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2017年2月25日 (土)

もう一人の私

今大好きなケルト音楽を聴きながら、書いています。
大好きです。ケルト音楽は日本人の心情と通じるところがあります。


林芙美子という有名な女流作家がいます。
放浪記の作者です。
彼女のかなり分厚い放浪記とエッセイの数々も読みましたが、
いろいろ教えられました。
個性豊かな、そして独立心の強い、
また生活力も備えた彼女でしたが孤独でした。
作家仲間からも、家族的にもそうだったのかもしれません。


表面は普通の顔をしていても、自分の奥深いところにおいて
その本体である私という孤独の部分をじっとみつめていたのでしょう。
人間は真剣に自分というものを見つめ、自分の内部を探求していくと、
そこに深い孤独のようなものを知ることになるのです。
でもそれを見つめるのが怖いと
表面だけの活発さを追い、逃げようとします。
物に人にすがっても、
あるいは私の場合証明不可能な神話的物語の中に無理に入ろうとしても、
私の内部のそれこそもう一人の私が拒絶してしまいます。


林芙美子は彼女はこんなことを言っていました。
「私は一人ではない。私の内部にもう一人の私がいる。私は私に話しかける」と。


私には彼女の言葉がよくわかります。
なぜなら、私の今までの人生でどうしょうもなくなったとき、
私は黙って自分に問いかけました。
自分自身へ、自分の名前を呼びながら・・
あれほど好きな書物にも頼らず、一切読まず、
人に聞くことなどもちろんなく、そして神にも助けを求めなかった。
やはり自分の中の自分の本体に答えを求めました。


不思議なことですが、私は神を信じてきましたが、
神に助けを求めたことはないのです。
鏡に映る自分が本当の自分ではない。
それは外皮にすぎないと思います。
死んだら消えてしまう肉体(外皮)が本当の自分ではありません。
それは本体(魂)である自分を覆っているものです。
人によって見栄えのよい服かそうでないかのちがいです。
私という本体はこの広大な宇宙に存在し、
生きとし生けるものの源である名をつけることもできない
大きな存在と結びついているのだと思います。


そこから命をいただいているのです。
それは一宗派の神のようなものではなく、
もっと広大な、そしてそれは外にも内にも充ち溢れた存在です。
ケルトの音楽を聴いていると、
空間に無限にそして自由へと大きく自分が広がっていくのを感じます。
内奥に潜む魂の躍動を感じます。


2017年2月25日

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