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2015年7月21日 (火)

カトリック生活四か月目

https://www.youtube.com/watch?v=XQcSjUTqJdw

シスター渡辺和子さまのお話です。

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カトリックの洗礼を受け、M教会に落ち着いて
早くも四か月目にはいりました。
入社して3か月くらいは会社でも見習い期間がありますが、
3か月経つと、ようやく落ち着いて周囲が見渡せ、
自分のこれからのようすが大体わかるようになります。


無我夢中で誰も知らない所へ入って、何とか慣れようと
生来は社交的な性格でもない私があえて自己努力によって、
自分の性格をねじ伏せ、皆さまの中に入らせていただきました。
おとなしい、穏やかなカトリックの方々は
プロテスタントの気質を引きずってきた私たち夫婦を
驚きの目を持って眺めておられたことでしょう。


一言でいえば、カトリックの方々は「寛大」です。
内心はわからないけれども、教会内で批判や愚痴、
誹謗など聞いたことはありません。
ご婦人方の柔和なこと。
何でも受け入れようとする無邪気な心。
まず人を信用しておられるのです。
人を信用しておられるということは、
神様にゆだねておられるということでしょう。
そして上品な物腰。
カトリックに入れば、所作が上品になります。
これは本当です。

教えられること多いです。
時には自分の生きてきたモットーの真逆を感じます。
プロテスタント(それも一時はカリカリの)から
カトリックへ転向していろいろ見聞きして思ったことを
このブログに書いていこうと思いますが、今日はミサについてです。


ミサの終わり(閉祭)の挨拶で司祭がこう言われます。
「感謝の祭儀(ミサ聖祭)を終わります。行きましょう。
主の平和のうちに」
私はこの最後にいつも言われる「行きましょう」
という意味がわかりませんでした。
「いったい、どこへ行くのですか?」

プロテスタントでは「行きましょう」は教会を指していたのです。
諸々のことはおいといて、
「さあ、教会へ行きましょう」だったのです。
この点で頭の切り替えが大変でした。
この間やっとわかりました。一年かかりました。


私たちは教会でミサ聖祭で神様の祝福を受け、
自分の持ち場に帰っていくのです。
シスター渡辺和子さんが言われるように
「置かれた場所で咲く」ためです。
置かれた場所が自分の務めの場所であり、
全力を傾けることなのです。
カトリックはこのことを宣教といっているので、
プロテスタントのように言葉で伝えて、
人を教会に連れていくのではありません。
ようやくこのことがわかったのです。


会社で、家庭で、学校で、お店で、農作業で、
その他様々な場所において。
行いをもって、咲く者となるために・・・・
教会の礼拝は何よりも第一とすべし・・・
とはカトリックは言いません。
用事のあるときは、休んだらいいのです。
皆様実に自由です。
だからお互いに寛大になれるのでしょう。


「行きましょう」という意味がわかるまで一年もかかったのですから、
他にもまだまだわからないことが多いです。
180度・・いいえそれ以上の頭の転換が必要なのかもしれません。
とにかくカトリックは自由です。
次は献金のことを書いてみましょう。


2015年7月21日

 

 

 

 

 

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