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2019年12月24日 (火)

No.278 降誕

Img0117 私の敬愛する、名誉教皇ベネディクト16世の著書「ナザレのイエス」より、

降誕に関することを取り出して見ました。

イエス・キリストの降誕についてキリスト教信仰あるなしに関わらず、

少し考えてみるのもよろしいかと思います。

俗世に浸かった私たちのハートが、聖なるものに触れるとき、

普段味わうことない根源的な喜びが湧き起って来るかもしれません。

春秋社発行「ナザレのイエス:プロローグ降誕」

 

マタイによる福音書、ルカによる福音書よりの講話を参考にして

 

マタイによる福音書は、イエスの誕生の物語において、ヨセフはイエスの父ではないこと、

ヨセフはマリアが姦通(ヨセフとマリアは婚約していた)したと誤解し、

ひそかにマリアを離縁しようとしたと記しています。

そこでヨセフに夢で告げられたことは、

「ダビデの子ヨセフ、おそれずに妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」

マタイによる福音書1:20ということでした。

 

この言葉によって、マリアの子は男によるものではなく、

聖霊によってなった新しい創造なのです。

ヨセフは、イエスの法的な父親です。

けれども、マリアの子は、「上から」、神のもとから来るのです。

神のみが本来の意味でのイエスの「父」なのです。

このマリアにおいての新しい創造において、人類は新たに始まるのです。

 

イエスの起源?は、イエスは「どこから?」は、

イエスは「始め」そのものであり、すべてのもの(宇宙万物)がそこに根拠を持つ始原であり、

世界を秩序あるコスモスとする「光」なのです。

彼(イエス)は、神から来たのです。

彼は神です。

わたしたちのところに来られたこの始めは、始めそのものであり、

そのようなものとして人間存在の新たなあり方を開くのです。

「彼を受け入れた者たちには、彼は、神の子となる力を与えた。

彼の名を信じるすべての人たち、血によらず、肉の欲によらず、

人の欲によらず、神から生まれた者たちには、彼は、神の子となる力を与えた」

(ヨハネによる福音書1:12-13)

この文章は、マリアの処女懐胎とイエスの出生を示唆しています。

 

イエスを信じる者たちは、信仰によって、

イエス個人の新しい起源、根源の中へと入っていくのであり、

この起源、根源を自分のものとして受けいれるのです。

俗世から生まれた者たちも、この信仰によって新しく生まれ、

彼らは、イエス・キリストの血統の中へと入っていき、

それが彼ら自身の固有の血統となるのです。(神の子となる)

キリストにより、キリストへの信仰により、彼らは今や神から生まれたものとなるのです。

 

イエスがヨセフから生まれたのではなく、真実、聖霊により、

処女マリアから生まれたと同じように、私たちの真の血統はイエスへの信仰であり、

私たちに新たな起源、根源を与えるものです。

この「神から」から生まれた者とする信仰をもつものがキリスト者なのです。

という少し難しい話になりましたが、降誕はこの「神の子」が生まれたということです。

全人類の祖であるアダムから発して、全地に散っていったすべての民族、すべての言語、そうです、

降誕は、アダムから発する全人類をご自身のうちに再び集められたことを示しています。

 

降誕祭であるクリスマスは、実に大きな意味があるのだということ、

それは私たち一人一人の新たな誕生も意味しているのだということを共に考えたいと思ってこれを書きました。

(私はカトリック教徒であり、この信仰に生きています)

 

*神とは手の平に乗るような人の造ったものではなく、

また太陽や月、星、山、さらには人間でもなく、すべての上に存在する全宇宙の創造者であり、

見えるもの、見えないもの、人間の魂、霊、すべてのものの支配者であります。

測り知れない神秘であり、測り知れない根源的存在です。

私はそのように、理解し、信じています。

 

2019年12月24日

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