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2019年11月12日 (火)

No. 272 禍と幸福は善人にも悪人にも

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禍福(わざわいと幸せ)は、善人にも悪人にも等しく加えられる

(神の国第一巻第8章の標題)

 

「なぜ、神は憐みを悪人(神に対する不敬虔、不義理)にも及ぼすのか」

という問いに対して、アウグスチヌスは、

「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくないものにも雨を降らせてくださるからである」

マタイによる福音書5:45

 この言葉の通りに父なる神が、それを与えておられるのだからとしかいえない。

他にどういう理由があるであろうか。と答えています。

 

私は聖書の中によく書かれる善人と悪人という意味を2~3日よく考えてみました。

これは簡単なことではありませんでした。

なぜなら、私は善人で悪人は他の人ということなら、すぐに浮かんできますが、

誰もが自分は善人で他者は悪人となれば、すべての人間は善人だけということになり、

これでは善人と悪人の区別がなくなります。

善人と悪人を本当に区別できるのは、

人間ではなく、神のみしかできないのではないかと思うようになりました。

 

それで、私はこれをすべての人間というように理解することにしました。

善悪をもった、すべての人間という意味で。 

幸運や不幸は、すべての人間に同じように、やってくるけれど、

その受け止め方がまったく異なるのではないかということです。

 

善人にとっては、

「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。

満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、

いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。

わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしはすべてが可能です。」

聖書フィリピの信徒への手紙5:12-13

 

普通の生活をしている人が突然大金を手にして、堕落の道に落ちていく。

あるいはお金に心がとらわれ、お金が神様となっていく。

富を処する力がなければ、それに負けてしまいます。

けれども、上の聖句にあるように、対処できる人間もいます。

貧にも富にも、決して魂を売らない、揺れ動くことのない人間もいます。

 

苦しみもそうです。

同じ不幸の衝撃は、善人を試すことになり、魂が浄化されるのに、

悪人の場合は彼を混乱させ、破壊していく。

善人は苦難の中にあっても神に祈り、賛美する。

悪人は神をののしり、冒涜する。

それゆえ、これはどんな境遇の中にあっても、

その人がどのように対処できるかということだとアウグティヌスは言います。

同じ運命の中に生きながら、ある人は汚物のような臭いがするのに、

ある人は芳香を発するということです。

 

これが善人であるか、悪人であるかということであり、

誰もが善人にもなれば、悪人にもなるということではないかと思われます。

これに対処する秘訣は、なかなか個人の力では無理であり、

神の憐みにすがらなければ不可能に近いと思います。

 

教会の中には、私では耐えられそうもない境遇の中にあっても、

いつもニコニコ感謝して、毎日を送っている人は沢山います。

私が模範とすべき人は沢山います。

治癒しない病気の人、自閉症の息子と暮らす母、誰にでも来る老人特有の問題、

経済問題をかかえている人等々。

 

一般社会の人と教会の人たちも、等しく同じ喜び、悲しみ、苦悩を味わいます。

けれども、どんなことにも神への信頼と感謝が、現状の生活を生き抜く力となっているのでしょう。

教会の中で素晴らしいと思うこと。

不平的会話を聞いたことがないということです。

私もそうなりたい!

 

2019年11月12日

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