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2019年12月17日 (火)

No.277 サンタクロースの真の意味

Img0128 クリスマスは英語の「Christmas」ですが、

これは「キリスト(Christ)のミサ(mass)」という意味です。

 

私は恥ずかしいことですけれど、

クリスマスという言葉がキリストのミサであるということをカトリック入門講座で、

神父さまによって教えられ、初めて知りました。

10代の頃からキリスト教(プロテスタント)に入りながら、

つい4年前までクリスマスの言葉の意味を知らなかったのです。

殆どのプロテスタントは決してカトリックのことを受け入れません。

由来や継承が殆どカトリックからであるのに、

プライド(?)にかけて、肯定することは難しいようです。

マスはミサ、すなわちカトリックのミサのことです。

ましてや、サンタクロースなんて、聖書にも書いてないし、

私はその由来も知りませんでした。

 

そして、世界中で、商魂も含めて「クリスマス」、

つまりその日にくっつけられたサンタクロースがどうしてこんなに広がったかといいますと、

それもカトリックの聖人ニコラオ司教の愛の行為からなのです。

私は偉そうに説明していますけれど、これもつい最近知ったことです。

何ということでしょう。

 

簡単に説明しますと、聖ニコラオは、

西暦270年に小アジア(今のトルコ)に富裕な信心深い両親のもとに生まれ、

知恵と善徳に優れた人でした。

受け継いだ莫大な財産を貧しい人たちに捧げたのです。

貧しい靴屋の3人娘のためにそっと結婚資金を出したり、貧しい地方の飢饉を救ったり、

難船した船の船員を助けたり、無実の死刑囚を助けたり、職業を問わず、

老若男女問わず、また異邦人も問わず、あらゆる人に救いの手を差し伸べました。

 

そして、12世紀から数世紀にわたって、

聖ニコラオの祝日はスイス、フランス、ドイツ、オランダなどで、子供の日となり、

かつて聖ニコラオがお金を窓に投げいれ、3人の娘を救った話がもとになって、

聖ニコラオの祝日の前夜に子供へそっとプレゼントする習慣ができました。

12月の5日の晩、子供は小船か靴を用意し、靴下を窓際にかけておいたりしたようです。

そして聖ニコラオが夜通るとき、お菓子と贈り物をいれてくれると信じたのです。

 

そうして宗教改革の頃から、プロテスタントの地方で、

この優しい聖ニコラオの訪問を廃止して、贈り物を入れた袋を背負い、

司教服になぞらえた赤服、赤ずきんで長靴をはいた髭のおじいさんの形に変え、

それをクリスマスと結びつけてしまいました。

名前も聖ニコラオをオランダなまりの「サンタ・クロース」と呼びました。

 

そして、18世紀、「サンタ・クロース」は英国にもわたり、

煙突から入って、靴や靴下にプレゼントを入れることになりました。

さらにこの習慣は、北欧に伝わり、「サンタ・クロース」はクリスマスの夜、

トナカイのそりに乗って天からおりて、

子供達のところへプレゼントを配りに行くこととなったのです。

そしてこの慣習は米国に広がり、他の国にも伝わりました。

もちろん、日本にも。

そうして、現在見られるクリスマスの情景になりました。

 

クリスマスこそ儲けようとお客を呼び込むために、

歓楽街にも、ケーキ屋にも、おもちゃ屋にも、きらきらと輝くツリーが飾られている。

クリスマスのテーマソングも流して。

それがもう年中行事になり、クリスマスとは、楽しむ日のようになりました。

 

聖ニコラオが生まれてから、1200年ほどは、

きっちりと聖人として尊敬され、その遺徳は正しく伝えられていました。

私はサンクロースとされた聖ニコラオの本当の姿と美しい愛をちょっと考え、

本来の聖ニコラオの偲んでみたいと思いました。

小さなことでもいいから、誰かのために、そっと良いことをしたいなあ・・と。

贈り物を貰うことも嬉しいけれど、何か良いことを聖ニコラオのように、人知れずそっとする。

これが一番サンタに相応しいことではと思ったりします。

 

本来はサンタクロース(聖ニコラオ)はクリスマスとは関係はありませんでしたが、

いっしょになってしまったからには、

今年のクリスマスは何か一つ良いことをしてみたいと思います。

聖ニコラオのように、人知れず・・・それはいったい何でしょう。

 

2019年12月17日

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