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2018年6月

2018年6月28日 (木)

№261. 本、言葉の紹介 聖母文庫の紹介

https://bookmeter.com/books/337228

アウシュビッツの聖者コルベ神父の本の感想です
聖母文庫の本はアマゾンで検索すると沢山出てきます。
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1930年4月24日、

長崎に上陸したマキシミリアノ・コルベ神父は、

ただちに早坂久之助助司教を訪ね、

出版物によるキリスト教宣教の許可を願いました。


長崎到着の一か月後、

月刊「無原罪の聖母の騎士」1万部を出したのが、

コルベ神父の日本での出版宣教のスタートでした。

それから約6年間、コルベ神父は昼夜をわかたず、

「聖母の騎士」の出版に心血を注ぎました。

難解な日本語の活字を一本一本苦労して拾い、印刷しました。

コルベ神父のモットーは、一冊でも多くの「聖母の騎士」を出すことでした。

そのため、質素な生活に甘んじ、全精力を出版活動に傾けたのです。
・・・・聖母文庫発刊にあたってより


それから88年、聖母文庫として、

今もなお、良質な正統派の書物を、

廉価な持ち運びやすい形として提供されています。


*アマゾン等で聖母文庫を探されると、
かなりの量と種類の本が出てきます。
ご自分にあった願い通りの本が手に入るかもしれません。
今、私が読んでいる本の中にも、数冊の聖母文庫があります。

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「コルベ神父のその後」

日本の長崎に来て6年後、

神父はポーランドに帰らなければならなくなりました。

ポーランドで大規模な活動をしていましたが

第二次世界大戦が始まり、ナチスに逮捕されました。

その地獄の収容所(アウシュビッツ)で、一人の仲間が脱獄し、

すべての囚人は炎天下に一日中直立不動の姿勢をとらされ、

その中で10人が餓死刑を受けることになりました。


10人が選び出されました。

選ばれなかったものはほっとしたのです。

10人のうちの一人が、泣き悲しんでいました。

そのとき、

「お願いします。私は彼の代わりになりたいのです」と申し出たのが、
コルベ神父でした。

コルベ神父の申し入れは聞かれ、地下牢に素っ裸で入れられました。

そして、地下牢からは救いを求める叫びや呪いではなく

静かな祈りのささやきでした。


ナチスの兵にとって、

コルベ神父の目に輝く平和と静けさは、耐えられないものでした。

14日後、生き残っていたのは、4人で、

意識のはっきりしていたのはコルベ神父一人でした。

4人は毒物の注射で殺されることになり、

コルベ神父は自分の腕を自ら差し出し注射を受けました。

後ナチスに強いられて手伝った囚人の一人が

「私が入ってみると、顔は輝き、目は天を見つめたままで壁によりかかり、

コルベ神父は死んでいました。

その姿は高潔そのものでした」と語っています。


神父はカトリックで、聖人とされましたが、

これは「奇跡」といわれています。

神父は47歳でした。

1941年の夏、天国に召されました。

 
このコルベ神父の詳しい話も聖母文庫に何冊かあります。
「アウシュビッツの聖者コルベ神父」、「ながさきのコルベ神父」 


キリスト教に触れたい方、生きる指針として読んでみたい方、
そして信仰を深めていきたい方、
聖母文庫の何れかの本が心に喜びを与えることと思います。

 

2018年6月28日

 

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2018年6月19日 (火)

№260. 本、言葉の紹介3 見えないものを大切に

「見えないものを大切に」の紹介です。


澤田昭夫著 聖母の騎士社出版 337ページ
澤田昭夫教授 1928年10月5日―2015年3月24日
 歴史学者、筑波大学名誉教授、近世英国史・ヨーロッパ史、
トマス・モアの研究、カトリック教徒


・父は沢田節蔵:外交官(元国際連盟日本代表・ブラジル大使)、
 東京外国語大学初代学長
・夫人は沢田マルガレータ:元愛知大学・タカチホ商科大学教授、
 ケルン大学経済学博士
・叔父は沢田廉三:外交官(外務次官を2度務め、初代国連大使)
・叔母は沢田美喜:エリザベス・サンダーホーム創設者、
 男爵岩崎久弥の長女
・実兄は沢田和夫:カトリック東京教区司祭
・実弟は沢田寿夫:パリの国際仲裁裁判所副所長 2016年死去


●1987年来、
「心のともしび」運動のラジオ番組「太陽のほほえみ」のために、
毎月書いてこられた14年分の原稿を、
聖母の騎士社が文庫本として出版したものです。
 簡潔にしかも内容深くまとめられた文章は、
信仰、仕事、罪、平和、落胆、孤独、平等、心の財産、聖母マリア、
苦しみ、個人主義と利己主義、心の平安、常識、復活、癒し、
わがまま、勤労、負けて勝つ・・・など素晴らしい言葉の数々ですが、
その中で、「死を考える」を紹介させていただきます。

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「死を考える」 

人は生きるためにある存在です。

ですから人間が死を嫌い、死にたくないと思うのも当然です。

しかし、死ほど確かなものは世の中にありません

いつ来るかは分からないが、必ずやって来ます。

ですから死とは何か、人は死後どうなるかについて

知れるものなら知っておくほうが、

死に対して目をつぶって知らぬふりをするよりも大人らしい態度でしょう。




ところで、死後の世界について語ってくれるのは、

死んでから復活した人以外にはあり得ません。

大病して「死後の世界を垣間見た」などという

センセーショナルな体験を書く人がいますが、

その人もほんとうは死んではいないのですから、

死の体験談にはなりません。




死んで復活した人はふつうの人間には誰ひとりいないのです。

ですから、私たちは死後の世界について、ふつうには知りようがないのです。

死んでから復活した人間はひとりいます。

ただしふつうの人間ではなく、人間であると同時に神である人、

すなわちキリストです。


そのキリストは、神の教えを信じ、その掟を守るなら人は死んでも復活し、

永遠の生命に恵まれると約束なさいました。

永遠とは長い時間のことではありません。

時間は過ぎ去るもの、はかなさのしるしです。

永遠とは時間のない状態、時間を越えて、くち去ることのない状態です。




死ぬとは、その永遠の生命の世界に

新しい「霊の体」をもって生まれ変わることです。

現世での命日は、新しい世界への誕生日です。

しかしそうなるための条件は神の掟を守ることです。




その掟の最大なるものは、

現世で神を大切にし他人を自分と同様に大切にすることです。

「よく生きることがよく死ぬこと」という格言のさとす通りです。


*6月18日 大阪で地震発生しました。

私の住む豊中はその一番強い直撃を受けました。

揺れ動く瞬間、まずどこに自分の体を置けばいいか考えました。

テーブルの下、電気の傘のないところとか考えているうちに揺れは収まりました。

急いで玄関の戸を開けました。

私には死の迫った地震だとは思えませんでしたので、

まだ私には生命が続くようです。感謝しました。

幸い物は少々倒れましたが、阪神の震災のときほどの被害もなく、

私は守られましたが、大変なことになった人たちも多くおられます。

 

勇気と慰めが与えられますように。

 

2018年6月19日

2018年6月 9日 (土)

№259. 本、言葉の紹介 「カトリックの終末論」

今日のご紹介は、「カトリックの終末論」です。

里脇浅次郎著、聖母の騎士社(聖母文庫)発行 )P143
*アマゾンで入手できます。


自分の死後のことを何ら考えることなく、この世を謳歌し、

そうでなくても生きるのに精いっぱいで

そんなわけのわからないこと考えたくないと言う人も多いでしょう。

死は誰にでも来るけれど、考えたくないというのが普通かもしれません。

わたしのように小さいときから、死を身近に考えていたものからは、

とても不思議ですが。




この本に書かれていることは,ヒルデガルトの終末とほぼ同じようなものです。

彼女は、その天界の有様を「見た。聞いた。」として書き、

細密画を多く残しています。

典礼や歌、細かいことは時代の流れで異なっていますが、核心は同じです。

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本書まえがきより、
P1~「何事をなすにも人生の終わりを思え、そうすれば罪を犯すことはない」
シラ書7―36


終末論は、神学全体の結論である。あるいは、本論とも言える。

今次の公会議も、教会憲章の末尾に

次のように終末に関する伝統的な教えを要約し、再確認した。


1,
「私たちは地上の生活の一回限りの行程を終え」(48-4)死、

2,「各自生存中に行った善悪について報告するために、キリストの法廷に立ち」(同)(私審判)、

3,「善を行った人は主と共に婚宴に入り」(同)(楽園)、

4,「悪人は主を離れて、永遠の火に入り」(同)(地獄)、

5,「救い主イエズス・キリストの栄光の到来」(同)(再臨)、


6,
「善人は生命のために復活し、
悪人は滅びのために復活する」(同)(死者の復活)、

7,「生者と死者を裁く」(現代45-2)(公審判)、

8,「世の終わり」(教会48-4)(世界の終局と一新)、

 とこれが本書の要約であり、1-8までの詳細が本文で述べられています。




そして、著者の言葉として、

「自分の死さえ体験することのできない私たちにとっては、死後の世界は全くの謎である。

啓示されたことも、黙示的かつ比喩的な言葉で表されているので、

その実体がどのようなものか知ることができない。

しかし、実体の存在は信仰の光に照らして知ることができる。」とあります。


けれど、この神の深い謎は約900年前、ヒルデガルトを通して明かされました。

今少しづつ、「道を知れ」の英語版を訳して、理解しようとしています。

神秘の謎が解きほぐされていきます。

ぼんやりとしていた、手ごたえのなかった信仰に知性と理性と意志が加わっていくようです。

何よりも、物事の善と悪がはっきりして来て、やはり聖霊の働きと悪霊の働きを感じます。



ヒルデガルトの3部作のうちの2部、

「命を得るための書」と「神の業の書」もいつか読まなければと思っています。

夫は同じものを、英語版、ドイツ語版、ラテン語版から読んでいますが、

私はよちよちと英語からのみです。



2018年6月9日

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