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2016年9月 8日 (木)

聖人マザー・テレサ

マザー・テレサ

4日のミサ、M神父が満面笑みを称え、
「今日は嬉しい日です。マザー・テレサが今日聖人とされました。
列聖式がバチカンで行われ、私たちのW神父も参加されています」
と信者に報告されました。
過去に生きた古い人が聖人にされた例はありますが、
私たちの時代を共有して生きた一人のシスターが
聖人とされた例はありません。

マザー・テレサの名前は世界中に知られ
実像とは違うかもしれないイメージかもしれませんが、
清い人、慈愛の人、忍耐の人、謙虚な人などとして、
人々の心に生き続けています。
そもそも、聖人とされた人たちは聖人となった段階で、
殆ど人間味はなくなっていきます。
創造された人間像に近くなっていきますが、
だからこそ神的な存在として、
人々を導き、感化を与えることができるのでしょう。


私はプロテスタント育ちです。
カトリックに入りましたが、生まれたときからカトリックの人とは
感覚的に全くちがいます。
一歩一歩、一つ一つ確認しながら、
理解し受け入れられるものは受け入れていくというのが今の現状です。
疑問が解決できない場合も、それはそれとして、
わが道を行くという考えです。
カトリックの人が皆同じではないし、様々な考えに分かれていて、
それを許容し合っているというところに
一宗教を超えた普遍性を見るのです。


聖人とか福者とか、という言葉もウーンという感じでした。
プロテスタントでは人間を崇敬したり、
人間にとりなしの祈りを捧げることはありませんでしたから。


カトリック教会のカテキズム828項より・・・聖人について
「生涯において卓越した信仰の証しを残して死んだある信者を
“聖人として認め、全教会で崇敬されるよう
教皇が荘厳な決定宣言をすること。
広義の列聖はこれに至る審査過程も含む。
列福も同様である
教会は(ある信者たちが)諸徳を勇敢に実践し、
神の恵みに忠実に生きたことを荘厳に宣言することによって、
自分のうちにある聖化の霊の力を再認識し、
聖人たちを模範ならびに取次手として信者たちに示し、
彼らの希望を支える」とあります。


私はこう理解することにしました。
最終的には創造された人物像(聖人とはそうなっていく)であっても、
その理想とされる生き方に自らを照らしあわせて、
見習っていく指針的な存在として受け入れれば、
それは大きな喜びとなるはずです。
すべてのことをわが師として見るとき、
自分の小ささと足りなさに気づきただ沈黙しかないのです。
批判の前に良きものをわが内に受け入れよというのが私の思いです。


マザー・テレサは実際に多くの人を励ましています。
家族の介護で大変な日々、
「マザーのように」と言い聞かせて励んでいたノンクリスチャンの人もいました。
とくに家族や人のお世話で疲れている人が
「マザーのように」と言いながら、自分を励ましているのは事実です。
マザーに感化されて、生き方そのものを変えた人たち。
数えきれない多くの人たちが世界中にいます。
善に向けて人を変えていく力のある人・・・これからも変えていくであろう人。
・・・やはりそのマザー・テレサは聖人に相応しい方であると思います。


2016年9月8日

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