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2017年11月20日 (月)

№238. カトリックとルーテル教会の和解

カトリックとルーテル教会が和解したというニュースがありました。

10月31日プロテスタントの宗教改革500周年を記念して

「500年の間に起こった対立において起こった互いの罪を認め合い、

一致に向けて働くことを誓う」という共同がなされたそうです。

(2017年11月12日のカトリック新聞)




カトリックとプロテスタントに分離したことは

キリスト教会だけの問題ではなく、

世界にも大きな影響を与えたと思います。

今地図を見ていても、カトリックの国とプロテスタントの国は

殆どはっきりと分かれ、その地域に対する影響は大きいと思います。

プロテスタントの代表は米国、カトリック国はやはりイタリアでしょうか。

これは教義の違いというだけではなく、

生き方、考え方、周囲との関係など、

人間に性格がちがうように、やはりかなり違っています。




それでもそれを乗り越えて、理解し合って、

一致していこうと努力することは進歩と思いますが。

でも多くのプロテスタントの教会は、

認められないという人たちも多いです。




私のように、初めはロシア正教に魅せられ、

それから米国式(宣教師)の教会に行き、

それから長い年月を経てカトリックに入ったものにとって、

イエスキリストと教会の教義問題は意味のないことのように思われます。

そんなことを言ったら、激しく怒られる方もおられるでしょうが。




プロテスタントの各教会巡り(真剣に探していた)

*プロテンスタト教会ではメソジスト系単立、日本基督教団、アッセンブリー、

バプテスト、聖霊派、アドベント教団、無教会も関心をもち勉強する)



最後になった教会の牧師さんは、説教の中で

カトリックは悪魔だとおっしゃっていました。

カトリックが悪魔なら、他の宗教もみな悪魔でしょうね。

この考えによると。

 

自分の所だけが正しいとする説教や言い分を聞いていると、

それは神の言葉どころかエゴ剥き出しの論理のように今は思われます。

宗教という仮面をかぶったエゴ・・・

他者を否定し、自分だけに正義があるとすること自体、エゴであり、

真実の神認識とはまったく異なると私は思います。

私自身ここまで来るのに長い月日がかかりましたが、今はそう思います。




だから過去には多くの過ちがあったけれど、

それを認めて、(カトリックは過去の間違いを公に謝罪しました)

謝罪した現在のカトリックの歩み方にはほっとさせられるのです。

 

いつかすべての人々が理解しあい、許し合い、

助け合うことができると信じたいです。

これは宗教だけでなく、すべてのことに対して・・・



2017年11月20日


 

 

 

 

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