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2016年12月23日 (金)

現在の私の心境

今年もクリスマスがやってきます。
ジングルベルやきよしこの夜がにぎやかに流れていた以前と比べて、
歌や音楽もだんだん小さくなってきました。
クリスマスツリーもあちこちで飾られていますが、
正月の門松の前に置く、年中行事の一つとなっています。
日本の風物の一つとして定着したのかもしれません。
意味なんかどうでもいいのです。
これもお祭りの一つとして、日本人に受け入れられたのです。
それでいいのだと思います。


今年はいろいろ勉強しました。
一年を通すと約50冊以上の本を読んだでしょうか。
「何が知りたいのか?」と聞かれれば、
神的なものの生き方とでもいいましょうか。
私には盲信といっては失礼かもしれませんが、
何も考えずにただ信仰せよというのは、
不可能であると思えるようになりました。
同じことを考え唱えていても、
これはどういう意味なのかと調べたくなります。


今まではキリスト教徒として、
常に物事をキリスト教側から教会側からみていましたが、
逆から見るようになったとき、あまりの自分の無知に唖然とし、
愚者の極みとしかいいようのないことを白状しなければなりません。
逆からみれば、全く世界がちがうのです。
教会では信仰のゆえに殉教した人、
迫害された人が栄誉ある冠を与えられます。
賞賛されます。
けれども、キリスト教によっていかに血が流されたかは誰も語らず、
書物も少なく、教会に熱心になればなるだけ、
そういうことは信じられないことだと思えるようになります。
また触れる人はありません。


一年半前M教会で出会った某教授がいわれました。
「今のキリスト教はパウロ教ですよ。聖書は福音書だけでいいですよ。」と。
パウロはイエスに出会ったことはありません。
イエスの幻視に出会ったということです。
パリサイ派ではあるけれどギリシャ的思想を持っていたパウロが
創作した教義ということなのでしょうか。
キリスト教、イエス、ほむべき聖なるお方(神)この3つは
異なるものだということが私の弱い頭に注入されました。
そしてこれを学べよという課題が与えられたような気がします。
何かがまちがっているのではないか・・と。


来年私の読む本はまた違ったものになるでしょう。
私の疑問に答えるべく多くの本が出され、多くの翻訳書があります。
日本人の方々が出しておられます。
私は読ませていただくだけ、感謝しています。

2016年12月23日

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