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2019年10月29日 (火)

№270. 神の導きによって

 

は決して、いわゆる「かかあ天下」ではありません。

けれども、何かが頭に強烈に閃くのは、いつも夫より私の方なのです。

そうして、閃くと同時に行動に移すのが、私なのです。

夫は、私が行動に移した後、2-3か月してから、同じ方向に歩きだすのです。

それは、私が決意したら、もう動かないと思うからかもしれません。

けれども、最近夫は2-3か月ではなく、一週間もしくは、2-3日で同じ方向になります。

 

夫・・「どうしてアウグスティヌスに辿り着いたのだ?」

私・・「岩下壮一師が教えてくれたのよ」

 

夫・・「岩下壮一師をどうして知ったの?」

私・・「澤田昭夫教授の本よ」

 

夫・・「澤田昭夫をどうして知ったのか?」

私・・「現代カトリックの大きな問題点を調べていたら、澤田昭夫教授の論文を見つけたの。

    ネットでね。その問題点について、詳細に書いてあったの」

 

私たち夫婦は、こうした会話をしました。

この会話の一連の流れが、アウグスティヌスまで到達するには、約二年かかりました。

この私の大きな問題、大きな疑問が、最終的に真理へのゴールに導きました。

私はこの問題点に少し触れましょう。

今ではこのことは、かなり克服し、自分で正しいとされるものを学んでいるので、

大きな疑惑に近づいても、前ほどおたおたしなくなりました。

 

私は、現在のカトリックの教えとあり方に、かなり悩みました。

けれども、アウグスティヌスのいうように、この世の教会は、天と地の要素が混在していて、

地球の終わりの日まで、それは続くのだということを納得し、受け入れることができました。

*天は天の国で、神を信じる清められた善き霊の存在するところ、

 地はこの世のことで、欲望のままに生きる肉なる生き方を表す。善き霊と悪の霊の混在する所、

 

教会はこの世においては、決して完全に聖なる場所ではなく、私も含めて、

キリスト信者の心の中も、天なるものと地なるものが混在し、戦っているのだということです。

また、それを許されているのは神であり、戦いの中でこそ、真実なるものが鍛えられるからです。

 

現在のカトリックは公教要理を教えません。

岩下神父はこの公教要理について、詳細なる本を遺しました。

1000ページもある、「カトリックの信仰」です。

私は、公教要理は、カトリックの要であり、柱だと思っていたのですが。

これなくして、カトリックの信仰がわかるのでしょうかと私は思いますが。

教会が教えなければ、自分で学べばいいというのが、今の私の生き方です。

そのための資料や書籍は、カトリックの書店にいつもおかれているのですから。

 

アウグスティヌスの天の国、地の国は「神の国」と題して出されています。

邦訳で1巻から5巻まであります。

アウグスティヌスの厖大な書籍の中から、「神の国」が一番学びやすいように思えます。

私はアウグスティヌスの書簡、キリスト教の教え、告白、ヨハネによる福音書説教、

共観福音書説教、初期哲学論、神学論、神の国の3巻、4巻、5巻を読みましたが、

やはり神の国から読んでみるのがいいと、私には思われます。

沢山の項目別があり、それぞれ説明されているので、

読みたいところを読む方法もありますが、私はだいたい通して読みます。

ときどき、少しづつ、学んで私なりに考えたことを書いてみたいと思います。

 

神、悪魔、天使、人間と人類の創造、神の永遠の約束、死の起源について、

自由意志による堕落、楽園における生活等々・・あらゆる方面に及んでいます。

 

なお、澤田昭夫教授著「革新的保守主義のすすめ」PHP研究所発行も、

とても参考になりました。

 

 

2019年10月29日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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