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2015年6月30日 (火)

二つの十字架の道

今日はミサの日、朝6時頃、激しい雨が降っています。
「うわっ、今日はすごい雨」と思いながらも、
雨が降ろうと雪が降ろうと雷が鳴ろうと、ミサを休む気はありませんが。

天候も神のなさる業。
春のようなうららかな日が一年中続いたら、
人間がぽかんとなってしまうでしょう。

家を出かける8時前には雨は嘘のように上がり、
かえって温度の下がった外を気持ちよく歩けたのでした。

最近の矢野神父さまの説教は
いつ聴いても「その通りです」と感謝するばかりです。
神父さまに「今日のお説教しみいりました。」とか言うと、
話題をはぐらかして、ちゃかしてまともに受けてはくださいません。
褒められるのがとにかく大嫌いな神父さまです。

でもそこが素晴らしいのです。

今日の説教は特に教えられました。
以前「大いなる沈黙」という戒律の厳しい修道院の映画をみて、
矢野神父さまに感激したというと、
「紹介状を書いてあげるから、修道院に入ったら・・・」と
まあそっけないお返事でしたが、


今日はシスターも10名近くおられるミサで
「修道院に入りたい人の気が知れん。
あのな、自分から十字架を背負って生きていくのは、
どんなに辛くても我慢して生きていけるのだ。
自分が選んだのだから。神父もそうだ。
でも自分が選ばない十字架を背負わなければならないときがある。
不本意な道、理不尽な道を。
何でこんな道をと思う道がある。どちらが重い十字架と思うか?」と。

自分がこうだと計画している生き方、
そうありたいと願っている生き方、それを予期しない横やりが入って、
ことごとくだめになったとしたら。
そして願ってもいない重荷を背負わされていくとしたら・・・
それでもそれが神の与えられた十字架として背負っていくんですよ。
いつか感謝できるようになる。
神の御手の中に我々はいるのだから。・・・

神父さまの今日のメッセージです。

多くの人が自分の人生に障害が入って、
余儀なく別の道に進まなければならなくなっているでしょう。
それは自分で選んだ十字架を自ら背負って生きていくよりは、
さらに難しい、重い十字架でありますが、
それもみな神の御手の中にあること、
「安んじて行きなさい」ということだと思います。・・・

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
(マタイによる福音書11章28-30節)

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