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2015年7月28日 (火)

献金について

誰もこの世に生きている限り、
霞を食べて生きていくことはできません。

教会も人間の生活と同じで、
建物の維持、水道光熱費、庭の手入れ、備品、修理等々

お金がなくては存続できません。

カトリックは敷地と建造物が大きいので、
毎月の費用は相当なものだと思いますが、
どの教会も「お金、お金」といって
信徒に献金を奨励するのを聞いたことはありません。

洗礼準備段階で神父さまは献金の説明を少しなさいましたが、
「自由です。全く自由です」とだけ言われました。
自由といったってそれぞれが自分の収入の中で
考えなければならないのですが。

毎週のミサの献金のかごも手持ちの無い人は
そのまま隣の人に渡せばいいし、
誰がどれくらいしたかは全くわかりません。
かつてプロテスタントにいたときは、
お盆のような大きな木皿が回ってきて、
隣がどれだけ入れるかすぐわかりましたし、
特別の献金した人の名前と金額は週報に載せられたものです。
いやでも競争させられるような具合でした。
身分不相応の献金をして、人に褒められて、
得意になっている人もいましたし。
またある教会では十一献金厳守とかで、
多額のお金を要求されました。
まあ、この世界はいろいろです。

ただ、教会生活でこの献金につまづく人はあると思います。

カトリックの場合、お金があるのかないのかよくわかりません。
ただ献金を強制することは絶対にありません。
その大らかさに安心します。

とにかく、カトリックの場合、何に対しても強制は違反だそうです。
信仰、奉仕、献金、ミサ出席など、すべて自由意志からだそうです。

たとえば、ミサに出る場合、一年に一度の人、
2回だけの人、数か月に一回、月に一回などいろいろありますが、
一生懸命教会に行く人、奉仕する人、
必ずしも素晴らしい人とはいいません。
あまり行かない人をとやかくいうこともありません。

人は自由なのです。すべて強いられてすることは、
本物ではありません。
自由であることが重要なのです。

**************

私の拙い文章を読んで下さる方に感謝します。
一万分の一でも何かのお役に立てたら嬉しいのですけど。

このブログ、2~3週間お休みします。


2015年7月28日

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コメント

プロテスタントの献金について、体験なさった事をお描きになったのですね。
しかし、「盆」で集めるのが一般的なのではなく、金額が分からないような袋の使用が多いですよ。
誰がいくらしたか分からないようにすることを大切にしています。
むしろ、そのようにしている教会の方が一般的だと思います。
月例献金も集計する会計係でさえ、名前を見ずに金額の集計だけをします。
牧師は誰がいくらしているかについても知りません。

献金をあおる教会は、主旨をはき違えていて、少しおかしな所だと思います。

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