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2018年3月

2018年3月28日 (水)

№255. 天界の音楽

*ヒルデガルトのことはウキペディアでも詳しく出ています。是非検索してください。

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便利な世の中になったものです。

ずっと昔の人から見たら、魔法を使っているのではと思うのではないでしょうか。

アマゾンからヒルデガルトのCDを注文したら、はるばるアメリカから届きました。

よく見ると作られたのはEUです。

信じられない、速さで着きました。

値段も送料込みで、1000円ほどです。




ヒルデガルトの音楽をパソコンで聴いているうち、CDが欲しくなりました。

ヒルデガルトは実際に聴いた天界の音楽を譜面にしました。

そして神への賛歌である言葉を沢山残しました。

それを現代の歌手が歌い、世界中で販売しています。

天界の音楽を書き記した人なんて、そうあるものではありません。

ヒルデガルトは検索してみればわかりますが、ほぼ900年も前のドイツの神秘思想家です。

カトリック教会では聖人となっていましたが、さらに2012年に教会博士となりました。

とにかく、あらゆる面において、偉大なひとです。

やはり魂が清められるような、心安らぐ美しい音楽です。


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音楽とともに、今ヒルデガルトの膨大な著書の中から、

代表的な作品といわれる「道を知れ」と

「神の御業の書」のキンドル版を手にいれて、翻訳機に頼りながら、

驚くべきメッセージを読んでいます。
(英語キンドル版は夫が捜しました)

これほど、天界の有様を見て、聞いて、書き残した人は古今東西ないかもしれません。

恍惚状態や忘我の状態ではなく、あくまでも冷静、理性的な目で,その啓示を受けた方です。

謙虚な眼で、心で、読むとき、見えない天界の有様が

ごく自然に心の中というか、魂の中に入ってきます。

残念ながら、日本語訳は「道を知れ」の第2部しかありません。




ヒルデガルトは最近になって、ようやく今の時代に蘇った感じです。

今こそ、彼女が受けた天のメッセージが必要とされる時はないのかもしれません。

「預言者、科学者、音楽家、画家、詩人、医者、神学者、説教者、薬草学等々・・」

あらゆる分野に秀でた人であり、中庸ということを大切にした人です。


2018年3月28日

 

 

 

 

 

 

2018年3月20日 (火)

№254. 金婚の祝い

今日は春うららの日です。

新聞のお天気欄も太陽マークが一日中、輝いています。

急に思いついて、後回しにしていた、

私たち夫婦の金婚の祝いをしようと万博記念公園に行きまた。




実は金婚の祝いはどこかに旅行するとか、何かごちそうをと、

特別なことを考えてもいましたが、だんだん遊びや食べることに興味がなくなってきたのです。

喜びは一時的なものですから。

万博の近くにあるエキスポ阪急ホテルのカレーとコーヒー、ケーキを、

ホテルの美しい庭をみながら食べること。

そして念願の関西一といわれる観覧車に乗ってみたいということ。




これが「ねえ、金婚の祝いだけど、何する?」と夫に聞かれて、私が言った希望です。

「ははん?ホテルの食事は理解できても、観覧車?」と、夫は不思議そう。

万博の観覧車は大きくて、高くて、かなり遠い所からもよく見えます。

私はあの高い所に上がって、大空を見てみたかったのです。

空が好きなのです。

それは広くて、大きくて、見ているだけで、心身ともに溶け込んでいくようです。

子供のとき、よく草や藁やレンゲソウに寝転がって、空を見つめていました。

空が大好きでした。

だからこんなに年取っても、もっと近くに行きたいなと思ったのです。




私は空の奥の奥に、私の故郷があるようなそんな気がするのです。

そのように想像するのです。

このささやかな夢は実現しました。

観覧車に乗って喜んだのは結構夫でした。

あの高さから見る景色はすごいですよ。

あ、それからホテルの食事もすてきでおいしかった。

阪急ホテルのカレーは有名ですよ。

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「どうして私を見つけんだと」と夫。

「神さまが導かれ、与えたの」・・・これが私の答えです。

結婚は人生の一大事です。

これによって、人生の大半が決められるといっても過言ではありません。

特に「私はクリスチャンとでなければ結婚しない」と宣言していましたので、祈りは真剣でした。

毎日、夜遅く、暗い空に向かって、時には星や月の輝く夜空に向かって、神様に祈りました。



一年経った頃、ある日、揺るぐことない確信が私の内部に与えられました。

答えられたのです。

そうして私は田舎町から大阪へ出たのです。

それからの導きはただ不思議でした。




出来上がった者同士の結婚ではありません。

でも、神様の与えられた人、私の願いをかなえて下さったのだ・・・それは真実なのです。

結婚式の誓いの言葉は形式ではなく、真実の言葉です。

もう一度あの言葉を思い出して、言葉が実のなるように、最後まで努めたいと思います。

今日は良い日でした。

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再び誓いの言葉・・・金婚の祝いに


健やかなるときも、病めるときも、

喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、

貧しいときも、これを愛し、これを敬い、

これを慰め、これを助け、

死がふたりを分かつまで、真心を尽くすことを誓いますか?

 

「はい」



2018年3月20日

2018年3月11日 (日)

№253. 十字架を負いて

今日のミサのお話は、素晴らしい教えでした。

スリランカ人のB神父さまでした。

静かな、謹厳な、瞑想的な方です。




聖書の中にこのような記述があります。

「さて、イエスを引いていく途中、兵士たちは、

田舎から出てきたシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を負わせ、イエスの後から運ばせた。」

マルコによる福音書21(フランシスコ会訳)
*イエスは十字架を負う力がもはやなかったからである。




この聖書のお話で、キレネ人シモンはたまたま通りかかって、

十字架という忌まわしい木を背負って刑場にいくことになった。

彼の人生はこの不意の出来事のために、すっかり変わってしまったかもしれない。

どうしてと思っただろうが、彼は抵抗もせず、イエスに代わって負っていった。

そのようにわたしたちの人生も自分の予期しないこと、したくないこと、

それがやってきたとき、このシモンのように黙々と従えるかということです。

十字架を負うということは、たいてい自分にとって、嫌なできごとだからです。

というお話でした。




ミサの後、100円のコーヒーを飲もうとして、丸テーブルにおいしいコーヒーを運びました。

隣の方に(もうここは長いのですか?」と私が聞くと、

70歳を超えた方ですが、「いいえ、3年ほど前からです。」

よく見ると杖をもっておられる。

足が悪いのかと思って(大丈夫ですか?」と聞くと、

「はい、40分歩いて教会に来ました。また歩いて帰ります。

ロザリオの祈りを唱えながらです。それがちょうどいいのです」




私はびっくり。
今日は寒いの、暑いの、歩く距離が遠いのとぶつぶつ言うわたしなのに、

この方は一週間2~3回の腎臓透析を受けながら、

今も他の身体の異常をかかえながら、顔が輝いています。

「すべて、感謝です。本当に感謝です。」と。




お話を聴きながら、またまたびっくり。

お産のとき医療ミスで半死半生になり、今も後遺症があり、その体で働き、

義母にいじめられながら、子供を育て、その間もいつも神様に感謝していました。

そして周囲の人のために祈りました。

いじわるだった義母が死ぬとき「わたしは意地悪したのに、あなたは少しも変わりなかった。

すまなかった」といいました。

そして夫も、義母もカトリックの洗礼を受けてなくなりました。

わたしは恨んだことはありません。

いつも神様に感謝していると、本当にいいことばかりがやってきます」




私に一番足りないことを今日は教えられました。

生きた体験のお話です。

心があんなにきれいだと、顔が輝くのですね。

教えられました。

今日から私も感謝ということを忘れないでいこう。




夫と教会を出たとき、あの方が杖をついて、歩いて帰って行かれるのを見ました。

幸せな方です。


2018年3月11日

2018年3月 2日 (金)

№252. 私と洗礼

この前も書きましたが、3月31日の復活徹夜祭において、

新しいカトリック教徒の方々が仲間にお入りになります。

関係のない方には、何のこともないのですが、

自分の信ずる道へ進んでいく決意は、おそらく生涯で最も大きな出来事なのです。

赤ん坊が母の胎から(オギャー)と言って生まれる誕生も、大きな出来事であり、

出発でありますが、洗礼も霊的な世界においては、誕生と同じことなのです。




私は引っ越しは10回ほどしましたが、その混乱と混雑の中においても、

忘れないで、失くさないで大切に持っていたものがあります。

洗礼証明書です。

私が10代の頃から通い、そこの教会で授けられた受洗の証明書です。

1965年4月18日(復活祭)21歳でした。

授けて下さったのは、尊敬する米国人P宣教師でした。

53年も前のことです。




私は教会に行くこと、キリスト教を信じることに、家族、周囲から反対されていました。

養父母、実の父、誰一人いい顔をしない家族や身内の間で、

小さくなりながら、それでも教会に通いました。

ときどきは一人戦う緊張に疲れ果てながら。

それでもある時勇気をもって「洗礼を受けたい」といったら、

叔母が北海道の旭川からすっ飛んできました。(鳥取県まで)

北海道は修道院の多いところで、てっきり私がシスターになると思ったのでしょう。

そうではないと知って帰っていきましたが。(でも激しく反対)

もし私が若い日に行った教会がカトリックであったら、

本当にシスターになっていたかもしれません。
(私には教会の種類や区別はわからなかった)




教会(プロテスタント)の教会に通い出して8年目、わたしは親に黙って洗礼を受けました

浸礼しか認めない派であり、教会員の皆様が見ている前で

洗礼用の風呂より大きい水槽のようなものの中に入り、

私は白いガウンを着て、P宣教師にすべてをゆだねて、全身水に浸されました。

あのときの感激と喜びを今も思い出します。

洗礼証明書はもう古くなり、黄いばんでいます。

でも私の宝物です。

優しく、暖かかった宣教師の思い出とともに。




そして2015年4月4日、私はカトリックの洗礼(滴礼)も受けました。

プロテスタントはルター派や聖公会は知りませんが、洗礼名はありません。

カトリックで私はソフィア・エリザベトという名をいただきました。




実はカトリックの神父さまたちの多くは

洗礼はどこで受けてもそれが正しいものだという考えが多いのです。


だから、プロテスタントからカトリックに代わるときは

堅信礼というものを受ければいいとされますが、

私がカトリック入門講座を受講した教会の神父さまは、

カトリック以外の洗礼は認めない主義の方でした。

わたしは別に抵抗もなく受け入れました。

カトリックに入るにはその方法しかないと思いましたし、

カトリックの洗礼を経験したいという気持ちもありました。




ということで、何の恵みか浸礼と滴礼を受けたわけです。

今でも浸礼か滴礼かと論争しあっている方々がおられるのに、

わたしは2つの洗礼を受けたのです。

論争など私の中ではあり得ません。

神さまは、心の狭い私だからこそ、小さな問題にこだわり、

躓かないために、両方の体験をおさせになったのでしょう。




浸礼は全身の感覚の体験、

カトリックの荘厳なミサの中で受ける滴礼はまた格別です。

魂の内部が震えるような。

私の小さな(大きいかな)経験が何かお役に立つでしょうか。

どちらも神聖で大きな神さまの恩寵です。

額の中にプロテスタントとカトリックの受洗証明書が仲良く入っています。

P宣教師とM神父さまの名前が書きこまれています。

2018年3月2日

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