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2017年12月27日 (水)

教会のクリスマスイヴ

街では一か月も前から、クリスマスが始まっているようでした。
立派なツリーが飾られ、クリスマスケーキの予約、
プレゼント等の購買意欲を増すために、
お店の人たちの努力は大変なものでした。
お店中が何かそわそわしてくるような感じでした。
遠い日、養母が「なんでキリストさんは、
こんなあわただしい年末に生まれなさったんだ」と言っていましたが・・
確かにそのような面はあります。
しかし、クリスマスは今では日本の風物の一部になった感さえあります。


どうして日本人はこんなにもクリスマスをお祝い?するようになったのでしょう。
何かほっとする暖かい幸せを感じるのでしょうか。
自分のことより、恋人、友人、家族など
誰かのことを考えるようになるのでしょうか。
「誰かのために」・・・
そのような気持ちにさせるクリスマスはやはり、
クリスマス(キリストのミサという意味)なのです。


「教会でもクリスマスをするの?」といわれそうです。
去年はいきませんでしたが、今年はあのイヴの雰囲気に浸りたくて、
帰りは遅くなるのですが夫と行きました。
40分も前に行ったのですが、次々と人が集まり、
入祭が始まる頃には400人を超えていたでしょう。
それでもそれは殆ど日本人だけであり、
その後は英語ミサがあり、外国の人たちがやはり何百人も集まります。
教会の中がいっぱいです。


聖堂の灯を消して、400人余の人たちがローソクをもち、
隣の人へと点灯していきます。
ローソクの灯だけになりました。
ローソクの灯のもとで歌う賛美の美しさ。
歌の下手な私も一生懸命歌いました。
そして神父さまの祈りの言葉。
今日は特別に振り香炉が振られ、聖堂が薫りで一杯になりました。


いつもの雰囲気とちがいます。
当然のことですが、イエスさまがここに
そして私の中におられると感じるのです。
できの悪い、素直になれない私だけれど、
それでも今まで私の成長を待っていてくださり、
またいまも待ち続けておられる聖なる存在に心から感謝しました。


若い人も沢山、90歳に近い老人の人も外国人の方も数十名。
心一つになる時です。
どんなに多くの人たちでも、同じ思いになるとき、
それは一つになっているのです。
人間の体は別々だけれど、内部から出る祈りと賛美は
不可視の世界で空間で一つになるのです。


神父さまは説教で「2017年間、平和のために祈り続けてきたのですが、
この世界は絶えずどこかで戦争があり、止むことはありませんでした。
平和の君なるイエスといいますが、イエスのいわれた平和とは
本当はどのような平和なのか考えてみたいと思います。
世界の平和のために祈ることは大切ですが、
まずわたしたちの周囲、
近い人たちとの平和のために努めましょう。」といわれました。


わたしはイエスの平和は自分の心の平和だと思います。
自分の心が平和でなければ、
愛とゆるしがなければ平和になれないでしょう。
平和の君イエス・・・私の心に真の平和が来ますように。


外はかなりの雨でした。
その雨の中を傘をさしながら、外国の方が教会へやってきました。
大勢です。肌のいろも様々。体形も様々。でも同じ思いです。


私たちも降りしきる雨の中を帰りました。
心の中に温かい灯をともして・・・



2017年12月27日

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