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2014年5月 7日 (水)

母へ・・・・母の日に

遠いシベリアの地に過酷な抑留生活を送るおじの枕元に

母は立った。(おじは母の義兄)

おじは何かを感じた。そして思った。

「何としても日本に帰らなくては・・・家族のためにと。

(おじは5年間の抑留に耐えて、旭川の家族のもとに帰った。

母は息を引き取ろうとするとき、二人の幼い子供を誰に託すのか

そればかりを必死に考えたのだろうか。

母にはわかっていたのだろう。自分が亡きあと、子供たちが

どのようになるかを。

「私は空の星になって、おまえたちを必ず守る」と6歳位の

姉に約束したという。2歳半の私は泣いていたという。

そう・・私には病室の前の戸の上にあった赤い玉を覚えている。

(赤い玉は重病患者の部屋に附けられていた)

昭和21年の冬のこと。日本が戦いに敗れた年の次の冬・・

そのときから、家族は離散した。それが運命だったのだろう。

国のために全力で働いた父。重い地位についていたゆえ、

新しい時代には、自分の能力を発展させることはできなかった。

私は実の両親と姉を一度に失った。

僅か2歳の幼児にも、暖かい母の感触は終生忘れられないものだった。

その日から、母を探し続けた。

「私の母さんは・・」と。

新しい両親は私の母の感触ではなかった。

誰にいわれるでもなく、私は養父母の子ではないことを感じていた。

そういうものなのです。自分をこの世に産みだした人のことを

子供は忘れることなどないのです。

実の母を激しく求めながら、それを隠さなければならない日々。

私は仮面をかぶって生きてきた。心の中は深い闇。

引き裂かれた、分裂した心。

能面のように、感情を表わさず、

学校のカバンの中に密かに入れた母の写真。

それを黙って取り出し私を問いただした養父母。

その日から、お互いに真の親子でないことを表明してから

私の孤独はまし加わった。

「おまえのことをみんなが困ってしまったんだ。(育てる人を探すのに)」

そう言われて、泣くしかない私。

甘えることはゆるされない、反抗することも許されない。

私は実の子でないから・・そう思って生きてきた。

自分を愛することなどあっただろうか。

お母さん・・何度心の中で、孤独の中で

母の名を呼んだことか。

でも私は知っている。

あなたは約束通り、私を守り続けたことを。

長い間、母は私を守った。

つい数年前、私は夢を見た。

夢の中で、実の両親が現れ、二人はいっしょになって

去っていった。もう大丈夫だと安心して、霊界に帰ったのか。

ああ、二人は安心して霊界に帰っていったと確信できる夢だった。

********

可愛がってくれた祖母は遠い北海道から来るたびに

私の目をじっと見ながらいつも言った。

「・・・子、私が本当のおばあさんだよ。いいかね。

おまえはお母さんのことを決して忘れてはならないよ。

御母さんはね、おまえたちが宝物だったのだよ。」

・・おばあさん、暖かい愛情を有難う。

私を生んでくれたお母さんありがとう。

護り続けてくれてありがとう。

心からの愛をもって、あなたに感謝を捧げます。



2014年5月7日

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