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2016年6月11日 (土)

父の日に思う

「心を尽くして父を敬え。
 母の産みの苦しみを忘れるな。
 お前は両親によって生まれたことを銘記せよ。
 彼らがお前に与えたものに、何をもって報いることができようか。」
              旧約聖書シラ書7章27-28(フランシスコ会訳)


母の日だけお祝いするのはいけないということでしょうか、
いつ頃からか「父の日」の祝いも定着しました。
お店も母の日が終わると、
さあ次は父の日だと商魂たくましくなりますが、母の日のように
すぐカーネーションと思い浮かばないのがちょっとこまりものです。


今日もミサに出て典礼聖歌を歌いながら、心から感謝しました。
夫とこうして並んでミサに出る日が来るとは想像もできませんでした。
あまりにも教会から離れていた期間が長かったからです。
再びこのような日が来るとは数年前までは思いもよりませんでした。
夫と信仰を通して知り合い、教会で結婚しました。
私たちの出発は教会から始まりましたけれど、数年で教会を去り、
その後40年以上の月日が流れ、再びまたそのようになりました。
お互い年取りミサに与るだけで精一杯です。
今の教会は沢山の人がいるので、奉仕は人任せですが、
ミサ出席だけは皆勤賞ねと夫と言い合っています。


遠い日、二人の父と母(実父と養父母)が
私たちの教会での結婚式に参列しました。
私の心は複雑で実父の出席を心から喜べないものがありました。
私は自分の境遇について誰にも何も話してないので、
二人の父がいることが他の人の手前恥ずかしく、
心から喜ぶことができませんでした。
養父母が実父を呼んだのです。
一人娘のはずなのに、姉や妹が出席している・・・
教会の人たち、牧師さん自身もどうなっているのか
よくわからなかったことでしょう。


二人の父は泣いていました。
大粒の涙を流していました。
苦労させ、心配させた娘がこうやって沢山の人に祝われて、
立派な結婚式をあげている。
実父は養父母に感謝したでしょうし、
養父は責任を果たせましたといったかもしれません。


昭和20年終戦の冬、実母が妊娠の身で腹膜炎を発症し、
2歳の私は養父母に世話になっていたのです。
実父は国の役人として
終戦の事後処理をしなければならず、
また自分の身もどうなるかわからない事情があったのかも知れません。(後公職追放)
二人の子供の世話をすることができなかったのでしょう。
母が亡くなった後も引き続いて
私は子供のいない叔母夫婦の世話になっていました。
そのまま小学校入学まで・・・2歳から6歳まで実父の姓のままで。
養父が私を育てている間に情が移り、
手放せなくなったかあるいは実父の再婚によって、そうなったか。
実父に頭の上がらない養父母に
私は押し付けられたともいえるかもしれません。
今となってはわかりません。


ただ、子供を残して離婚し、養父と再婚した養母(叔母)にとっては、
迷惑な話だったともいえます。
自分の子供を育てられないのに、兄嫁の子を育てるなんて・・
養母は自分の別れた子供の写真を隠しもっていました。
2歳くらいの可愛い娘(洋子ちゃん)と養母は写真を撮っていました。
写真の裏には「別れにのぞんで」とありました。
養母亡き後、私はその写真を見つけ、大事に持って帰りました。
子供を持った私には養母の悲しみがよくわかりましたから。


養父母の結婚はうまくいってませんでした。
あまりにもあらゆることに差がありました。
家には平和とか安らぎはあまりありませんでした。
養父の事業の関係から、家の中は戦場のようでした。
養母の死の後、養父は20年来の愛人と結婚しました。
私の実父の再婚、養父の再婚。
こんなこと経験できるのはめったにないと思いますが。
そもそも両親が全然ちがうことも、
あまり経験することはないかもしれません。


私は人間を信用しない無感覚でクールで、
内面は奥深くにしまい込み、仮面を被ったような人間になっていきました。
心の中では熱い涙を流しながら、
助けを求めながら、必死に実母を求め続けました。
母の所に行きたいと何度も願いつつ・・・


私のいろいろな思いとしがらみとは
60代になってようやく解放されました。
親や姉妹に引き離された子供は
殆ど一生、叶えられぬ本当の親を求めて、
血を吐くような思いで、表面には決して表さず生きていくものなのです。
産んでくれた親に代わるものはないのです。
なぜなら、自分という存在は
産んでくれた人がいない限りあり得ないからです。
「母の産みの苦しみを忘れるな。」です。


それでも今、私は過ぎし日を顧みれば
4人の親に感謝だけがあるのです。
養父母は私を思い、懸命に世話してくれた
(ときには嫌になったこともあるでしょうけれど)ことを
事実として感謝を持って受け入れ、
また私を離した親に対しても、それでよかったのだ、
だからこそ今の幸せがあるのだと心から思えるようになりました。


人生を逆に辿ってみれば、
今の幸せは過去の道があったからということがわかります。
人にはわからないそれぞれの事情があるからです。
そして現在の幸せは4人の親の配慮のお陰であるのです。
私の結婚式で泣いていた二人の父よ、
あのときは言えなかったけれど、
今「本当にありがとう。素直でなくて、すみません」と呼びかけたいです。
この気持ち、天に届きますように。


2016年6月11日

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