旅行・地域

2015年9月 2日 (水)

再び大和ミュージアムへ・・・そして江田島へ

http://www.mod.go.jp/msdf/onemss/kengaku/

参考までに

2年前に大和ミュージアムに行ったのですが、再び行くことになり、
またあの回天にお目にかかろうとは思いませんでした。
ツアーで江田島の旧海軍兵学校(現在の海上自衛隊第一術科学校)を
一度は行ってみたいと思っていたら、
両方がセットされていたので、申し込んだのですが・・・・
やはり今度のツアーはご老人が多くて(私も含めて)。
何とどこへ行っても後期高齢者の集まりに見られました。
若い人も7人ぐらいはいたのですけど。
なぜか年取った女性で御一人の方が多かったのですが
何かの理由があったのでしょう。


艦船巡りも今度は船のデッキの上で
何隻もの潜水艦を見せていただきました。
かなり離れてでしたが、潜水艦の乗組員の方々が
手を振ってくださるのは嬉しかったです。
何隻もの巨大な戦艦をみながら、
この船が実際の行動をする日が来るのだろうか、乗組員の方々が
生命をかけて戦う日が来るのだろうかと思ったことでした。


江田島の旧海軍兵学校(現在の海上自衛隊第一術科学校)の中を
普通の人たちが入れるようになっていたんですね。
毎年7万人ほどの人が見学に来られるそうです。
自衛隊の方の見事な案内と説明を受けながら、約1時間半歩きました。
後期高齢者たち皆元気です。
明治、大正の美術館のような建築物、
アメリカはこの建物は壊さなかったのですね。


大講堂、幹部候補生学校学校庁舎の外観、
第1術科学校学生間館、教育参考館など。
参考館には幕末から明治、大正そして70年前の戦争の記録が
ぎっしりと保存されていました。
ここはエリート中のエリートが幹部として教育され、
リーダーとして巣立っていったところです。
その中で何千人かの若い人達が零戦や回天で戦死していました。
あの回天は怖い。
真っ黒な海の中に深く深くもぐり、
誰にも知られずに死んでいくのだから。
どれだけの優れた若者が
死んでいったのかと思うとやはり残念でなりません。


私は過去のことが知りたくてこの度江田島に行ったのではなく、
今現在どうなっているかを知りたかったのです。
今もやはり昔のように体力、知力に優れた若者が毎年200名近く入り、
幹部候補生としての教育を受けているそうです。
彼ら候補生の若者たちは、一事ある時は生命を賭して
日本国のために働かねばならない人たちです。
それを選びとった若者たちです。


かなり離れたところで何十人かの若者が訓練を受けていました。
また行進をしていました。
若い若い顔でした。明るい現代の若者でした。
この若い人達に国の未来は託されているのです。
応援したいし、感謝したいと思います。
出来うるならばこの若い人達が何事もなく
人生を全うできる世の中であってほしいとは思いますが、
人間は愚かだから永遠に続く平和などあるわけはないことは
歴史を見ればわかります。


私たちのバスが構内を出るとき、
明るい若者たちが笑いながら敬礼をして送ってくれました。
「幸あれ」と願いつつ、去りました。

***************

大日本帝国海軍五省

一 至誠に悖るなかりしか

一 言行に恥づるなかりしか

一 気力に缺くるなかりしか

一 努力に憾みなかりしか

一 不精に亘るなかりしか

(この言葉、海軍のためばかりではなく、
人間として生きる指針でもあると思います)



2015年9月2日

 

2014年1月 7日 (火)

初詣 奈良へ

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(1月2日 奈良公園、東大寺)

 

 

久しぶりです。何十年振りです。鹿と会うのは。
「ねえ!早くせんべいちょうだいよ!」と
私の服を口で引っ張る真っ黒な可愛い目の鹿。
黒々の鼻が瑞々しい。
あっちも、こっちも鹿、鹿、鹿。
夫婦連れの鹿、親子連れの鹿、一人ぼっちの鹿。
広い公園の中を歩き回っています。ここの鹿は走りません。
ゆっくり歩いています。
生存競争もないから、急ぐ必要もないし、
天敵もいないからあの細い脚を使って、必死に逃げる必要もないのです。
ゆっくりと、ゆっくりと、まるで瞑想をしているようです。

でもね、ちょっと下の土や芝生を見ると、
黒い、可愛い糞が敷き詰められたように落ちている。
これも愛嬌のうち・・

鹿に見とれて、鹿と遊んで、
東大寺とか春日大社に詣でるのは、ちょっと後になりました。

東大寺には過去2回ほど来たことがありますが、
詣でる度に、感慨は異るものです。
有名な神社仏閣は、人出も沢山で、願い事がその数だけ多くなるので、
普段の静謐さや、荘厳さは何か人の欲に飲み込まれてしまって、
消えてしまうように思われるのですが、
神社の神、寺院の仏さまたちは、
人間そのものを喜び、迎えて、歓迎してくださるのでしょうか。

座主らしき袈裟に身を整えた僧侶様が、
館内の衆人の姿やざわめきは見えないかのように、
聞こえないかのように、地上から2-3mも高い読経席に座って
巨大な大仏の少し下で、お経をあげておられました。
きっと、修行した人には、どんな環境の中でも、
静寂に浸ることができるのでしょう。

その後・・・春日神社へ。
両側を長い長い常夜灯に挟まれた坂道を歩き、
暗い夜空に浮かぶ社殿に着きました。
・・・願いこと?
・・・拝礼をしたものの、私には願い事はありません。
ご挨拶です。

家に辿りついたのは、夜9時半。
今日は有に2里の道のりを歩きました。

神仏に願をかけなくても、日々護られていることを感じています。


2014年1月7日

 

2013年12月 5日 (木)

紅葉の南禅寺、安楽寺、京都大学、高台寺

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雨の京都。
昨日も明日も晴れなのに、今日だけ雨模様。
よほど雨に恵まれた日らしいです。
今日は阪急のツアーで紅葉の京都見物なのです。

京都の紅葉は何度も行ったことはあるのですが、
高台寺のライトアップと京都大学でのフランス料理に惹かれて、
参加申し込みをしたのです。
バスの乗客28名。いつもながら殆ど女性で4人だけが男性で夫婦同伴です。
バスが出発して、ああ、と思ったのは、女性5人組の方々の話声。
私たちの前の席、5人が5人ともに互いに大きな声で楽しく会話。
他の人が乗っていることなぞ眼中になし。
このような方々はときどきお見受けしますが。
それにしてもガイドさんの親切な京都の案内もさっぱり聞こえません。
ご自分たちだけが世界ではないのです。

さて、雨の南禅寺。雨がザーザーと降っているのですが、
雨に濡れた紅葉の鮮やかさ。色彩が幽かになり、
かえってその美しさが神秘的なものになりました。
雨の紅葉もまた格別です。
南禅寺の一番上まできつい階段を綱を伝って上がりました。
何とか自分の重量を持ち上げました。
昔は「絶景かな」と言われたそうですが、
今も溜息をつくような美しさです。
雨は降り続けていますが、かすかに空の一端が明るくなってきました。
ひょっとしたら、夕方から止むのかも知れません。

次は安楽寺です。ひっそりとした、小さなお寺でありましたが、
こここそ親鸞聖人、法然
上人の受難の場所でありました。
このお寺から流罪として遠流されたのでした。
お寺の若い僧侶が法然、親鸞上人の受難の理由を教えて下さいました。
うら若き美しい女性2人の信仰、そして彼女らを護った方々の法難。
この安楽寺にはこのような悲話があるのですね。
親鸞聖人の旅傘と杖(本物)が置かれていました。
・・このお寺には何か後ろ髪を引かれる思いがしました。

次は京都大学での食事です。
有名な時計が夜の景色の中で輝いていました。
きれいなハイカラな食堂で、フランス料理の雰囲気を味わいました。
でも私にはフランスよりも、
だーと全部並べられた日本料理の方が性に合いそうです。
全部並んだ方が全体を把握できますから。
夜空に大学の時計がきらきらと輝いていました。

そして最後の高台寺。夜空に煌々と輝いていました。
紅葉がライトアップされて、まるで別世界を彷徨しているようでした。
ひょっと平安時代のお姫様やお公家さまが出て来られるような。
現代の照明の技術を駆使した映像の美。
見事なフアンタジーの世界であり、イメージの世界でした。
これは写真や言葉の説明ではどうしようもない、
現実に目の中に焼き付けるしかない美の極致でした。
極楽浄土とはこのような所でしょうか。
少し小高い所にある霊廟には
ねねの方のご遺体が20メートル下に安置されているそうです。
実際にここにねねの方は眠っておられるのです。

雨は完全にあがり、今日の行程を無事終わって、大阪に帰りました。
雨の京都・・・風情があって、何か人間もしっとりとしてきました。


2013年12月5日
(写真は南禅寺)

 

 

 

 

2013年11月17日 (日)

千里キャンドルロード

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「豊中・吹田両市にまたがる千里ニュータウンで、同タウンの人口とほぼ同数の9万本の蝋燭をともすイベント「千里キャンドルロード」が9日、豊中市新千里東町の千里中央公園で開かれた。同タウンの住民有志が、1962年11月の街開きから51年になるのに合わせて企画。会場には紙コップに入ったろうそくが並べられ、千里キャンドルの文字や図柄がオレンジの色の光となって、夕闇に浮かびあがった」と10日の読売新聞で報道されました。


私の住んでいる地域は殆どニュータウンの中にあるのですが、
なぜか千里ニュータウンには属していません。
けれど会場となる場所は僅か10分―15分足らずの場所です。

千里阪急ホテルに隣接する「こもれび通り」から
千里中央公園までご近所といったところ。
夕闇が迫る夕方6時すぎ、夫と散歩がてらぶらぶらと歩いていきました。
沢山の家族連れが行きかうのです。普段はこんなことはありませんが。
木々に囲まれた、美しい通りには両脇にろうそくの灯りが優しい光を放って、
先へ先へといざなってくれるようでした。
青、赤、緑、黄色、紫、ピンク、
黄緑と様々な色が蝋燭の灯りにともされて、それはとても美しいものでした。

千里ボーイスカウト、絵画教室、書道教室、千里竹クラブ、
保育園、小学校、中学校、様々な集まりの人たちが
紙コップに絵柄やメッセージを描いていましたが、
これを書くのにどれほどの思いを入れたかと、
じんわりと伝わってくるようでした。
なにしろ9万人の思いが、希望がこの会場に満ちているのですから。
紙コップ9万人の思いが集まっているのですよ!
特に小さな子供たちの絵や字は、純なる心がそのまま伝わるようで、
まるで天使の灯りのようです。
無邪気な幼児たちのきらきら輝く瞳が浮かんできます。

世話をする人たちはみな、ボランテア。
その殆どの方は私と同じか、上の人たち。市民たちの力で、
この広い公園全体が光の渦になったんですよ。
一人一人の力が集まるとこんなにすごいことができるのですね。
すべて手作りのイベントです。
何でもお金でやろうとする時代(私も含めて)・・・尊いものを見た思いでした。
お金がかかっていない分、心がこもっています。

私も空のコップをもらって、「愛と喜び」と書きました。
下手な星の絵を描いて。
そして9万本のろうそくの一つとして置きました。

こんなに素晴らしいキャンドルロードを歩かせていただいたことを感謝しつつ。

夜8時・・・ろうそくの光は次々と消されていきました。
空を見上げると、漆黒とはいかない都会の夜空に半月が輝いていました。

2013年11月17日

 

2013年9月30日 (月)

広島旅行2 広島城、原爆ドーム

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広島旅行2 広島城、原爆ドーム 

 

宿泊したホテルの24階から見た広島市内のネオンの輝きは

大都会そのものでした。

広島を地方都市の一つとしかみてなかった私の考えを

またもや砕かれた思いでした。

ホテルの真下は何と広島県庁、その側には広島の市民病院、

その前はひろしま美術館、その前が広島城、近くには裁判所、

警察と主要な広島市の行政機関が揃っていて、

一戸建ては郊外にあるらしく、マンションと高層建築がずらり。

夜遅くまで、光の洪水が流れていましたが、歓楽街ではないので、

その輝きも品のあるものでした。

 

朝、ホテルでの食事はやめて、散歩の途中で開いていたコーヒー店へ。

やはりコーヒーを飲むと頭がスキッとします。その足で広島城へ。

満々とたたえた堀の水。

簡単に堀の周囲を回れると思っていたのに、なかなかそんなことは不可能で

お城の真ん中に通じる道を中に入ると目の前に5層の天守閣が現れました。

彦根城ほどの急こう配ではないけれど、かなりの傾斜の階段を上まで。

朝だから天守閣まで上れたけれど、これはかなりの運動でした。

鎧、兜。日本刀の中でも名刀といわれるものずらり。

この城は明治以降から旧陸軍の施設がもうけられ、

第二次世界大戦のときには軍の大本営としても使用されたそうです。

広島というところが軍都であったようです。

広島城は原子爆弾によって全焼し、その後再建されたそうです。

広島は蘇った輝きの裏面に、戦いの影響が色濃く残された所です。

来て初めてその意味がわかりました。

 

徒歩圏内で、原爆ドームに着きました。

映像で何度も見ていてまるで訪れたかのように頭に焼き付いているドームです。

外国の方の多いこと。みなさん真剣な顔でガイドの話を聞いていました。

一瞬にして頑丈なコンクリートの建物がこのように砕かれ、溶けてしまうとは。

それを想像して見るのですが、なかなか理屈ではわかっても、

全身でもって受け取れるところまでいきません。目の前にある大きな川、

元安川というのですが、その川に水を求めて死んでいった人たちが

いっぱい浮かんでいたそうです。地獄図絵・・・

この原爆の象徴であるドームにいつか行きたいと願っていたことが実現しました。

私はこの原爆ドームに来ないと何か申し訳ないような気がしていたのです。

原爆の話は私は小学生の頃から学校でも聞かされ、映画も集団で観に行き、

マンガも読み、体験記もかなり読んでいて、

知識としてはかなり入っていたのですが、

知ることと現場で見ることとはやはり違っています。

 

それから平和記念資料館、慰霊碑、平和記念公園へ足を運びました。

小学生、中学生、ひっきりなしに、先生に引率されて向かっています。

そして北欧系、パキスタンらしいイスラムの人、南米らしき人たち、

米国の人、集団でやってきていました。実に外国の方が多いです。

特に北欧系の人たちが目立ちました。

ひょっとしたら、福島の原発事故で世界の人たちの目が

広島に向けられているのではと思いました。

核という人類にとって恐るべき脅威の前に、その原点である広島、

あるいは長崎に行ってみようと心動かされているのではないかと思いました。

 

原爆資料館は、当たり前のことですが心明るくなるものではありませんでした。

ただあの悲惨な映像の中に傷ついた人たちが

お互いに必死に助け合っておられる姿を実に尊いものと感じました。

自分も頭と目を負傷し、ぐるぐると包帯を巻きながら、

被災者のための相談に応じている巡査の方。

このような状態の時でも決して自分の任務から逃げ出さない人たち。

これぞ日本人として誇りとしなければならない人たち。

あの福島の原発事故のときもそうでしたが、

この広島資料館の原爆投下直後の映像にも同じように惨事の中に、

表現できないような静謐さを感じるのです。

精神の気高さが映像を通して感じられるのです。

 

遺品の可愛い女の子のシュミーズに心ひかれました。

お母さんの手作りです。裾にはあの当時あったのかと思うのですが、

レースがつけてありました。

5-6歳の女の子の下着です。女の子はすぐ死んだそうです。

原爆直後に亡くなった人、生きて苦しみ続けた人たち。

広島は広島だけの問題ではなく、

やはり世界の良心が向かなければならない場所であると思います。

ここにはさまざまな思いの人たちが集うことでしょう。

 

残念なことですが、利己的に利用しようとする人たち、

政治的に利用しようとする人たち、何かをぶち壊すために利用する人たち

・・・それは実際あるでしょう。人間ですから。

でもそれにもかかわらず、善なることと、悪ははっきりしているのです。

はっきりさせなければならないのです。

広島は世界の良心の中心になっていかなければならないと思います。

私は広島の原爆の傷跡を見て、やっと日本人になれたと思いました。

遠く外国からわざわざ広島を訪れる外国の人に対して

恥ずかしい気持ちがしていたのです。

 

真夏のような日で、平和記念公園を散策するのは止めました。

昨日の歩きといい、今朝の2時間の城めぐりといい、

さすがに私たち夫婦の年齢にはきつくて、もうこれ以上は歩けません。

1時間早く大阪に帰ることにしました。

預けた荷物をホテルに取りに行って、広島の街を後にしました。

呉や広島市で見たことは、

家に帰ってよく考えてみないといけないことだらけでした。

68年前の出来事は遠い過去ではなく、今も生き続けています。

そして過去の上に現在の広島の繁栄が築かれています。

そして未来に向けて広島は世界に発信しています。

 

過去、現在、未来が平行して動いている・・・それが広島です。

今回の旅行は物見遊山ではありませんでした。一つ一つが重いのです。

トルストイは言いました。「戦争は人の心の中から生まれる」と。

でも私はこのように思います。それはみんなの心から生まれるのではない。

ある特定の人たちの心の中で生まれるのだ」と。

・・・世界の普通の人たちは誰も戦いなぞ望んでいません。

 

(広島旅行2)

 

 

2013年9月

 

2013年9月24日 (火)

広島へ「大和ミュージアム・てつのくじら館」

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数日前の台風も嘘のように、真夏のような日です。

思い立って、広島に旅行することにしました。

一泊二日で、それも個人での遠出の旅行は何十年振りです。

いつもはついつい便利なので、ツアーばかりの旅行でした。

今回は自分でどこに行くかを計画し、汽車や電車を調べ、

宿泊を決め、いざ出発です。この方法はかなり頭を使います。

といっても、私の頭ではなく殆ど夫の頭ですが。

 

広島県の呉市の大和ミュージアムとてつのくじら館、

そして原爆ドームが今回の旅の目標です。

呉市はあの戦艦大和を建造した東洋一、日本一の造船されたところであります。

また「てつのくじら館」のくじらとは潜水艦のことであり、

内部が見られるとのことでありました。

私はクジラとあるのでてっきりあの生物のクジラがおいてあるのかと思いました。

私の知識はそんな程度なものです。

でも潜水艦と聞いて、とても見たくなりました。

私はドイツの映画「Uボート」を見て、潜水艦にとても興味をもったのです。

 

そして原爆ドームです。

映像や写真ではたびたび見ていますが、実物は知りません。

いつか行かなければと思いながら、この歳になってしまいました。

 

旅の始まりです。何かピクニックに行くような楽しい感じです。

新大阪から広島まで、1時間半、

ちょっと居眠りしていたら、すーと行ってしまいます。

とても近いのです。それからすぐに呉市へ。

呉市のことをまた誤解していました。

船と関係あるのだから、もっと田舎と思っていたのに、

これはこれは沢山の立派な建物と多くの観光客ときれいな海と

・・・想像していたところとはまったく違いました。

呉市の人口は40万人だそうです。

 

大和ミュージアムに入る前に艦船めぐりをいたしました。

艦船めぐり用の船の内側から現役かOBかの海上自衛隊の方の説明を聞きながら、

湾に停泊している様々な艦船を見せていただきました。

海上自衛隊の方が船に乗って作業しておられるのが見えたり、

最新式の日本の装備を備えた軍船を見たり、

すごいのはイージス艦も遠くに見えたことです。

ごく普通の日常生活を送っていると、この世界を知ることは皆無であり、

まるで自分一人が頑張って生きているように思うのですが、

私の知らない所で、多くの人に支えられているのだなと感謝したことです。

平和を心から望みながらも、心ならずして事が起こったとき、

ここに停泊している船は

自分の責任を果たすために総力をあげて戦いのために出ていくのですね。

旧海軍戦艦ヤマト建造のドックの跡地もめぐりました。

船からも「大和のふるさと」という字が見えました。

戦艦大和自体にも、霊魂があるならここ自分の誕生地に還ってきたかもしれません。

 

いよいよ大和ミュージアムです。入口を入ったとたん、

10分の1の縮小の大和の模型が置かれていて、圧倒されます。

この10倍の大きさの船に海軍士官3000余名が乗っていたのですね。

戦艦大和の何という優美な船体の美しさ。

日本人は戦いの中にまで、美を求める民族なんでしょうね。

 

本当に美しい。普通の日なのに、沢山の人が見えていました。外国の方も多い。

船と共に沈んでいった若者の遺品は・・・こういうものを見るのはつらいです。

私が特に引きつけられたのは、人間魚雷「回天」とか特殊潜航艇「海龍」でした。

空で殉死した「特攻隊」はよく聞いて知っていますが、

海でもこのような任務を帯びていた人たちの存在は知りませんでした。

特に実際に海に沈められていて、引き揚げられた人間魚雷は

そこに乗っていた若者のことが思われて、その魚雷が若者のようにさえ見えました。

魚雷を両脇に2本かかえて、それを発射したら、

自分が乗っている本体を発射させ、爆死する。

大和は仲間が3000名余もいたけど、この魚雷に乗る若者は一人・・・

私にはこの魚雷に乗った若者の心中がいかなるものであったかと痛ましくなりました。

 

これが戦争なんですね。平和な日常生活では考えられないことが、

実際に行われ、それが日常となっていた時代なんですね。

・・・戦争って、何でしょうね! どうしてそうなるのでしょうね!

 

ゆっくり見たいけれど、次が待っています。

「てつのくじら館」です。わざとこのような形にしたのではなく、

余計なものをつけないでいくと、

結局くじらのような形が一番水に抵抗なく動けるということでしょうね。

潜水艦の内部が見れたのですよ。

あのドイツの「Uボート」の内部のようなのが。

もちろんあの頃より、ずっと進歩していますが。無駄が全くありません。

艦長さんのお部屋。キッチン、バスルーム、寝台、

そして信じられないほどの計器類など。狭い艦内の細部まで有効に使われていて。

食事のメニューが実物の料理にようにテーブルの並べてありましたが、

栄養を考えた美味しそうな食事内容でした。

若い人にとって、このような任務についている人にとって、

食事は最高の楽しみでしょうね。

 

外はもう夕方です。戦艦大和の大きさを4分の1にした波止場をあるいて、

今日一日の余情を楽しみました。もうすぐ太陽は海の彼方に沈むでしょう。

あの日、戦艦大和や人間魚雷が出ていった日はどのようだったのでしょう。

その後、また広島まで帰り、先に帰る息子を送って、夫とホテルへ向かいました。

 

また明日の広島です。次は原爆ドームです。

(9月19日の広島旅行記す)

(写真は人間魚雷「回天」)

 

2013年9月24日

 

2013年8月 2日 (金)

あべのハルカスへ

暑い日々が続いていますが、家の中ばかりいると気持ちがすっきりしません。

そうかといって外に出て熱射病になってもいけないので、

今日は6月にオープンしたあべのハルカスに行くことにしました。

もちろん夫といっしょです。

 

あべのハルカスの最寄の駅天王寺は千里中央から直通で30分ちょっと。

簡単です。

天王寺は私たちの生活範囲区域内にいれてもいい所です。

あべのハルカスは建築中から有名でした。

日本一の高いビルで300メートルです。外から見ると凄いビルです。

天王寺駅から降りてすぐです。

私はオープンしたと聞いて、全館オープンだと思っていたのですが、

外側はできていてもまだ中は完成してはいなくて、半分は工事中でした。

(私はこういうことは気が早いのです)

野外型こどもの遊び場、近鉄アート館とか屋上菜園などは2014年春になるそうです。

きっと家族で来たら、一日中このビルの中で遊べるでしょうね。

グランフロントほどの人出はありませんでしたが、

全館開業になれば、やはりすごい場所になるでしょう。

梅田のグランフロントのお客さんたちとは少し層が異なる感じで、

私のような年配の方が多いように見えました。

そしてお店もおばさんが好むような品物が豊富で、

私の場合はこちらの方が身近に感じられました。

それに必ずエスカレーターの脇におかれたデザインの素敵な椅子やソファーはとても優しいサービスです。

「年配の方、お疲れになったらどうぞ!」と言っているようです。

それにその椅子が各階それぞれデザインが異なっていて、全部腰かけてみたくなりました。
(夫は寝たかったでしょう)

 

12、13、14階はレストラン街です。

今日は日曜日で、おまけに夏休みなのでここばかりは沢山の人で

お店の前で待っているお客さんの行列。

私たちが入ったのは「英国屋」、

名前通り上品でおいしい軽食をいただき、コーヒーをお代わりできて。

夫などはアイスコーヒー2杯飲んで、(お腹だぶだぶ)

・・・お蔭でその後何も欲しくありませんでした。

 

夏の暑い日に、

家の中ばかりに閉じこもりたくない人にはぜひお勧めの場所ですよ。

今日見て回ったお店だけでも半日以上はかかるのに、

全館できたら一日では回れないかもしれません。

とにかく好奇心が旺盛で何でも面白くなる私に夫はよく付き合ってくれます。

「これも勉強よ!」と私は言うのですから、

勉強の大好きな夫は本当に勉強だと思うのでしょう。

 

2013年8月2日

2013年6月12日 (水)

神島へ

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青い空、青い海、船は神島に向かっています。瀬戸内海のおだやかな海に比べて、窓ガラス全体を覆うかと思われる波がばしっ、ばしっと。その波しぶきがとても素敵です。船の横は海面の方が高くなっています。青い海が船より高く見えるのです。

私は全く泳げないのに船が大好きなのです。海を見ていると小さな些細なことをすっかり忘れて、胸が大きくなるような気がします。カモメが沢山飛んでいます。

ガイドさんの説明を聞きながら、約40分の航路を楽しみました。この辺には20ほどの島があるけれど人の住んでいるのは4島であると。その一番離れた所にあるのが神島なのです。神島という名だけでも何か神秘的な感じがします。

ここらの島には縄文時代から人が住んでいて、その痕跡も出てくるということでした。

原生林が鬱蒼と生えている、都会ではまずみることのできない不思議な世界です。

無事に着きました。誰一人船酔いした人はいません。この島は三島由紀夫の小説潮騒の舞台であり、5回も映画化され、全国的に有名な恋人の聖地といわれる島なのです。

着いたら目の前に早速三島由紀夫の記念が建っていました。

つい2日前に吉永小百合が49年振りにこの神島を訪れ、普段400人の住む島に2000人が集まったそうです。その麗しき人の香りがまだほんわりと残っている広場に70歳前後の男女42人がどやどやと上陸したのです。もちろん島民の誰一人関心をもつ人などはおりません。それどころか今日は唯一の食堂・喫茶店・土産屋さんも店を閉じてお休みです。

ガイドTさんが(ガイドは2人)が広場のある地点に立って、「ここに吉永小百合さんが立っていたんだ」って、自分がそこに立ってもう懐かしそうに、心からの想いをこめておっしゃった。その小百合さんが立ったという地点の周囲に2000人が集まった光景を想像すると何か女神さまが御くだりになったような感がする

 

42人は二手に分れました。2時間余のウォーキング組とゆっくりと散策する組と。

私は散策組を選びました。夫は本当はウォーキング組に入りたかったのでしょうが。

私は集団行動で頑張ることが苦手なのです。頑張ればできるでしょうけれど、集団だと横道に行けない、ゆっくりと周囲が見れない。考えることもできない等々があるからです。これが私の性格です。皆様お元気で圧倒的にウォーキング組が多く散策組は8人ほどでした。

案内をしてくださる方は離島に住んでおられる80歳位の方で温和な優しい男性です。八代神社へは本当は階段が214あるのですが、なぜか簡単に到着してしまいました。ガイドの方が私たちの年齢を考えて、通常通らないコースを歩かせたのでしょう。ですから神社にお参りする作法である手と口を水で清めることも省略してしまって。あれ、これでいいのでしょうか。後で気づきました。

神島灯台にある恋人の聖地の記念プレートの前で夫と記念写真。
夫と熟年(いや老年記念)の写真を撮り、自画自賛のご満悦。灯台から見る伊勢の海景色はすばらしかった。この海は昔から船の難所で事故も多かったけれど、水底の岩を削ったので船の安全は守られるようになったそうです。灯台守の歌が浮かんできました。数知れぬ灯台守によって船の安全が守られ、それによって国民も間接的に守られてきたのだと思います。

港に向かって細道を降りながら、ガイドのHさん歌を一曲披露して下さった。そのあとまた吉永小百合さんのお話。「68歳だけど、きれいな人だった。40代にしか見えなかった。謙虚な方だった。私はますます好きになった」と。ああ、Hさんにとって小百合さまは永遠の恋人。きっとこの海から上がってきた女神さまなのでしょう。誰にも取られまいとするかのように。その80歳になるであろう老人は若き日に抱いた小百合さんへの憧憬を今も抱きしめ、あの世までもっていかれるのでしょう。そんなお顔でした。

階段と坂だらけの島。美しいけれど、住むのにはかなり酷な島。水、電気、あらゆる生活物資は本土から運ばなければならないし、すべてお金と交換しなければならない。産業は漁業だけ。良いときもあればそうでないときもある。この神島も1500年前から人が住んでいるという。その労苦の積み重ねが今である。けれどやはり時代の流れには逆らえないらしく年々住む人が減っていくそうです。

いろんなことをガイドさんに聞きながら、離島に幻想と現実を頭の中でごちゃごちゃにしながらも、この大自然の美しさを前にしては自分が今現実の中にいるのか自然の中に溶け込んでいるのか錯覚しそうでした。あの世にいく感覚もこんな感じではないかと思って。

船は本当にロマンをかきたてます。海を見ていると何か自然の大きな懐に還っていくような気がします。夫と一緒にこの離島まで来れたことに感謝しつつ、別れ難い船を去りました。(6月4日の神島への旅行です)

*************

三島由紀夫は川端康成にこのような手紙を書いたそうです。

「神島という一孤島に来ています。映画館もパチンコ屋も飲み屋も、喫茶店もすべて汚れたものは何もありません。この僕まで浄化されて。ここには本当の人間の生活がありそうです。」


2013年6月12日

 

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