日記・コラム・つぶやき

2018年7月15日 (日)

本、言葉の紹介 平和

ミサの中で、信者の間で必ずこの挨拶が行われます。
「主の平和」です。
カトリックに入りたての頃、これにはとまどいました。
皆さま、手を合わせて、両隣、前後の方々、
また周囲の方々に「主の平和」といって、会釈するのです。


この習慣にもきっと深い伝統的な意味があるのでしょう。
「キリストの平和があなたがたの中にありますように」という意味だと思って、
今は先ず私の内部にそして皆様の心の中に、
キリストの平和がありますようにと周囲の人に挨拶します。
皆さま、優しい微笑みを返してくださいます。
素晴らしい伝統だと思います。


夏は、特に日本の平和について考えさせられることが多いです。
沢田教授の著書の中の「平和」は、私の思いをすっきりさせてくれました。
縦の意味と横の意味、まるで十字架のようですが、
理性と信仰をもって理解することが大切であると自分に言い聞かせています。


澤田昭夫著「見えないものを大切に」より、

「平和」

 使徒パウロが小アジアのガラテアに宛てた手紙に、
「平和は霊の実り」だとあります。
霊によって生きる人には、神から愛と平和が与えられるというのです。
キリスト自身、最後の晩餐の席で、「私があなたたちの平和を与える。
ただし、それはこの世が与えるような平和ではない」と申されました。


愛も平和も神の賜物、霊の実りだというのです。
しかし、「平和を生み出す人は幸いだ」ともあります。
つまり、平和は神の賜物であると同時に人間の業でもあります。
 ところで、人間はどうして平和を生み出せるでしょうか。


 第一次世界大戦に一時流行ったのは、
権力政治や国家利益を忘れれば平和が到来するという考えでした。
権力や武力はそれ自体が悪だから、軍縮を進めよう。
国家利益を越えた人類社会組織を作り、
国際紛争はそこでの話し合いで解決しよう。
そうすれば、平和な新社会秩序が生まれるという考えでした。


しかし、その考えは失敗し、第二次世界大戦が起こりました。
強制力、武力がないと、
どんな世界秩序も維持できないことが立証されました。
権力、武力はそれ自体が目的にされると、
社会の破滅を招きます。
しかし、強制力無しの社会は混乱、混沌を招きます。


 英国の歴史家、軍事史家のマイケル・ハワードは、
国際問題の解決には水平と垂直の二つの次元が必要だと言います。
水平の次元とは権力、武力に関わる世俗政治の次元で、
これなしにはどんなに立派な人道的、倫理的政策も、
無責任な作文に終わる。
垂直の次元とは人権、人類愛、信義、法の支配など、
倫理的価値の次元で、
これがないと権力、武力が自己目的になる危険がある、というのです。


この倫理的次元をさらに宗教的に深めるのは、
他人のために命を捧げるほど大きな愛はないというキリストの教えや、
初めに申した、平和は霊の実り、という考えだと言えましょう。


「見えないものを大切に」澤田昭夫著より


2018年7月15日

2018年7月 7日 (土)

本、言葉の紹介 「人生の秋に」

春秋社発行 「人生の秋に」ヘルマン・ホイヴェルス神父

カトリックの祈祷書「祈りの友」を読んでいたら、巻末の方に、
「最上のわざ―熟年者の祈り」とあり、
ホイヴェルス神父の「人生の秋に」からの美しい詩が載っていました。
「この祈りの友」は、洗礼の記念に神父から頂いた)
・・下記にあります・・


2014年から始まったカトリック入門講座に
一人の80代と思われる学者風の方が熱心に来られ、
必ず神父さまの身近に席をとっておいででした。
誰とも話はなさらず、勉強の後は難しい質問を神父になさり、
他の人たちはまたかという顔で、その方から離れていました。
どうしても隣に座らざるを得なくなって、
私たち夫婦はその方に話しかけました。
大阪大学の名誉教授でした。
シェイクスピアの大家でした。


元教授と毎週講座の終わったあと、
駅までの10分ほどの道を話しながら帰りました。
教授は洗礼志願者申し込みが近づくときこんなことを言われました。
「実は私は研究のために、ここへは偵察に来たのだよ。
でも、いつの間にミイラ取りがミイラになったように、
受洗したいと思うようになった。
カトリックに入りたいと思って家族に言ったら、大騒動になって・・・」と。


悲しそうでした。
特に奥様の強い反対で。
先生は心臓も悪く、歩くのもゆっくり、ゆっくりでした。
私も文学のこと、特に西洋文学の話ができてとても嬉しかったのです。
その後、私たち夫婦は別の教会に移りました。
(カトリックは自由に移動できる)


先生から、一冊の本が送られてきました。
「一冊あまっていたので、送ります。
お話をした時間、私にとって至福の時でした」
・・あまっていたにしてはよく読まれた本のようでした。
愛読書だったのです。
そして、ホイヴェルス神父の詩がありました。
S先生の心境そのままであり、
私のこれからを指し示す、輝石のような言葉でした。


********

最上のわざ―熟年者の祈り
 ホイヴェルス神父 人生の秋に


この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静におのれの十字架をになう―。


若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役たたずとも、
親切で柔和であること―
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために―


おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事――。
こうして何もできなくなれば、
それを謙遜に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ―。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。


愛するすべての人のうえに
神の恵みを求めるために――。
すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と――。



2018年7月7日

2018年6月28日 (木)

本、言葉の紹介 聖母文庫の紹介

https://bookmeter.com/books/337228

アウシュビッツの聖者コルベ神父の
本の感想です
聖母文庫の本はアマゾンで検索すると
沢山出てきます。

1930年4月24日、
長崎に上陸したマキシミリアノ・コルベ神父は、
ただちに早坂久之助助司教を訪ね、
出版物によるキリスト教宣教の許可を願いました。


長崎到着の一か月後、
月刊「無原罪の聖母の騎士」1万部を出したのが、
コルベ神父の日本での出版宣教のスタートでした。
それから約6年間、コルベ神父は昼夜をわかたず、
「聖母の騎士」の出版に心血を注ぎました。
難解な日本語の活字を一本一本苦労して拾い、印刷しました。
コルベ神父のモットーは、一冊でも多くの「聖母の騎士」を出すことでした。
そのため、質素な生活に甘んじ、全精力を出版活動に傾けたのです。
・・・・聖母文庫発刊にあたってより


それから88年、聖母文庫として、
今もなお、良質な正統派の書物を、
廉価な持ち運びやすい形として提供されています。


*アマゾン等で聖母文庫を探されると、
かなりの量と種類の本が出てきます。
ご自分にあった願い通りの本が手に入るかもしれません。
今、私が読んでいる本の中にも、数冊の聖母文庫があります。



「コルベ神父のその後」
 日本の長崎に来て6年後、
神父はポーランドに帰らなければならなくなりました。
ポーランドで大規模な活動をしていましたが、
第二次世界大戦が始まり、ナチスに逮捕されました。
その地獄の収容所(アウシュビッツ)で、一人の仲間が脱獄し、
すべての囚人は炎天下に一日中直立不動の姿勢をとらされ、
その中で10人が餓死刑を受けることになりました。


10人が選び出されました。
選ばれなかったものはほっとしたのです。
10人のうちの一人が、泣き悲しんでいました。
 そのとき、「お願いします。私は彼の代わりになりたいのです」と申し出たのが、
コルベ神父でした。
コルベ神父の申し入れは聞かれ、地下牢に素っ裸で入れられました。
 そして、地下牢からは救いを求める叫びや呪いではなく、
静かな祈りのささやきでした。


ナチスの兵にとって、
コルベ神父の目に輝く平和と静けさは、耐えられないものでした。
14日後、生き残っていたのは、4人で、
意識のはっきりしていたのはコルベ神父一人でした。
4人は毒物の注射で殺されることになり、
コルベ神父は自分の腕を自ら差し出し注射を受けました。
後ナチスに強いられて手伝った囚人の一人が
「私が入ってみると、顔は輝き、目は天を見つめたままで壁によりかかり、
コルベ神父は死んでいました。その姿は高潔そのものでした」
と語っています。


 神父はカトリックで、聖人とされましたが、
これは「奇跡」といわれています。
神父は47歳でした。
1941年の夏、天国に召されました。 
このコルベ神父の詳しい話も聖母文庫に何冊かあります。
「アウシュビッツの聖者コルベ神父」、「ながさきのコルベ神父」 


キリスト教に触れたい方、生きる指針として読んでみたい方、
そして信仰を深めていきたい方、
聖母文庫の何れかの本が心に喜びを与えることと思います。

2018年6月28日

2018年6月19日 (火)

本、言葉の紹介3 見えないものを大切に

「見えないものを大切に」の紹介です。


澤田昭夫著 聖母の騎士社出版 337ページ
澤田昭夫教授 1928年10月5日―2015年3月24日
 歴史学者、筑波大学名誉教授、近世英国史・ヨーロッパ史、
トマス・モアの研究、カトリック教徒


・父は沢田節蔵:外交官(元国際連盟日本代表・ブラジル大使)、
 東京外国語大学初代学長
・夫人は沢田マルガレータ:元愛知大学・タカチホ商科大学教授、
 ケルン大学経済学博士
・叔父は沢田廉三:外交官(外務次官を2度務め、初代国連大使)
・叔母は沢田美喜:エリザベス・サンダーホーム創設者、
 男爵岩崎久弥の長女
・実兄は沢田和夫:カトリック東京教区司祭
・実弟は沢田寿夫:パリの国際仲裁裁判所副所長 2016年死去


●1987年来、
「心のともしび」運動のラジオ番組「太陽のほほえみ」のために、
毎月書いてこられた14年分の原稿を、
聖母の騎士社が文庫本として出版したものです。
 簡潔にしかも内容深くまとめられた文章は、
信仰、仕事、罪、平和、落胆、孤独、平等、心の財産、聖母マリア、
苦しみ、個人主義と利己主義、心の平安、常識、復活、癒し、
わがまま、勤労、負けて勝つ・・・など素晴らしい言葉の数々ですが、
その中で、「死を考える」を紹介させていただきます。


「死を考える」 

人は生きるためにある存在です。
ですから人間が死を嫌い、死にたくないと思うのも当然です。
しかし、死ほど確かなものは世の中にありません。
いつ来るかは分からないが、必ずやって来ます。
ですから死とは何か、人は死後どうなるかについて
知れるものなら知っておくほうが、
死に対して目をつぶって知らぬふりをするよりも大人らしい態度でしょう。


 ところで、死後の世界について語ってくれるのは、
死んでから復活した人以外にはあり得ません。
大病して「死後の世界を垣間見た」などという
センセーショナルな体験を書く人がいますが、
その人もほんとうは死んではいないのですから、
死の体験談にはなりません。


死んで復活した人はふつうの人間には誰ひとりいないのです。
ですから、私たちは死後の世界について、
ふつうには知りようがないのです。
 死んでから復活した人間はひとりいます。
ただしふつうの人間ではなく、人間であると同時に神である人、
すなわちキリストです。


そのキリストは、神の教えを信じ、
その掟を守るなら人は死んでも復活し、
永遠の生命に恵まれると約束なさいました。
  永遠とは長い時間のことではありません。
時間は過ぎ去るもの、はかなさのしるしです。
永遠とは時間のない状態、時間を越えて、
くち去ることのない状態です。


死ぬとは、その永遠の生命の世界に
新しい「霊の体」をもって生まれ変わることです。
現世での命日は、新しい世界への誕生日です。
しかしそうなるための条件は神の掟を守ることです。


 その掟の最大なるものは、
現世で神を大切にし他人を自分と同様に大切にすることです。
 「よく生きることがよく死ぬこと」という格言のさとす通りです。


*6月18日 大阪で地震発生しました。
私の住む豊中はその一番強い直撃を受けました。
揺れ動く瞬間、まずどこに自分の体を置けばいいか考えました。
テーブルの下、電気の傘のないところとか考えているうちに揺れは収まりました。
急いで玄関の戸を開けました。
私には死の迫った地震だとは思えませんでしたので、
まだ私には生命が続くようです。感謝しました。
幸い物は少々倒れましたが、阪神の震災のときほどの被害もなく、
私は守られましたが、大変なことになった人たちも多くおられます。

勇気と慰めが与えられますように。

2018年6月19日

2018年6月 9日 (土)

本、言葉の紹介 「カトリックの終末論」

今日のご紹介は、「カトリックの終末論」です。

里脇浅次郎著、聖母の騎士社(聖母文庫)発行 )P143
*アマゾンで入手できます。


自分の死後のことを何ら考えることなく、この世を謳歌し、
そうでなくても生きるのに精いっぱいで
そんなわけのわからないこと考えたくないと言う人も多いでしょう。
死は誰にでも来るけれど、考えたくないというのが普通かもしれません。
 わたしのように小さいときから、死を身近に考えていたものからは、
とても不思議ですが。


 この本に書かれていることは、
ヒルデガルトの終末とほぼ同じようなものです。
彼女は、その天界の有様を「見た。聞いた。」として書き、
細密画を多く残しています。
典礼や歌、細かいことは時代の流れで異なっていますが、
核心は同じです。


本書まえがきより、
P1~「何事をなすにも人生の終わりを思え、そうすれば罪を犯すことはない」
シラ書7―36

 終末論は、神学全体の結論である。あるいは、本論とも言える。
今次の公会議も、教会憲章の末尾に
次のように終末に関する伝統的な教えを要約し、再確認した。


1,
「私たちは地上の生活の一回限りの行程を終え」(48-4)死、
2,「各自生存中に行った善悪について報告するために、
 キリストの法廷に立ち」(同)(私審判)、
3,「善を行った人は主と共に婚宴に入り」(同)(楽園)、
4,「悪人は主を離れて、永遠の火に入り」(同)(地獄)、
5,「救い主イエズス・キリストの栄光の到来」(同)(再臨)、


6,
「善人は生命のために復活し、
 悪人は滅びのために復活する」(同)(死者の復活)、
7,「生者と死者を裁く」(現代45-2)(公審判)、
8,「世の終わり」(教会48-4)(世界の終局と一新)、
 とこれが本書の要約であり、1-8までの詳細が本文で述べられています。


そして、著者の言葉として、
「自分の死さえ体験することのできない私たちにとっては、
死後の世界は全くの謎である。
啓示されたことも、黙示的かつ比喩的な言葉で表されているので、
その実体がどのようなものか知ることができない。
しかし、実体の存在は信仰の光に照らして知ることができる。」とあります。


けれど、この神の深い謎は約900年前、
ヒルデガルトを通して明かされました。
今少しづつ、「道を知れ」の英語版を訳して、理解しようとしています。
神秘の謎が解きほぐされていきます。
ぼんやりとしていた、手ごたえのなかった信仰に
知性と理性と意志が加わっていくようです。
 何よりも、物事の善と悪がはっきりして来て、
やはり聖霊の働きと悪霊の働きを感じます。


ヒルデガルトの3部作のうちの2部、
「命を得るための書」と「神の業の書」もいつか読まなければと思っています。
 夫は同じものを、英語版、ドイツ語版、ラテン語版から読んでいますが、
私はよちよちと英語からのみです。



2018年6月9日

2018年5月31日 (木)

本、言葉の紹介 ビンゲンのヒルデガルト

 私の小さな人生の終着点は、実に大きな喜びの世界でした。
15歳の頃より、「真実、真理、私とは?」と考え続けて今に至ったのですが、
それは永遠に理解不可能なことではなく、
私にとっては明快な理解を伴う説明を通して、答えられました。
 この最終の位置、場所を神の恩寵として、謙虚に受け取るだけです。
 これから先、私が提示しようとする本や言葉に興味をおもちの方は、
どうぞ引き続いてお読みください。


これからは、極力私的な行動、考えは特別なとき以外は書かないつもりです。
私的なことは、あまり意味がありません。
そうして、間違いをしやすいものです。
 ことばそのものに、触れることが命に通じることだと信じます。


 今日は、現代に響く声「ビンゲンのヒルデガルト」の紹介です。
 聖母文庫出版、レジーヌ・ペルヌー著、門脇輝夫訳(P335)


*********


「第2章 身辺の人々に幻視体験を打ち明ける」より


 私(ヒルデガルト)はこの世に生を享けて43歳のとき、
非常な怖れを持ちながらも天からのヴィジョンに引き付けられました。
おののきながらも目を離さずに非常に強い耀きを見たのです。
その中で、一つの声が天から聞こえ、こう言うのでした。
「ああ、脆い人間、まったくの灰、腐りきった者よ、
見聞きすることを語り、書き記しなさい。
しかし、語るにしては臆病、説明するにしては不慣れ、
書くにしては教育がない。


だから、人間の口、浅はかな人知、人為的に書く望みによらず、
神に由来する天上的な驚嘆すべき事柄について
見聞きすることに基づいて語り、書きなさい。
教えてくれる人の言葉を聞く者のように、
言われるままのことを繰り返し、望まれ、示され、
命じられたように述べなさい。


だから、人よ、見聞きすることを語りなさい。
自分のやり方でも他の人のやり方でもなく、
ご自分の隠れた神秘の中で一切を知り、
見て処理される方の意志に従うのだ。」


私は再度、天の声がこう語るのを聞きました。
「これらの驚嘆すべき事柄を教えられ言われたとおりに語り、書き記しなさい。」
これが起こったのは、1141年、
神の御子イエス・キリストの受肉から1141年目、
私が42歳と7か月の時でした。
開かれた天からの極度に輝く火の光が、
私の脳、体、胸の隅々まで射し込みました。
その炎は焼き尽くすようなものではなく、
太陽の光線を受けたものが温まるようなものでした。

・・・・・・・ 

私がヴィジョンを受けたのは、眠りの中でも、まどろみのうちでも
、法悦の中でもなく、また、体の目や外的な耳にもよりません。
隠れた場所で認めたのではなく、目覚めていながら、
人間の眼と耳で内的に見るのです。
そしてただ霊の内に神の意志に従って露わな場所でヴィジョンを受けたのです。 

・・・・・・・

ヒルデガルトの幻視13より


ヒルデガルトは、私は見た。私は聞いたと言います。
天界を見た、天界の音楽、言葉を聞いたということです。
その楽の音を聞いた(P270より)という箇所から歌は段階を踏んで、
天に上げられた人々をたたえ、
快いシンフォニーを形作る多数の声となって、こう語るのでした。


「13の1 マリアのシンフォニー」


ああ、いとも輝かしい宝石、
注がれた太陽の晴々とした誇り
太陽は御父の心から湧き出る泉
独り子なるみことば
御父はみことばによって世界の初の物を造られ
エバがこれをかき乱した。


みことばはあなたの内で人となり
あなたを輝く宝石とし
初の物からすべての被造物を造られたように
手ずからあらゆる徳を引き出された。


あなたはエッサイの幹の生い茂る心地よい枝
神がご自身の美しい娘の中に認めた徳は
なんと偉大なことか。


鷲が太陽をじっと見ているように
いと高き御父はおとめの輝きをつくづく眺められ
みことばが人となられるのを望まれた。


おとめの霊は神の奥深い神秘に動かされ
輝かしい花がその内に見事に咲き出でた。

 

*この本はアマゾンでも入手できます。

2018年4月14日 (土)

人生最良の日々

https://www.youtube.com/watch?v=2sGvrQm0gjo

ヒルデガルトの歌です。

私は今人生で最良の日々を過ごしています。
ビンゲンのヒルデガルトのスキヴィアス(道を知れ)をゆっくりと学んでいます。
1部から3部あり、2部だけが邦訳されています。
英語版の1部をとても遅いペースで噛みしめながら(英語ができないので)、
意味を理解しながら、進んでいます。
3部が終わるのは今年中かそれ以上でしょう。
その他に「神の御業の書」もあります。
私の残りの生はこれで尽きるかもしれません。
ベーメもすばらしいのですが、
やはり女性であるヒルデガルトの神学は私には身近に感じます。


そういうわけで、これ以上の楽しみがなくなりました。
夫と毎日ヒルデガルトのテキストの話に夢中です。
ヒルデガルトの著作は、真のキリスト教の入門書であり、神学です。
私はこの年齢になって、新鮮な気持ちで、
キリスト教に再入門した感じです。
目の前がパッと開かれた思いです。
感謝の々です。


邦訳されたものは僅かしかありませんが、ご紹介します。
興味のある方はお読みください。


*「ビンゲンのヒルデガルト」レジーヌ・ペルヌー著 門脇輝夫訳 聖母文庫出版
*「聖女ヒルデガルトの生涯」ゴットフリート修道士・テオーデリヒ修道士著
久保博嗣訳、荒地出版社
*「中世思想原典集成15、女性の神秘家」
編訳上智大学中世思想研究所 発行 平凡社
(これはヒルデガルトのスキヴィアス(道を知れ)の2部のみの訳が入っていますが、
素晴らしいです。)


私の小さな歩みもしばらくお休みします。
(長い休暇になるかもしれません)
今私はヒルデガルトに啓示された「神のことば」を学びたいのです。
ドイツではヒルデガルト生誕900年のお祝いがあり、
また切手にもなりました。
ドイツにとっても、偉大な女性です。
カトリックでは教会博士です。


*********


上記の文章とは関係ないのですが、
ブログで輪廻転生を信じていると書いたような気がします。
今は信じていません。
誤解を生むといけないと思いましたので、訂正します。
人間の生命は一回だけだと思います。


*それから臨死体験も以前はそうかもしれないと思いましたが、
今はそれも信じていません。
なぜなら、臨死体験は死んでいないからです。
これを付け加えておきます。



2018年4月14日

2018年4月 6日 (金)

復活祭

復活祭が4月1日になるのは珍しいことです。
復活祭は毎年教会暦によるので、日にちは変わります。
今年はちょうど1日となったので、
いつもより何か違った感じがします。
前の夜(31日)は,復活祭前夜式で洗礼式もあり、特別な祭儀でした。
2時間半の祭儀は老人にはかなり大変なので
どうしようかと思ったのですが、
来年はいけるかどうかわからないと思って出かけました。
そして、何もできない私だけれど、
受洗される人たちのために、祈りを捧げたいと思ったのです。


前夜祭は日本人だけでなく、外国の方もかなり集まっていました。
英語、スペイン語、インドネシア語の混じったミサです。
夜遅くなるので、やはり復活祭(1日)の人数よりは少なく、
それでも350名くらいは来ていました。
スペインの神父さま、
日本語、英語、スペイン語を駆使して、大活躍です。
ご自分の導いた方々25名が洗礼を受けられるのですから、
最高の笑顔でした。
心から嬉しさがこみあげてくるようでした。


25名(幼児1名)の方たちは、緊張と新しい決意をもって、
また喜びをもって、洗礼を受けられました。
私も自分のことを思い出しながら、
この道をまた新しい決意をもって、歩んでいこうと思いました。
洗礼はゴールではなく、新しい出発ですから。


カトリック教会では、日本時間ではだいたい同じ時刻に
前夜祭が行われ、洗礼式が行われています。
空から見ていたら壮観でしょうね。
日本中の教会でローソクに火が灯され、
振り香炉の香が聖堂に満ちて、
賛美の声が空まで届いていることでしょう。
やはり、出てよかったです。
ミサはいいですね。
復活祭のお祝いのたまごをもらって私が家に帰ったのは、
夜10時半にはなっていました。


1日は、昨日の疲れもあまりなく、夫と仲良く、
今度は復活祭のミサに与りました。
今日もやはり外国の方も多いです。
最近、様々な国の人が教会にも来られます。
肌の色、体形など、全く感じなくなります。
同じ赤い血が流れている、同じ人間だと思います。
今の教会にきて、いつも外国の方を身近に見ていると、
仲間という感覚が強くなってきます。
肌の色も衣服と同じで、みなきれいだな、美しいなと思います。
一種類の色だとおもしろくありません。


満席でした。
400人以上は来てたでしょう。
そのあとはパーティ。楽しく食事をいただきながら、
会話しながら、幸せなひと時を持ちました。
復活祭 おめでとう!


2018年4月6日

 

2018年3月28日 (水)

天界の音楽

*ヒルデガルトのことはウキペディアでも
詳しく出ています。是非検索してください。
便利な世の中になったものです。

ずっと昔の人から見たら、
魔法を使っているのではと思うのではないでしょうか。
アマゾンからヒルデガルトのCDを注文したら、
はるばるアメリカから届きました。
よく見ると作られたのはEUです。
信じられない、速さで着きました。
値段も送料込みで、1000円ほどです。


ヒルデガルトの音楽をパソコンで聴いているうち、
CDが欲しくなりました。
ヒルデガルトは実際に聴いた天界の音楽を譜面にしました。
そして神への賛歌である言葉を沢山残しました。
それを現代の歌手が歌い、世界中で販売しています。
天界の音楽を書き記した人なんて、そうあるものではありません。
ヒルデガルトは検索してみればわかりますが、
ほぼ900年も前のドイツの神秘思想家です。
カトリック教会では聖人となっていましたが、
さらに2012年に教会博士となりました。
とにかく、あらゆる面において、偉大なひとです。
やはり魂が清められるような、心安らぐ美しい音楽です。


********


音楽とともに、今ヒルデガルトの膨大な著書の中から、
代表的な作品といわれる「道を知れ」と
「神の御業の書」のキンドル版を手にいれて、翻訳機に頼りながら、
驚くべきメッセージを読んでいます。
(英語キンドル版は夫が捜しました)
これほど、天界の有様を見て、聞いて、書き残した人は
古今東西ないかもしれません。
恍惚状態や忘我の状態ではなく、あくまでも冷静、理性的な目で
その啓示を受けた方です。
謙虚な眼で、心で、読むとき、見えない天界の有様が
ごく自然に心の中というか、魂の中に入ってきます。
残念ながら、日本語訳は「道を知れ」の第2部しかありません。


ヒルデガルトは最近になって、ようやく今の時代に蘇った感じです。
今こそ、彼女が受けた天のメッセージが
必要とされる時はないのかもしれません。
「預言者、科学者、音楽家、画家、詩人、医者、神学者、説教者、薬草学等々・・」
あらゆる分野に秀でた人であり、中庸ということを大切にした人です。


2018年3月28日




2018年3月20日 (火)

金婚の祝い

今日は春うららの日です。
新聞のお天気欄も太陽マークが一日中、輝いています。
急に思いついて、後回しにしていた、
私たち夫婦の金婚の祝いをしようと万博記念公園に行きまた。


 実は金婚の祝いはどこかに旅行するとか、
何かごちそうをと、特別なことを考えてもいましたが、
だんだん遊びや食べることに興味がなくなってきたのです。
喜びは一時的なものですから。
万博の近くにあるエキスポ阪急ホテルのカレーとコーヒー、ケーキを、
ホテルの美しい庭をみながら食べること。
そして念願の関西一といわれる観覧車に乗ってみたいということ。


これが「ねえ、金婚の祝いだけど、何する?」と夫に聞かれて、
私が言った希望です。
「ははん?ホテルの食事は理解できても、観覧車?」と、夫は不思議そう。
万博の観覧車は大きくて、高くて、かなり遠い所からもよく見えます。
私はあの高い所に上がって、大空を見てみたかったのです。
空が好きなのです。
それは広くて、大きくて、見ているだけで、
心身ともに溶け込んでいくようです。
子供のとき、よく草や藁やレンゲソウに寝転がって、
空を見つめていました。
空が大好きでした。
だからこんなに年取っても、
もっと近くに行きたいなと思ったのです。


私は空の奥の奥に、
私の故郷があるようなそんな気がするのです。
そのように想像するのです。
このささやかな夢は実現しました。
観覧車に乗って喜んだのは結構夫でした。
あの高さから見る景色はすごいですよ。
あ、それからホテルの食事もすてきでおいしかった。
阪急ホテルのカレーは有名ですよ。

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「どうして私を見つけんだと」と夫。
「神さまが導かれ、与えたの」・・・これが私の答えです。
結婚は人生の一大事です。
これによって、人生の大半が決められるといっても過言ではありません。
特に「私はクリスチャンとでなければ結婚しない」
と宣言していましたので、祈りは真剣でした。
毎日、夜遅く、暗い空に向かって、
時には星や月の輝く夜空に向かって、神様に祈りました。


一年経った頃、ある日、
揺るぐことない確信が私の内部に与えられました。
答えられたのです。
そうして私は田舎町から大阪へ出たのです。
それからの導きはただ不思議でした。


出来上がった者同士の結婚ではありません。
でも、神様の与えられた人、
私の願いをかなえて下さったのだ・・・それは真実なのです。
結婚式の誓いの言葉は形式ではなく、真実の言葉です。
もう一度あの言葉を思い出して、
言葉が実のなるように、最後まで努めたいと思います。
今日は良い日でした。

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再び誓いの言葉・・・金婚の祝いに


健やかなるときも、病めるときも、
喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、
貧しいときも、これを愛し、これを敬い、
これを慰め、これを助け、
死がふたりを分かつまで、真心を尽くすことを誓いますか?

「はい」



2018年3月20日

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