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2017年7月 5日 (水)

父の思い出2

人生の終わりに近くなってみると、
自分の人生で出会った様々な出来事は
すべて益になったのだとわかります。
どんなことでもです。
すべてがその人にとって、成長になるため必要なことだったのです。
よく人生行路を完了させるために、
人間の一人一人には誕生したときから守護者がついているといわれますが、
本当にその通りだと思います。

*********

農協の運輸の部門で次長までやっていて、多くの部下からも慕われ、
それなりに生活も安定していましたが、
養父は農協の運輸部門が無くなることにより、職を失ったのでした。
頭を下げることも、自分より能力のない上司のもとで働く気もなく、
生活のために慣れていた運送業の仕事を始めたのでしたが・・・(44歳)
資本も何もない、全くゼロからの出発でした。
普通の家が仕事場となったのでした。


その頃は日本が貧乏だった時期から徐々に上り調子になり、
国富も増し、オリンピックに向けて更なる前進に向かう時でした。
(60年前からのことです)
大きな団体組織を背景にしていた運輸の仕事と、
資金も何もない個人の仕事の大変さは今も昔も変わりありません。
商売とはお客様あってのことで、頭を低くする必要があるのです。
養父の場合いわゆる武士の商法でした。
よくケンカしてました。
やっと来てくれた運転手や助手とも。
どれだけの人が出入りしたことか。


収益のことを考えて、養父は夜間長距離輸送に踏み切りました。
地方と大阪間の物資輸送です。
今も夜大型のトラックが人の寝ている時間走っていますが、
その60年前は、今のように設備の整ったトラックではありません。
運転手も雇い主も日々戦いの連続でした。
小さな運送会社に来てくれる人は、よほど困った人間か世の中から外れた人間か、
農業や漁業の空いている時に来てくれるかの人たちで、
年中人探しの状態でした。


私が13歳から23歳で家を出るまでの10年間で、
普段はおめにかかれないような人たちが集まってきました。
その日から仕事にありつけるからです。
我が家はまるで人間のるつぼのような感じでした。
その当時のことを今では私にはよい勉強期間であったと懐かしささえ感じます。
まるで小説の中でしかお目にかかれないような出来事が次から次へと・・・
運転手、またトラックの助手の仕事をしてくれた人たちは様々でした。
一人一人の物語を思い出すと小さな小説が書けるほどに、
豊かなものですが、書ききれません。
私は10代の多感な、一番難しい年代に、
別の次元から来たような人たちを見る機会が与えられたようです。


世の中の矛盾が噴き出し、その問題のたまり場に人間が集まったような。・・
おそらくは聖書に出てくる、イエスを取り巻いた人々とも共通する小さきものたち、
迷える子羊のようなものであったかもしれません。
またドストエフスキーの世界に出てくる人たちとも共通するような・・
実の父の元では決して体験できない、人生のある一時期でした。
でも、私は知っています。
根が純真な人が多かった。
荒々しい人もいるけれど、
これほどの善人はいないというような、そんな人も・・


***********

いくつかのエピソードを思い出しつつ書き留めていきます。

「従業員人間模様」

深夜長距離輸送は60年前は運転手にとって過酷なものでした。
時間厳守で荷物を届けなければならないのです。
送り出す方も必死です。
間に合わなかったらもう仕事はこなくなるかもしれません。
運転手たちの多くは胃痛をかかえていました。
そして眠気と疲労と慰めのためについつい酒に手を伸ばし、
大事故へつながることも多々ありました。
飲酒運転は今も昔も処罰対象です。
信頼していた運転手が夜出発して、朝遺体となって帰ってきたこともあります。
それはどうしてだったか忘れました。


また妻のある口軽助手(それが災いしてか)が、
子供も生まれようとしているのに、朝死体となって帰ってきました。
他所の車とトラブルになって、殺されたとのうわさでした。
彼の妻は他県の人でしたが、大きなお腹をかかえて帰っていきました。
今もあの状況を思い出します。
本当にドストエフスキーの世界です。
ただ高学歴のニヒリストは1、2名を除いてはいませんでした。


またよ
く働く若者が来てくれて、とても助かっていました。
けれどかれはときどき定期的に休むのです。
そのうちその理由がわかりました。
刑務所に入って保釈され、ときどき近況報告をする義務があったのです。
ところが黙って来なくなってしまいました。
そのうち、様子がわかりました。
また何かコソ泥して捕まったというのです。
もう習慣化しているとしかいえません。
気がきいて、よく働く若者だったので、養父も残念がっていました。


ある日、得体の知れない
がっしりした大きな男が働きたいといってきました。
何か背景に普通ではない気配がありましたが、頑丈そうだし、
人手はほしいので雇いましたが、
さすがに養父は見抜いていたのか注意はしていました。
しばらくは何事もなく働きましたが、他の従業員のこそこそ話に、
彼は重大な事件を起こし、どうも入っていたみたいということでした。
その男、夜中に「金を貸せ。今からいくから」と電話か何かあり、
養父はさすがにどうしようかと考えたようでした。


養母と私と犬を二階に部屋に行かせ、階段の上り場にバリケードを築き、
ガラスを割って階段を上がってきたら、闘うつもりだったようです。
あるいは日本刀でやってしまったかもしれません。
男は酒を飲みながらやってきて階下のガラス戸をガタガタさせていましたが、
やがて引き返したようです。
あのときは、どうなるかと息をころしていました。
愛犬だけが忠実に吠えていました。
このような生活が珍しいことではなく、度々繰り返されたのです。


私は強くなりました。強いというより、冷めた人間になりました。
この世の生活に対して、希望どころか冷めていきました。
私にとって読書の世界が現実であり、
他は見ても、無感動な非現実世界のような感覚になっていきました。
トルストイとドストエフスキーの世界にのめりこみ、
特にトルストイのキリスト教に憧れを抱きはじめました。



2017年7月5日

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