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2017年8月17日 (木)

シーボルトの日本博物館へ

シーボルトの日本博物館の蘇り

今日も真夏日、
しかしまだまだ気力、体力?があるのか、外に気持ちが向かい始めます。
シーボルト日本博物館のお知らせが目に留まり、
かの有名なシーボルトが日本から持って帰った6000点のうち、
その一部が150年ぶりに日本で蘇るとのこと・・・
行かなければという思いがまたまた生まれ、夫をさそって出かけました。


場所は万博の中の国立民族博物館です。
我が家からみれば、生活空間の一部のような場所です。
しかしこの炎天下、会場まで徒歩15分かかります。
万博で会場までシャトルバスが出ているので、今日は初めて利用しました。
クーラーの効いたバスは快適、すぐ着きました。
バスのおかげで体力温存ができ、
かなり広い会場の全展示品を一時間半かけてゆっくりと見学できました。


これらはすべて、日本の物であり、
それも開国前の大変貴重なものです。
日本人の高い技術、その芸術性、
当時の人たちの高い知性に改めて驚嘆しました。
これだけの力を西洋がやってくる前に蓄えていたのですね。
その蓄えがあったからこそ、
短期間で西洋に追いつくことができたのだと思います。


幼児の玩具にいたるまで、細かな装飾が施されていました。
親の気持ちが伝わってきます。
仏像の美しさ、戦いに使われたというほら貝、数々の陶磁器、
そして何よりも世界一とされる、漆塗の工芸品は最高です。
西洋のきらきらと輝く色彩の工芸とは違いますが
その底光りする美しさ。


開国前の日本はどれだけ知力をしぼったかを想像されます。
長い歳月、大陸側からの影響はありましたが、
自国中心の世界観で生活して来たのです。
それが西洋という価値観も異なる大きな波が
日本を覆うことになったのですから・・
当時の方々は大変だったと思います。


有名なシーボルト事件も起こり、
シーボルトの日本の妻子もそれからシーボルトの弟子たちも、
関連する人たち50数名に悲劇が襲いかかりました。
自国を守ろうとする日本側、
未知の西洋の新しい文化を吸収したい日本の人たち、
その時代に生きた人々の悲喜こもごもの物語が生まれました。
シーボルトは自分に協力してくれた日本人に罪が及ぶことを恐れ、
日本への帰化を願ったのですがかないませんでした。


国外追放で故郷へ帰りましたが、
彼は本当に日本を愛していたのです。
学者シーボルトは日本に関する膨大な資料を持ち帰りました。

シーボルトが調査研究した分野は
宗教、政治、習慣、法律、地理、農業、音楽、歴史、風俗、
民族、薬草、言語、美術、医学、植物、動物、鉱物等。


また収集し持ち帰ったもの
硬貨、楽器、漆器、地図、書物、彫刻、玩具、絵画、
武器、武具、植物、工具、衣料品、調度品、陶磁器、日用品などです。
この持ち帰りの品々の一部が今回公開されました。


ヨーロッパで初めて日本の正しい姿を知らせたのはシーボルトでした。
彼は死ぬまでヨーロッパで日本博物館を開設するために働き、
それが原因で体力を消耗し亡くなるのです。
70歳になったシーボルトはまだ日本への思いが断ち切れず、
死の直前まで「わたしは平和の国へ行く」とつぶやいていたそうです。
ヨーロッパの人たちが日本への正しい認識を持てたのは、
シーボルトの貢献でした。
シーボルトの亡くなった日は私の誕生日。
何か特別に感じさせられる思いでした。


会館を出て、「どうする? バス? 歩く?」と夫と相談。
何か元気が出てきて、帰りはまだ暑い昼下がりでしたが、
・・駅まで歩きました。



2017年8月17日

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