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2017年12月13日 (水)

命・・・最期の姿

今年7月に亡くなられた日野原先生は、
今も多くの方々から慕われ、先生の著書は書店に数多く置かれています。
優しいお顔と共に。
まだ生きて語っておられるかのようです。
業績の数々も多くて指折りをしても、はみ出してしまいます。
長い人生をまことに真摯に正しく、徳ある人性でもって、
日本国中の人たちに勇気を与え、慰め、また笑いも与えてくださいました。
お顔を思い出すごとに、温かい気持ちになります。


そんな先生の記事が10日の読売新聞に載っていました。
次男さんの奥さんで真紀さんのケアノートでした。
先生と生活を長く共にされ、
その最後の姿をご存じの方が書かれた、すばらしい文章でした。
その中で、これぞ先生といわしめるお姿が書かれていました。
先生は沢山の講演、著書、医師として多くの人命にかかわった方です。
並外れたお仕事をなさった方です。
けれど、この最後の先生の姿ほど心打たれたことはありません。


「義父は最期の一か月、目をつぶりお祈りの姿勢をずっとしていました。
牧師の家庭で育ったからでしょう。
亡くなる二日前には、もうきちんと胸の上で手を組めなくなりました。
その姿に神々しいオーラを感じました。
もう見られないと思い、「ごめんなさい」と言って写真をこっそり撮りました。
最期は安らかな姿でした。・・・読売12月10号


あれだけ行動力があり、活動なさった先生が死を受容されて、
ただ一人神に祈られる姿です。
神のもとに帰ろうとする一人の人間として、
神と対話し祈られる謙虚な姿。
この間の渡部先生もそうでしたが、
人は自分が死後生命ある存在として生きるという確信をもったとき、
心から平安を持ってこの世を去ることができるのだと思います。


人間は死ぬとき、真実の自分の姿を見せます。
最期はその人の生き様がやはり現れてくるように思います。
キリスト教では死は終わりではなく、誕生だと言います。
あるいはプロテスタントではよく帰るといいました。
故郷に帰るのです。
私たちはそこからやってきたのだから。
カトリックでは、あの世に誕生するというようです。
どちらも、あの世こそ(神の国)、私たちが生きる真の場所だといいます。


日野原先生は、魂の故郷へ帰られたのだと私は思います。
私も死は新しい生で、本当の故郷へ帰ることだと思います。
だから、死は悲しみではありません。


2017年12月13日

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