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2015年9月30日 (水)

南蛮音楽を聴きに高槻へ

http://gipsypapa.exblog.jp/6964809/

素晴らしい高槻教会の映像がありましたので

私のちゃちな写真は止めてリンクさせていただきました。

ありがとうございます。

約400年前の日本のキリシタンたちが神へ捧げた祈り、歌を聴きに
高山右近縁の教会、高槻カトリック教会に出かけました。
最近は夫婦付随ではなく、私一人ででかけることが多くなりました。
趣味も好みも夫婦では違うし、
元気といっても75歳の夫に無理は禁物だからです。
音楽、絵画、いわゆる感覚的美意識にかけては、夫婦は別ですから。
今までずっと夫に頼っていた私は
地図を片手に初めての場所でも行けるようになりました。
できるんですね。地図を辿っていけば・・・
お蔭で行動範囲が広がって、気持ちも大きくなったようです。
今回の高槻も初めてです。
(キリシタンとはザビエルの渡来によって
ヨーロッパから伝えられたキリスト教、およびキリスト教徒の呼称です)


ルイス・フロイス著「日本史」に出てくる高山右近は
やはりキリシタンでは一番に名をあげられるでしょう。
右近の影響でその当時の諸大名や武将は
キリスト信仰の道に導かれたのですから。
右近の生き方は一般地位も名誉も欲はない・・という生き方です。
当時の教養人である右近はその交友関係において、
キリシタン(イエズス会の宣教師による)の信仰を
主だった人たちに伝えたのです。
黒田官兵衛、細川ガラシャもそうです。


その当時西洋建築として実に見事な修道院やセミナリオが建てられました。
そこで奏でられた音楽、歌われた賛美の歌。
栄えある聖母よ、主の祈り、かくも偉大なる秘蹟をなど、
すべてラテン語です。
珍しい楽器、コルネット、サクバットドルツィアンなどで演奏しながら、
400年前の南蛮音楽を奏で、歌ってくださいました。
円いドームの美しい高槻教会の聖堂に聖なる歌声は響きわたりました。
聖堂の中の人たちはその透き通る美しい歌声にうっとり。
ああ、400年前のキリシタンたちはこの歌を歌い、
祈りを捧げたのだと何か胸を突き抜けるような感じでした。


今でも当時のキリシタンとは少し言葉はちがいますが、
主の祈り、アヴェ・マリアは同じです。
400年前のキリシタンと同じ祈りの言葉を唱えているのです。
生命を賭して信仰を守った人々と
平和と自由の中にいる者との違いはありますが。


一時、現実を忘れて、神秘の世界に浸りました。
あの世はあのような賛美の歌声がいつも流れているのでしょうか。
私はあの世に帰ったら、
400年前のキリシタンの人たちに会えるのでしょうか。
もし、そうなら。お話を聞いてみたいと思います。

**************

参考に:

1549年フランシスコ・ザビエルの来日は
ヨーロッパ音楽の日本への渡来の始まりであった。
ザビエルは大内義隆に鍵盤楽器を一台献じた。
3年後山口で「歌ミサ」が挙行された。
5年後、大分で日本人信徒による聖歌隊によって、典礼が行われた。
日本人は外来の音楽に強い関心を寄せ、
外国人宣教師たちが驚嘆するほど積極的に摂取した。
1581年の文書には有馬のセミナリヨに学ぶ日本人の少年は
オルガンで歌い、鍵盤楽器を奏し、相当なる合唱団ができ、
正式のミサ曲を歌うことができた。織田信長は安土の住院を訪れ、
日本人学生による洋楽器演奏に耳を傾けている。
 
(新カトリック大辞典より)


2015年9月30日

 

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