心と体

2017年6月11日 (日)

№220. マインドフルネス

「マインドフルネス」という言葉自体聞いたことも、

見たこともありませんでした。

ただグーグルが、禅の科学的応用を研究し、

その部署まで作り、社員が仕事を始める前、

一分間瞑想を実践させているということは

何かで読んで知っていましたが。



今まで書店にはその関係の本は並んでいたでしょうが、

関心のない私はそのコーナーにはいきませんでした。

ところがある日、どういう思い付きなのかそのコーナーに行き、

ある本を手に取りました。

それは「26枚の絵画に学ぶ幸せに生きる方法」と表紙に書いてあって、

26枚の絵が出ていたからでした。



本を開いてみて、一番最初の序章にある絵に強烈に引き付けられました。

私の求める世界を見事に表していたからです。

それは光の画家レンブラントの描いた「哲学者の瞑想」というものでした。

・・・部屋の中に一人の哲学者が目を閉じて静かに座っている。

本は机の上に広げられたまま、

哲学者は何かをじっと考えているような・・・

窓からは太陽の黄金の光が差し込んでいる。

部屋の中では老女がかきたてる暖炉の火が部屋を暖めている。

絵全体が光に包まれている。

じっと見ていると、本物の絵画ではないけれど、

その光の絵の中に吸い込まれるような神秘的な感じさえしたのでした。



早速本を買って・・

表紙の題名は「はじめてのマインドフルネス」でした。

そしてその日から毎日、数ページ読むようにしました。

絵が素晴らしいのです。

26枚の絵を見て、文章を読んでいると、

私自身知らないで少しは実践してきていたことが、

はっきりと明確な形で、証明されたようでした。

・・ああ、やはりそうであったか

・・これは内奥に繋がる教え

・・・科学と禅がわかりやすい方法をとって、

示されているように思いました。

この本にも「マインドフルネス」とは、

仏教の瞑想をもとにつくられた

心のトレーニングであると書かれています。



本の中で「マインドフルネス」という箇所に下記のようにあります。

・・もしあなたが、追い立てられるようにせわしなく何かをしつづけているなら、

あるいは不安にとらわれたり、怒りに駆られたりしているなら、

少し立ち止まってみてほしい。

そして、「今、ここに存在している」ということを意識してほしい。

「今」を意識して生きるーー

それが(マインドフルネス)に生きるということである。

たったそれだけ?と思うかもしれない。

しかし、たったそれだけのことを日々意識し、

積み重ねていくだけで、やがて重荷を下ろしたように

楽な気持ちで生きられるようになるだろう。

それはつまり、過去や未来にとらわれていた心が解放され、

自分を縛っていた「現実」を

違う目でとらえることができるようになるということである。

(13-14ページ)

この本を読み始めてもう一か月以上になるように思うけれど、

ほんの少し読み、絵をじっと眺めていると、

確実に自分の中に変化が起こっていることを感じます。

「今を生きる」ということが観念ではなく、

小さな実践となって自分でも自覚できることとして

自然に表れるようになる・・

そういう体験をし始めています。

絵はすごい力を持っているとあらためて思いました。

この本が名画を使用しているということもあるでしょうが・・・



「今を生きる」「あるがままに」という言葉は聞きなれた言葉として、

客観的にしか受け取れませんでしたが、

毎日この言葉を自分に言い聞かせて生きると、

確かに生活に変化が来ます。

心が落ち着くのでしょうか。



この「はじめてのマインドフルネス」の著者はフランスで

人気の精神科医のクリストフ・アンドレという方です。

フランスでは40万部以上のベストセラーになっているそうです。

絵もすばらしいですが、クリストフ医師の文章は

人の気持ちを優しく包みます。

見事な文章です。



いつもの通り、夫婦で2冊買って、

それぞれが毎日言葉をかみしめ、絵に見入っています。

絵と言葉・・深く深く、自分の内部に入っていくようです。

「今を生きる」・・・私の日々の言葉としています。


2017年6月11日

2016年12月 1日 (木)

№197. 大阪大学 医療・介護市民公開講座に参加して

ひと月に何回か様々な学びの機会を見つけて参加していますが、

ありがたいことに殆ど無料です。

無料で勉強できる機会があるということは

いい世の中になったことだと感謝しています。

千里ライフサイエンスセンターで

よく健康についての公開講座が開かれますが、

今日も大阪大学の教授の方々が

最新のデータと研究のお話をしてくださいました。

大学の教授なのに、皆さん実にわかりやすく

そして無駄がなく、非常に論理的で、

頭の中が聞いていてきちんと整理できたようでした。



今日の講座は「在宅医療の現状」と

「老年症候群とフレイル」という何か難しい題名ですが、

お話は老人にもわかりやすいものでした。

お話が上手いのですね。

今まで考えていた老人の身体がどのようになっていくかよくわかりました。

私は医者には全くかからず、健康診断もしないのですが、

でもいつかはお世話になる時が来るのはわかっています。
(毎日血圧と体重はチェックしています)



私の年齢に近い人たちはよく

「医者通いしているけれど、少しもよくならない。」といっていますが、

その謎が少しとけました。

大事なことです。

若い人はたとえば「めまい」がすれば、

何か一つの原因にしぼって治療できますが、

老人の場合は「めまい」の原因が10位あって、

治しようがないということです。



原因を絞れないし、原因は全体的なものかもしれないからです。

いろいろ病院で薬を何種類もらって飲んでも、

結局はよくならないということです。

ということで、何をすればいいか?

 
切羽詰まった状態でない限り、

運動をすれば克服できるのだということです。



「レジスタンス運動で老いを克服」できるということです。

そこで、老年向けのレジスタンス運動を教えていただきました。

筋肉を鍛えるということが大事だそうです。

これによって、健康寿命を延ばすことができるそうです。

日本は超、超高齢社会に向かうそうです。

超が二つつくのです。



老年症候群には50種類ほどの症状が出るのですが、

(75歳にもなると当然です)それをレジスタンス運動によって克服し、

要介護支援状態を遅らせるのです。

老年学はこれからますます研究が進んでいくでしょう。



また在宅医療のお話ではガンはぎりぎりまで、在宅で過ごせるし、

本人にとっても在宅の方が自由がきくということです。

病院はベッドが生活の場だからです。

ふらふらしながらでも家におれるということです。

自分の楽しいこと、やりたいことができるということです。



それから、救急車のことについていわれました。

延命を望まない人が救急車を頼むと、

救急車は救急病院に連れていきます。

病院は患者を助けるのが目的ですから、延命に努力します。

延命を望まない人が胃ろうとかになってしまうということです。

安易に救急車は呼ばないこと。

普段からどうすればいいかを考えておく必要がありそうです。



加齢と共に弱りいく身体と頭を使って、

勉強しておかなければならないと思いました。

これからも機会を見つけて、勉強していきます。

何しろ、自分の身体のことですから・・・

今日も250名ほどの老齢の方々で、会場は一杯でした。



最後に医師であり教授の方がこう言って、締めくくられました。

日本のシンボルであるさくらは一週間しか咲かない。

一週間で散ってしまう。

けれども精一杯咲いて、悔いなく散っていく。

人生も長短にかかわりなく精一杯生きるといことではないでしょうかと。
(11月20日の公開講座に参加して)



2016年12月1日

2016年10月30日 (日)

№193. 長尾和宏先生の講演会へ

長尾先生の紹介です

 

尊厳死協会からのお誘いで、

長尾先生の講演会を聞きに隣の市まで行きました。

夫は昨日晩故郷山形から遅く帰ったばかりで疲れているのに、

「行こうよ」といってくれます。

やはり一人で行くより二人の方が楽しいです。

長尾先生のお話を聴きに行くのはこれで3回目です。

先生は現在、忙しくなられて講演会は断っておられるそうです。

その先生の貴重なお話をいそいそと聴きに行きました。



テーマは「がん患者さんが自宅で生きるためには」です。

がんになる人は二人に一人で、これはもう誰でもなるということらしいです。

家で死にたいとは多くの人が望んでいることであるけれど、

なかなかそのようにはならないのが現実らしいですが。

長尾先生は患者さんを最後まで

生活の場から切り離さないことを望んでおられました

がんは死ぬ一週間前まで、いいえその直前まで

通常と同じように生活できるのだと、

数々の事例をスライドや映像を見せて教えて下さいました。



けれどこれは普段からよく考えておかないと、

いざというとき、かかりつけの医師に

自分の希望を的確に言えないものだそうです。

すべて医師任せにしていて、あとで悔やんでも、

医師に責任転嫁しても仕方ありません。

がんになったら、どうするか?

ただ年寄はがんは進みにくいので、

あわてないで共存していくということが大切であるようです。

あまり過度な治療は勧められませんでした。



私もがんになるかもしれない。・・・そのときどういう生き方をするのか。

できるだけ家にいて、在宅でできる治療をしていく。

お金と相談しながらですが。

助けとなるものを利用していく。

そしてどうしようもなくなったら、ホスピスに入る。

幸いに車で20分から30分くらいのところに

ホスピスのある病院があるので、そこに入れてもらう。

そこで最後を迎えるとしましょう。・・・と、

私ががんになったということを想定して考えてみたことでした。

延命治療が嫌なので30年前から尊厳死協会に入っています。



500人の会場がいっぱいでした。

休憩時間もないびっしりの2時間でした。

みなさん、どうやって死ぬかということは切実なる課題なのです。

誰にも平等にやってくる最後の旅です。

普段からきちんと考えておくようにしなければということでした。

自分はいったいどうして欲しいのかと・・・回りの人、

特に家族に言っておかなければならないといわれました。

日本は個人の意思より家族の意思が尊重される国だということです。

こんなに物事が進んでいるのに、

「個人」という考えはまだ未発達なのでしょうか。



一年間で亡くなる人は

160万~170万人で、5%は突然死ということです。

死は必ず来るのですね。

団塊の世代が一斉に老人になる頃、

病院に入れない人は40万人になり、

介護の場は在宅か施設になりそうです。

施設が最後の看取りをするようになるかもしれません。

いずれにしても大量老人時代を迎えて、

自分の最後をしっかり考えておく必要がありそうです。



長尾先生は現在58歳とのこと。

若々しく、50歳くらいに見えました。

「病気の9割は歩くだけで治る」をお書きになった先生です。

きびきびとして、足取り軽く、お疲れもなく会場を後にされました。

尊厳死協会ともかかわっておられるので、またお会いすることもあるでしょう。



2016年10月30日

2016年10月 8日 (土)

№190. ガン医療公開講座へ

http://www.mainichigahakken.net/15578.html

原千晶さんのお話です

 

「ガン講座を聞きに行ってみない」と夫を誘っていきました。

ガンについての講座は何度か聞いたこともあったので、

それほど夫も興味がなかったみたいでしたが、

「原千晶さという美人タレントさんの話よ。
話がどうでもきれいな美人を見るだけも嬉しくなるわよ」と言ったら、

「行こうか」と言ってくれました。男ならずとも、私も美人は大好きです。



場所は徒歩圏内のライフサイエンスセンターなので、歩いていく途中

セルシー広場がすごくにぎやかで大勢の人が集まっていました。

それは群衆が集まっているという表現がぴったりです。

私と同年配のような人が多いので「誰が来ているの?」とみてみると、

氷川きよしのコンサート(無料)でした。

まあ、とにかくすごい人です。数千人はいるようです。

ガンの講演までには少し時間があるので氷川きよしの歌を聴いていくことにしました。



それとはまた別の場所できれいな歌が聞こえてくるので行ってみると

奄美大島のきれいな歌手が歌っていました。

これもまた珍しい歌。

意味はちんぷんかんぷんですが、異国めいた風情のある曲で、

また奄美の美人さんで、私も気だけは若くなってきました。

奄美大島の歌を聴いていると、広場からは大きな歌声がしました。

急いでいってみると本物の氷川きよしが歌っていました。

 

まあ、本物です。

このセルシー広場には有名な歌手が新曲の公開もかねてよく来ます。

氷川きよしも何回か来ましたが、私には初めてです。

私は演歌は好きではないけれど、この大群衆の中にいて、

熱狂ファンのおばさんに囲まれて、いったいどんな心境になるかと興味津々で、

結局講演の時間を気にしながら、5曲を聞きました。

さすがにプロですね。

数千人の群衆を一つにまとめ、自分の歌と一体化させるのですから。

歌手って不思議な力をもっているんですね。

全員が一つになるんですね。

回りを見ていると、恍惚状態になっている人も・・・いい体験しました。

私の知り合い(70歳台)で、某歌手のおっかけをやっている人がいます。

それが趣味らしいですが。

ちょっとその気持ち、私にはわかりませんけれど。



肝心のガンの講演会には間に合いました。

シンプルな服を着た、気取らない明るい原千晶さんがすぐ登場して、

1時間余休憩することなく、自分のガン体験を語ってくださいました。

それも女性特有のガンです。詳しい内容でしたが、

聞いている人の中には同じような病をもっている人もいたかもしれません。

子宮や卵巣、乳がんなどは若い女性にとっては

人生が終わりと思うほどの衝撃になるでしょう。

原さん自身も子供は諦めたということでしたが、

命が一番大事ということになるでしょう。

講演では話されませんでしたが、幸せな結婚をなさっているようです。

安心しました。

42歳ということですが、私の子供たちよりちょっと若いという感じです。



話もとてもストレートでよくわかり、頭の回転の速い人だと思いました。

そしてやはり美人でしたよ。

今日はいろいろ出会いました。

みな立場は異なるけれど、

自分の場所で力を尽くして生きていることを感じ、励まされました。

今日は何千人もの人と出会いましたが、

一人一人が歌や話によって元気づけられ、

明日への励ましとしていくのでしょう。

みなさん、一生懸命に生きようとしているのだなと思ったことでした。


2016年10月8日

2016年6月19日 (日)

№177. 久坂部医師の講演へ

久坂部医師の情報です。参考になります

 

千里医師連合会主催の久坂部羊医師の講演会に行きました。

数年に一度開催しているということでした。

今回の講演のテーマは
「医療小説に見る現代医療の現実と矛盾」でした。



久坂部医師は作家でもあり、私が知らないだけで、

全国では有名な方だと知りました。

「廃用身」「悪医」「神の手」など沢山の本も書かれ、

またテレビドラマにもなっているということでした。

「私の書くものは、事実をもとにしています」とおっしゃっていました。

1時間40分の講演で、いろいろと具体的な例をあげながら、

楽しく話してくださいました。



それにしても日本人は長生きし過ぎているのでしょうか。

「元気でいようとして運動している人がいるけど、こういう人が苦しんで死ぬ」と、

びっくりするようなことも言われました。

それはどういう意味かというと、

体力のある者は痛みや苦しみも大きいということだそうです。

若い人がガンになると、

壮絶な闘病生活をしなければ死ねないと同じように。

細胞が元気だと死ぬのが大変ということでしょうか。

弱い人はじわじわと行くので、

急激な痛みや落差がないということでしょうか。

私はそう理解しましたが。



それなら私のように何もしないで自然に任せていくのが一番ですね。

健康診断にもいかず、悪いなと感じたら、

医学書やネットや本屋で調べ、自己手当をしています。

これで五十肩や腰の痛み目の不都合、歯の予防などやってきました。

不眠も自然のまま、眠れなければ起きている。

疲れたら眠れます。

この調子で72歳まで来ましたので、

あとは自然死までほっといていいのではと思います。

それが寿命のような気がしますが。

神様が与えておられる寿命です。



また久坂部医師はピン、ピン、コロリというけれど、

ピンピンといって元気、元気というけれど、死に方を考えてはいない

そのあとの死に方を・・・

老人になったら、死に方をよく考えて、

あまり過剰な期待を医師にしないように。

医師は100%病気を治せたり、

手術を成功させるとは限らないといわれました。

・・老いることは死が近いということであり、

死を受容しつつ生きることなのかなと思ったりしました。

今の老人は自分の死を見つめることを忘れている、

いや自分が死ぬとは思っていないのではと自らを省みて思います。



久坂部医師のお話しを聞きながら、

最近読んだ「もう、親を捨てるしかない」という

過激なタイトルの本を思い出しました。

宗教学者の島田裕巳氏の本です。

過激な題名は出版社が人を引き付けるために作ったのでしょうが、

老いた親の存在は子供たちにとって恐怖になっているそんな本です。



当の親は子供に迷惑をかけまいと健康に気をつけ、

体操したり、歩ったり、食事に気を付けたり

趣味にいそしんだり、いろいろやっていますが、

考えてみると、70代で死ぬのを10年か20年延ばすということですよね。

そうなれば子供も年を取り、子供自身も大変になっています。

70代の子供が90代、100歳の親を見ることに

・・・それは悲劇ですよ。

長く生きれば蓄えだって少なくなっています。

それなら70代くらいでさようならが一番いいのかもしれませんが。



長寿は本来は喜ばしいことですが、

現実は理想に追いついてはいません。

いずれにしても、お金に心配ない人は

有料ホームに入れればいいですがそうできない人は

介護が子供にかかってくることに。

誰かに見てもらえばお金がかかるし、

子供自身が見れば職を失うし・・・考えたら・・これ大変ですね。



島田氏の言われるのは親を放りだせということではなく、

早くから親離れ、子離れをしてそれぞれが頼らないで

生きていく覚悟と計画をしなさいということのようです。

経済的、心理的親子の分離を早くしなさいということでしょう。

これは両方とも大人になれということだと思いますが。

個の確立という日本人には難しいテーマです。

現在は死ぬのが大変な時代だと久坂部医師はいわれました。

 

2016年6月19日

2016年6月 3日 (金)

№175. 希望と苦しみの意味

http://www.nippon.com/ja/features/c02301/

永井博士について
夜と霧について
***********

*永井博士と夜と霧の内容を知りたい方は上記をご覧ください

 

この題名「希望と苦しみの意味」は

今日(29日)の講演「医師 永井隆に学ぶ希望と苦しみの意味」からの拝借です。

講演をしてくださったのは

上智大学神学部教授の片山はるひ先生です。

私の教会はサン・パウロという書店もありますが、

上智大学のキャンパスもあります。

教会と書店とキャンパスというあまりおめにかからない形態の共同体です。

ここに来れたのも神様の導きだったと深く感謝しています。

これ以上の環境を望みようもありません。


「永井博士を知っている人は?」と

大学生に聞いても数名だと先生は言っておられました。

私も「長崎の鐘」「この子らを残して」など若い時読みましたが、

すっかり忘れていました。

片山教授は永井博士の著書の中で次の三冊を特に勧められました。

「長崎の鐘」「亡びぬものを」「平和塔」であります。

さらに上智大学の学生に勧めるのはVE・フランクル「夜と霧」、

ヨハネ・パウロ2世「サルヴィフイチ・ドローリスー苦しみのキリスト教的意味」

ということです。


「夜と霧」は10代の頃に読んだはずでしたが、

あの時の衝撃だけは忘れません。

でももう一度読もうと思って新版が出ていましたので早速注文しました。

講演会で買った片山先生の「永井博士」を一日で読んでしまいました。

改めて、人間の魂がどこまで高貴な輝きをもつことができるかを

象徴ではなく、現実のものとして感じました。

科学者、医学者として放射能を一身に受け、

それが身体に及ぼす影響を冷徹な目で観察し、記録し、

それをカトリック教徒としての熱い信仰で包み、

多くの著作を書き、国内、海外に発信されました。



妻は即死、
自らも瀕死の重傷を負いながら、生命の尽きる6年間、

人々を励まし、尽力されました。

まだ小さいご自分の子供たちを育てながら・・

人間として苦しみを受けられました。

それは夜と霧のフランクルと同じ苦しみでありました。

これ以上ない悲惨、死の苦しみの中で、

人間の魂の尊厳を高らかに表したのが永井博士であり、

フランクルでありました。

お二人の経歴、体験、信仰、思想は私の拙い文では表しようがありません。

ぜひ一冊でも手にとり、お読みになるようお勧めします。

どんな状況、環境の中でも人間は人間であり、動物ではないということ、

その中で光輝く存在にもなりうるのだということを、

確かな確証として納得できると思います。

 

永井博士、フランクル、このお二人の共にいわれる言葉。

「人生はそれでもすばらしい」(フランクル)


「私はこの頃になってようやくこの世の美しさが見えるようになった。
すなおに見直せば、この世はこんなにも美しい。
私はこの世に生まれたことをしみじみ喜ぶ・・・」永井博士



フランクルはアウシュビッツの収容所で、

永井博士は原爆投下の長崎で自らの体験から生み出された言葉です。

片山先生は永井博士と夜と霧を通して、

冒頭の「希望と苦しみの意味」をわかりやすく、説明してくださったのでした。

講演の後は、何と大阪司教区の大司教前田万葉司式のミサが行われ、

有り難いことに大司教自らのご聖体拝領に与りました。

何ともいえない祝福された一日でした。


*********

追記

永井博士の所には多くの有名無名の人たちが来られました。

ヘレン・ケラーもその一人です。

ヘレン・ケラーは隆に手紙を送りました。

「長崎で私たちが手を握り合った日を思い出すと、心が暖まります。

そして不幸を通して私たちを支えて下さる神の御力が、

よきように働くとあなたが信じておられること、

悲劇的な体験に対する日々の印象を勇敢にも機会あるごとに

科学的な研究のために記録なさっていると伺っております。

ここに、肉体的な苦しみを克服して

精神的勝利を収められた証である、あなたのご本があります。

私は尊敬と賞賛の気持ちで一杯です」



また1949年5月昭和天皇は長崎巡幸をされ、
隆(永井博士)に会いたいと希望されたので
衰弱した隆は大学病院まで運ばれ、天皇は隆にお会いになられました。
このときのようすを新聞記者だった高原いたるさんという方が書いておられます。


「天皇は他の巡幸に比べて、とてもくつろいでおられた。
天皇は暖かいほほえみをたたえながら隆の著書について話かけられた。
また病状を気遣われ、影浦先生に隆の治療に関して
医療的な可能なことはすべて行うよう頼まれました。
それから、かしこまっている隆の子供たちに顔を近づけて、
目に光るものを浮かべて言われました。
『さあ、しっかり勉強して、立派な日本人になってくださいね。』
二人は緊張気味に『はい』と元気に答えると、
天皇はにっこりとうなずかれました。


隆は天皇の暖かさと心遣いに深く感動し、
歌人である天皇が別れを告げられたときには、
同じく詩人であり科学者である隆の目に涙があふれていました。
伝統に根差した日本の人々にとって、
その時、天皇がいかに大切な存在であるかを隆は思い知ったのです。


「天皇は長崎に巡礼にいらした。」と隆は書いています。
死者を悼み、傷ついた者を励まして私たちに言われました。
『長崎市民諸君、あなた方が受けた犠牲は同情に耐えません。
しかしながら皆さんの犠牲は平和を築く礎となるでしょう。』
隆がこれらの言葉をより納得できたのは、
天皇の衣服が一行の誰よりも質素な物に見え、
その顔に「熱い涙を流した者の強さと思いやり」を感じたからでした。

    パウロ・グリン著「長崎の歌」より


   2016年6月3日

2015年5月12日 (火)

№119. 薔薇の花びらのロザリオ

011


代母さんにいただいたロザリオです

**********

4月4日、私が洗礼を受けたとき代母さんから

スペイン製のロザリオをいただきました。

ロザリオの入った美しい箱の中には

スペイン語の説明の紙が入っていました。

代母さんからも訳してねと言われていたのですが

ようやくスペイン語のできる人の力をかりて訳ができました。

美しい物語です。

少し長いですがご紹介します。

*********

昔々カーメンの古い年代記は我々に素朴な、

そして感動的な歴史を教えてくれます。


ホアキンという修道士がいました。

彼はカステル山の樫の木のように粗野で無骨でしたが、

しかし一個のパンのように、心はやわらかくで善良でした。

彼は文字も読めませんでした。

彼はまた学べるような状況にありませんでした。

主は彼を修道院が所有していた牛の番をおさせになりました。

他の兄弟(仲間たち)は深い同情をもって彼を眺めていました。



けれどもホアキンはその仕事に対して、大きな喜びをもっていました。

なぜなら野原は彼のみが分かる言葉で

神のことを彼の霊魂に語ってくれたからです。

それゆえに、ホアキンは優しく、善良だと言われていました。

修道院のお告げの祈りのための鐘が鳴るころ

ホアキンは野原で聖母マリアを見ました。

そして彼が祈っている間、聖母は牛の世話をしたのです。



いつでもホアキンは

牛の先頭を誤って導くことは決してありませんでした。

彼はいい牛飼いであり、牛たちは

貪欲な狼の餌食になることはありませんでした。



ホアキンは聖母マリアをとても深く信仰していました。

そして毎日、ロザリオの祈りを捧げるのでした。

これは彼にとって神聖な義務であり、

誰も例外もなく彼の義務を妨げることはできませんでした。



ある日、彼は修道院にロザリオを忘れてしまいました。

彼は心からの祈りをどのようにしてするのでしょうか?

純朴な修道士は独創的なひらめきをもっていました。

湿地帯で、牛に水をやった場所に葦原が成長していて、

それは生い茂っていました。

そしてそれは多くの小石を葦の枝でつないでいました。

彼はこれでもってロザリオを作り、

彼の祈りを満たすことができたのです。



聖母マリアは彼に贈り物をしました。

伝説は教えています。

次の日用事のあるとき、葦の繁みに行くと、

また葦の群れの枝にあのロザリオがぶら下がっていました。

そして夜明けとともに彼がロザリオを取りに葦原に近づくと、

沢山の赤いバラの中から分かれて、

白いバラの花びらがぶら下がっているのを見つけました。

それは聖母マリアがホアキンに贈ったロザリオでした。



そのニュースは修道院中に伝わりました。

信仰深き献身的な祈りに応えて、

バラがロザリオに変えられたのです。

それは乙女マリアからの贈り物であることが

修道院中に伝わりました。



この歴史は中世の伝説からきています。

カスティーニャのいつも変わらぬ香り高きバラのロザリオは

この伝説に由来しています。

あなたもその伝説の中に入りました。

それは世代から世代へと語り続けていくのです。

濃紺の青空の下で、かぐわしく薫るカスティーニャの薔薇の花。

それは世界中のどのような厳しい気候の中でも、

そのかぐわしい薔薇の香りは神秘の薔薇、

栄光の聖母マリアの薔薇となるのです。


**********

この薔薇の花びらのロザリオは私の宝物です。

 

代母さんに感謝をこめて

 

2015年5月12日

 

 

 

 

 

 

2015年2月24日 (火)

№108. 偶然はないのです

「偶然はないのです」

去年の待降節のある日茶話会で、

93歳のダニエル・ヴァン・ケルコーベ神父さまが言われた言葉です。

神父さまとコーヒーを飲みながら、それこそ本当に私にお顔を寄せて言われたのです。

優しく慈愛に満ちた目と優しい言葉でもって。・・・

ダニエル神父さまは椅子に黙って腰かけておられるだけで、

そのお姿全体からいいようもない品格というか霊格というのか、自然に流れてくるのです。

 

これをキリスト教では聖霊に満たされた方というのでしょう。

私には忘れられないお方になりました。

質素なお姿からは、謙虚、節制、愛あらゆる徳行が神父さまから流れていました。




偶然はないのです。道で会う通りすがりの人も偶然ではないのです」と言われました。

すべては神の導きなのであり、出会わせられたということでしょう。

その意味を考えて、人と接しなさいということでしょう。



今日私はどれだけの人と会ったのでしょうか。

勿論夫、そして佐川の宅急便、街に出ていくと私の棟の人2名、

そしてお店の人たち、店の前での見知らぬ人との会話、

そして地上と地下で出会う見知らぬ1000名以上(無数に近い)の人たち。

今日もすごい数の人たちに会ったのです。

どういう意味があるのでしょうか。




今まで考えたことはありませんでした。

今日出会った人たちもみな神の子であり、

神に愛されている人たちだということでしょうか。

人と接するということはどの人とも付き合ったり、

べたべたすることではありません。

思いを寄せるということでしょうか。

私の意識がその人たちの中にあるということでしょうか。

今日であった沢山の人たちの人生が守られますように、

祝福されるようにと祈ることができるようになることでしょうか。

そのように私が周囲を見れるように成長しなさいということでしょうか。



すべては偶然ではない、偶然ということはないのです」という神父さまのお言葉。

考えれば、この言葉は深くて、重い言葉です。

私の人生、運命そのものが何となくなったのではなく、

大きな存在神によって導かれたということだからです。



大きな意味ある言葉を下さったダニエル神父さま。

ありがとうございます。

これは私へのメッセージであり、これからの私への課題です。

(一年後、ダニエル神父さまは帰天された)


2015年2月24日

2015年1月20日 (火)

№103. ガラシャ病院へ

ガラシャ病院の映像を載せていますが、病院の

宣伝ではありません。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~shinai/gratia.html

 

二週間続けて「ガラシャに思いを寄せて」を書いてみましたが、

今日はガラシャという名を冠した病院へ

膝痛のリハビリのお話を夫と聴きに行きました。

また老健の見学もできるというので、将来の参考にしようと。



リハビリの先生の実技と講演はとてもわかりやすく、

すぐに実行できるものでした。

老化して行く骨をそのままにしないで、

自分でもどうしたら現状を保てるかを教えてもらったので、

忘れないで意識してやってみようと思います。

 

「今日は100%雨だといわれて、

来る人がいるのかなと思ったのですが、

こんなに沢山の人が来て下さって嬉しいです。

膝の痛い人がこんなにいるんですね」などといって

ホスピスのハンサム先生は笑をさそっていましたが。

残念ながら、老健は今インフルエンザが発生していて、

見学は中止となりました。

 

 ガラシャの名の病院ですから、大きなガラシャの絵が掛けられていました。

ガラシャは細川邸内に孤児院のようなものを作り、

孤児や身寄りのない病人の世話を自らしていたそうです。

邸の外には出れない身でも、自分のできる範囲において、

彼女はよく学び、キリストの愛の行いを実践していた、

まさに美と博識、優しさ、そして信念を貫く強さを持った

私から見れば完璧な女性です。

 

この病院はいたる所にマリヤさま、

ヨセフさまの像が飾られ、花が飾られ(生花)、

そして優しい顔をしたシスターが笑顔で答えてくださる、

とても素敵なところです。

絵と花と御像でいっぱいです。



今日はチャペルに入ってみました。

それほど広くはありませんが、落ち着いた、美しい、場所でした。

とくにマリアさまの表情がとても美しかった。

ますます、死ぬときはここで死にたいとの願いが強くなりました。

死ぬとき、きれいな讃美歌が流れていて、

優しいシスターが手を握り、祈ってくださり、

私があの世に行くまで見守っていてくださる。・・・ああ、いいな・・

こんなことを想像していました。

私の願いは果たしてかなえられるでしょうか。

 

それから今日は私たち夫婦の結婚記念日でした。

48年目になりました。


2015年1月20日

 

 

 

 

2014年12月23日 (火)

№98. 私の聖書

クリスマスの歌です。

https://www.youtube.com/watch?v=cW8Nw1DzzbM

 

私にとって「聖書」という文字は遠くに輝く星のようなものでした。

10代の頃、夢中になって読んでいたトルストイの作品の中にも

ドストエフスキーの中にも、

「聖書、聖書」と何度出てきたことでしょう。

どうすれば私は聖書を手にすることができるのだろう。

10代の私にとって「聖書」は

手を伸ばしても届かない光輝く星のようでした。

 


その頃(55年前頃)、

私の住む地方の町でも大きな本屋が2軒もあり、

私は学校帰りその本屋に行って、

いつまでも気になる本の題名を眺めていました。

その中に聖書はありました。高い・・・とても高い金額でした。

小遣いというものを貰っていなかった私には


お金をためるということもできませんでした。

 

旭川の祖母がお金を一万円送ってくれたとき、私は迷わず買いました。
(祖母は孫が心配で自分の小遣いをためては送ってくれたのです)

 

金縁の羊の皮表紙、代金は8000円でした。


祖母は一万円でいろいろなものを買うようにと思ったでしょうに。

 

私は普通の女の子が好むようなものは興味なく、


ただ本でした。そして聖書でした。

 

あの日のことは忘れられません。


しっかりと買った聖書を胸に抱き、


家に帰って誰にも見られないようにわからないように隠したことを。


父母には隠しました。


キリスト教が嫌いでしたから。誰もいないとき、


夜皆が寝静まったとき、そっとそっと開きました。


よくわからなくても、聖書をもっているだけで心が打ち震えたのです。

 

それから50年以上経って、


今私の手元には幾種類もの聖書が何冊もあります。


聖書に対するあの感激、感動、喜びは一体どこにいったのでしょうか。


それどころかこの聖書はよくわかる、


この聖書の訳はわからないとぶつぶつ言っているのです。

 

けれどもあの感動と喜び、


文字から溢れて出る温かい満たしが再び蘇ってきたのです。


それは一冊の聖書を手にしたときからです。


イタリア人のフェデリコ・バルバロ神父様が


日本人のために、訳した聖書です。


バルバロ神父は外国語である日本語で訳したのです。


そこに流れるのはバルバロの熱い信仰、敬虔な魂、日本を愛する優しい心、

 

他の聖書では味わえない、深い精神性が伝わってきます。




私は決めました。


この聖書こそ、私の最後の聖書だと。


夫も同じ気持ちになったのは何という不思議でしょう。

 

バルバロ神父は「聖書を読むときは創世記からではなく、


ヨハネ福音書11章25節から読んでもらいたい」と。


それは「私を信じるものは死してなお生きる」という言葉からです。

 

聖書は興味本位に読むものでもなく、研究でもなく、


キリストによって永遠に生きるという信仰をもって


読んでほしいということだと思います。

 

バルバロ神父の優しい聖書の言葉は私の心を温かくします。

 

(この聖書の解説と豊富に入れられた図解の多さは他にはありません。
そして言葉が実に美しいのです。)



2014年12月23日