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2016年6月 3日 (金)

希望と苦しみの意味

http://www.nippon.com/ja/features/c02301/

永井博士について
夜と霧について
***********

*永井博士と夜と霧の内容を知りたい方は上記をご覧ください

この題名「希望と苦しみの意味」は
今日(29日)の講演「医師 永井隆に学ぶ希望と苦しみの意味」からの拝借です。
講演をしてくださったのは
上智大学神学部教授の片山はるひ先生です。
私の教会はサン・パウロという書店もありますが、
上智大学のキャンパスもあります。
教会と書店とキャンパスというあまりおめにかからない形態の共同体です。
ここに来れたのも神様の導きだったと深く感謝しています。
これ以上の環境を望みようもありません。


「永井博士を知っている人は?」と
大学生に聞いても数名だと先生は言っておられました。
私も「長崎の鐘」「この子らを残して」など若い時読みましたが、
すっかり忘れていました。
片山教授は永井博士の著書の中で次の三冊を特に勧められました。
「長崎の鐘」「亡びぬものを」「平和塔」であります。
さらに上智大学の学生に勧めるのはVE・フランクル「夜と霧」、
ヨハネ・パウロ2世「サルヴィフイチ・ドローリスー苦しみのキリスト教的意味」
ということです。


「夜と霧」は10代の頃に読んだはずでしたが、
あの時の衝撃だけは忘れません。
でももう一度読もうと思って新版が出ていましたので早速注文しました。
講演会で買った片山先生の「永井博士」を一日で読んでしまいました。
改めて、人間の魂がどこまで高貴な輝きをもつことができるかを
象徴ではなく、現実のものとして感じました。
科学者、医学者として放射能を一身に受け、
それが身体に及ぼす影響を冷徹な目で観察し、記録し、
それをカトリック教徒としての熱い信仰で包み、
多くの著作を書き、国内、海外に発信されました。


妻は即死、
自らも瀕死の重傷を負いながら、生命の尽きる6年間、
人々を励まし、尽力されました。
まだ小さいご自分の子供たちを育てながら・・
人間として苦しみを受けられました。
それは夜と霧のフランクルと同じ苦しみでありました。
これ以上ない悲惨、死の苦しみの中で、
人間の魂の尊厳を高らかに表したのが永井博士であり、
フランクルでありました。
お二人の経歴、体験、信仰、思想は私の拙い文では表しようがありません。
ぜひ一冊でも手にとり、お読みになるようお勧めします。
どんな状況、環境の中でも人間は人間であり、動物ではないということ、
その中で光輝く存在にもなりうるのだということを、
確かな確証として納得できると思います。

永井博士、フランクル、このお二人の共にいわれる言葉。
「人生はそれでもすばらしい」(フランクル)


「私はこの頃になってようやくこの世の美しさが見えるようになった。
すなおに見直せば、この世はこんなにも美しい。
私はこの世に生まれたことをしみじみ喜ぶ・・・」永井博士


フランクルはアウシュビッツの収容所で、
永井博士は原爆投下の長崎で自らの体験から生み出された言葉です。
片山先生は永井博士と夜と霧を通して、
冒頭の「希望と苦しみの意味」をわかりやすく、説明してくださったのでした。
講演の後は、何と大阪司教区の大司教前田万葉司式のミサが行われ、
有り難いことに大司教自らのご聖体拝領に与りました。
何ともいえない祝福された一日でした。


*********

追記

永井博士の所には多くの有名無名の人たちが来られました。
ヘレン・ケラーもその一人です。
ヘレン・ケラーは隆に手紙を送りました。
「長崎で私たちが手を握り合った日を思い出すと、心が暖まります。
そして不幸を通して私たちを支えて下さる神の御力が、
よきように働くとあなたが信じておられること、
悲劇的な体験に対する日々の印象を勇敢にも機会あるごとに
科学的な研究のために記録なさっていると伺っております。
ここに、肉体的な苦しみを克服して
精神的勝利を収められた証である、あなたのご本があります。
私は尊敬と賞賛の気持ちで一杯です」


また1949年5月昭和天皇は長崎巡幸をされ、
隆(永井博士)に会いたいと希望されたので
衰弱した隆は大学病院まで運ばれ、天皇は隆にお会いになられました。
このときのようすを新聞記者だった高原いたるさんという方が書いておられます。


「天皇は他の巡幸に比べて、とてもくつろいでおられた。
天皇は暖かいほほえみをたたえながら隆の著書について話かけられた。
また病状を気遣われ、影浦先生に隆の治療に関して
医療的な可能なことはすべて行うよう頼まれました。
それから、かしこまっている隆の子供たちに顔を近づけて、
目に光るものを浮かべて言われました。
『さあ、しっかり勉強して、立派な日本人になってくださいね。』
二人は緊張気味に『はい』と元気に答えると、
天皇はにっこりとうなずかれました。


隆は天皇の暖かさと心遣いに深く感動し、
歌人である天皇が別れを告げられたときには、
同じく詩人であり科学者である隆の目に涙があふれていました。
伝統に根差した日本の人々にとって、
その時、天皇がいかに大切な存在であるかを隆は思い知ったのです。


「天皇は長崎に巡礼にいらした。」と隆は書いています。
死者を悼み、傷ついた者を励まして私たちに言われました。
『長崎市民諸君、あなた方が受けた犠牲は同情に耐えません。
しかしながら皆さんの犠牲は平和を築く礎となるでしょう。』
隆がこれらの言葉をより納得できたのは、
天皇の衣服が一行の誰よりも質素な物に見え、
その顔に「熱い涙を流した者の強さと思いやり」を感じたからでした。

    パウロ・グリン著「長崎の歌」より


   2016年6月3日

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