある地方紙に出た父についての記事

A4で、数ページにわたる文章の終わりに

「いつになっても彼は人のために奉仕するようにできている。
金も要らぬ。人目に立つことを好まない泰然自若たる男である。
草叢の茂みの中にひっそりと咲く一輪の白い花のように・・・・。
彼こそは男の中の男である。」

私のお父さん。あなたの娘であることは、私の誇りです。

2014年5月28日

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