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2015年8月12日 (水)

今、教会は

大阪のカトリックの司教座がおかれている教会、
カトリック玉造大聖堂のホームページの冒頭に
こんな文章が載っていました。
(聖堂は細川大名家の屋敷跡に建てられている)

概要は

玉造大聖堂の耐震工事をしましたが、
30年間はもつようにと工事をされたそうです。

30年とは短いと思いますがそれにはこのような事情があるのです。
現在所属している信者はかなりの年齢であり、
また実際に奉仕している人たちも少なく、
一人が何個もの仕事をかかえてやっている状態。
これが30年たったらどうなるか。
建物だけあって信者も神父もいなくなるのではという
不安をかかえているのです。・・・という内容です。

教会も日本の人口構成と同じで否それ以上に早いスピードで
高齢者の集まりになっています。
60代は若く、70代の人たちが迫る老いと戦いながら、
それでも感謝と笑顔でしのいでいます。
これはどの教会も同じでしょう。
今の老人たちが来れなくなったら、若い人達は滅多に来ないし、
さてさてという現状です。

日本ではこうですが、欧米諸国はどうなっているのでしょう。
3か月ほど前、コラボにイタリアの若い留学生が話に来ました。
ハンサムで話もうまく、すぐ出席者の人気の的となりました。
イタリアで一番優秀な人のいる大学で学んだそうです。
ラテン語も巧みで、・・

講演の終わったあと、イタリアはバチカンのおひざ元だから、
さぞや真面目なカトリックがいるであろうと思い
「教会に行っていますか?」と質問すると、
ハンサム青年困った顔して、
「あまり行かない。年取った人が行っている。
毎週週末にはサッカーがあって、競技場や家庭のテレビで観戦するのだ。
それが宗教になっているみたい」と・・・・・

この話、ローマ法王さまにお聞かせしたい。

しかしまあ、これが事実です。

その現状の中で、70歳以上の私は、頑張ろうというのではなく、
終着はここねという感じでカトリックを選んだわけです。
夫はまた考えが違いますが。
夫はいつも何かしらの使命感を感じてなければ生きられない性分です。
それに向かって、突進したいのです。
75歳になっても。怠け者の私とは生き方が違うようです。

いずれにしても、どの分野においても、
日本の人口逆ピラミッドは今までの考えを大きく変えていくでしょう。

教会は建物ではありませんとはどの神父様も言われることです。
一人一人が教会なのです。
各々の神に対する結びつきなのです。
そして日毎の生き方なのです。

30年先どころか10年先、
どのように変化しているか想像もできませんが、
そのときこそ信仰とはいかなるものかが問われるのではないでしょうか。

外面的な形は変わっていくかもしれません。
そのとき、人間は内面において神と繫がるのかもしれません。


2015年8月12日

 

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