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2017年10月 1日 (日)

奈良西大寺展へ行きました

あべのハルカス美術展で公開された「西大寺展」最後の日、
そんなに遠くでもないので夫と出かけました。
日本の仏像美術を見たいと思ったのと、
私の従妹が死ぬ2年前に「西大寺で会おうね」と言っていたのを思い出して、
せめて西大寺の仏像を見て、従妹の供養をしたく思ったのでした。
何度も西大寺に行こうよと従妹がいっていたのに、
私が重い腰をあげなかったのでした。
従妹は薬漬け(病院の)でフラフラしていたけれど、
私が彼女の心の寂しさを察して、いくら交通音痴の私でも
頑張って会えばよかったと今も心苦しく思っています。


海老蔵さんの音声ガイドを聞きながら、
秘仏といわれる仏像の数々をゆっくりと見て回りました。
かつてはどの仏像も金箔が貼られ、黄金色に輝いて、
極楽浄土へと人々をさそっていたことでしょう。
仏像は鑑賞するためではなく、
一体一体が信心のためであったと思います。
仏師は全霊をこめて、彫り続けたであろうし、
それを見る人々はただ頭を垂れて合掌したのではないでしょうか。


仏教のいう救済はキリスト教のいう救済とは少し違うかもしれませんが、
人々の苦しみからの救済を願って、寺が建立され、
仏像がおかれ、人々が救済を求めて集まったのです。
会場に鎮座している諸仏像も
その昔、人々の熱い信仰を受けていたにちがいありません。
仏像の一体、一体に
当時の人々の祈りがこめられているように感じました。
仏教寺院も西洋の荘厳な教会も今は観光のためのようになっていますが、
本来は信仰の場所でした。
神や仏に対する人々の内面的希求が建物として現わされたのです。
たとえ・・・・鑑賞展として見に行ったとはいえ、
そういう思いを持ちながら見ると
畏敬の念と有難いという気持ちが伝わってきます。


「西大寺展」は最後だったので、とてもにぎやかでした。


今、カトリック神父のペテロ・バーケルマンスが日本語で書かれた
「イエスと空海」を読んでいます。
神父は高野山大学大学院博士課程を修了されました。
また四度加行の最終修行もなさり、
またヨーガの指導研修も受けておられます。
分厚い本(443ページ)ですが、
仏教音痴の私にとって、とてもいい教導書です。
神父自身の体験から教えられています。
私の年齢(73歳)でも理解できます。
現在は仏教系とカトリック系の教育機関の間に霊的つながりができ、
お互いの専門家との間に深い友情が生まれているそうです。
すばらしいことだと思います。


仏教やヨーガ(霊的な)を勉強していると、
キリスト教の深い意味がわかってきました。
前から感じていたのですが、
カトリックはかなり内面的にも外面的にも
仏教に類似している部分があります
どこかで深いつながりがあるような気がします。
イエスの言葉は仏教の理解をもってさらに深められます。
信仰とは一生をかけての道なのでしょう。
それはどの宗教においても同じことです。


私は偏狭主義のキリスト教で育ったので、
なかなか多様性とか視覚的な像に対して、
抵抗のようなものがありましたが、
今はむしろ太古の昔から各民族が祈りの対象としてきた女神や神々、
聖人の像や絵に温かみと懐かしさを覚えます。
心がすごく軽くなりました。
我ながら驚く変化です。


2017年10月1日

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