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2015年1月13日 (火)

№102. 細川ガラシャに思いを寄せて2

ガラシャの美しい絵像を見つけました。

入れてくださった方感謝します。

http://www.last-song-of-life.com/entry10.html

フロイスの日本史の中に出てくる細川ガラシャに魅かれ、

さらにガラシャのことを書いた三浦綾子の「ガラシャ夫人」も

平行して読んでいます。

 

三浦さんの歴史物語を読んでガラシャが立体的に、

生きた人間として、身近に感じられるようになってきました。

邸に閉じ込められたガラシャは

家臣や侍女(貴人)を巧みに使って、知識を吸収しました。

彼らを教会の司祭のところに行かせ、(そのうち彼らはキリシタンになる)

その持って帰るキリスト教の教えをむさぼるように会得していきました。

家臣や侍女たちは、奥方さまの疑問点、

そして質問の数々を司祭に伝え、そして答えを持ち帰り、

奥方さまの善き使者として働きました。



彼女は司祭に日本語に訳された霊的書物を求めました。

そして与えられたのが「コンテムッス・ムンジ」というのですが、

ガラシャはその書を片時も身から離しませんでした。

この書は「キリストにならいて」という書で、

今も聖書に次ぐ霊の書と言われています。



私もバルバロ訳の「キリストにならう」をよく読みますが、

ガラシャがこれを読んでいたのかと思うと

500年の隔てが急に消えてしまったように思えます。

 



「・・・片時もその書を身から放そうとせず、

我らヨーロッパの言語の出てくる言葉とか未知の格言について生じる疑問をすべて明瞭に書き留め、

侍女のマリアにそれを持たせて教会に遣わし、それらに対する回答を自分のところへ持って帰らせた。

奥方の文字は日本で極めて稀なほど達筆であり、

彼女はそのことできわめて名高かったから、

彼女は後に自筆でもって他の多くの霊的な書物を日本語に書き写した。」P233

(彼女はラテン語も学んでいたのではないかといわれます)

 

ガラシャのおかれた環境からすればもっともなことですが、


こんな記述もあります。

 

「・・・うつ病に悩まされ、時には一日中室内に閉じこもって外出せず、

自分の子供の顔さえ見ようとしないことがあったが、

今では(キリシタンになることを決心してから)顔に喜びを湛え、家人に対しても快活さを示した

怒りやすかったのが忍耐強く、かつ人格者となり、気位が高かったのが謙遜で温順となって、

彼女の側近者たちも、そのような異常は変貌に接して驚くほどであった。」P239

 

また上長の司祭は彼女と忠興との間が不和があることを知っていて、


正しいことにおいては夫に従うようにと注意もしています。

 

それに対して、
「今はバテレン様がお命じになることがよく判りましたし、主なるデウスさまの御恵みによって、

御命令を身をもって実行するよう努力いたすつもりでございます」と答えています。

 

 

ガラシャは石田三成の人質となることをこばみ、


家臣の手をかりて死を受け入れ、焔の中に消えていきました。


夫忠興のためであり、細川家のためでもあったのでしょう。

 

遺体を完全に焼却するために、邸を爆破したといわれます。

 

司祭に約束したように、彼女は身をもって忠興への愛を証明したのだと思います。

 

 

38歳の生涯は短いように見えるけど、


その中身は日々命がけの真剣な生だったと思います。

 

その死は、ガラシャにとっては、天国への凱旋だったでしょう。

 

私の中で、今まで絵の中の女人に過ぎなかったガラシャが


生き生きと思い描かれるようになりました。


2015年1月13日

 

 

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