日記・コラム・つぶやき

2017年5月26日 (金)

太鼓まつり

村祭りの歌です。素敵なのがありました

5月とは思われない暑い日です。
京都も山陰も長野と広範囲にわたって30度以上です。
はて、どうしょうかなと少し考えたのですが、
気をつけておかしくなったら帰ることにしょうと
夫と「太鼓まつり」に行きました。
いつものことですが、「行きましょう」というのは私の方・・
「ああ、行くよ」というのは夫です。
 好奇心というのは、私の方が強いのかもしれません。


水を持っていきましたが、野外音楽堂です。
暑いです。
野外ですからかなりの広さです。
すでに数百人は来てました。
「ドーン、ドーン・・パシッ、トントン」という音が周囲に鳴り響いています。
でも不思議なことに、太鼓の音は
どんなに大きくても騒音には聞こえません。
お腹の中にドーンと来る、何か鍛えられるような音なのです。


太古から様々な国の人々は、太鼓の音と共に生きてきたのです。
太鼓は神々への祈りにも欠かせないものであり、
日本の場合も神事と結びついていたのでしょう。
出演者はそれぞれの工夫の衣装を身にまとい、
男性も女性も勇ましい恰好で、力一杯、掛け声をだしながら、
大太鼓、小太鼓、笛、銅鑼、あるグループは踊りも披露してくれました。
だいたい、衣装は黒と赤の色彩です。
これは縄文の色ですが、若い人たちがニコニコしながら
打ち続けている姿に、やはり来てよかったなと思いました。
(でも、暑いことでした)


感激したのはろうあ者の方々の演奏です。
はじめは知らないで、すごく心に迫るような打ち方だなと思ったのですが、
後の説明でろうあ者の皆様の演奏だと知りました。
ろうあ者の人たちは自分では太鼓の音は聞こえない。
太鼓の響きを体で感じ演奏しているのだそうです。
10名ほどの男女の人でした。
見事な演奏でした。
顔が輝いていました。


またろうあ者の人たちと健常者の方たちの合同演奏もあったのですが、
よく見ていると、ろうあ者の方々は太鼓の響きを感じるとともに、
常に健常者の打ちおろす太鼓の撥に注意し、
遅れないように合わせていました。
おそらく、すごく神経を使っての演奏だったと思います。
偉いと思いました。
これだけでも、今日来た甲斐がありました。
私も元気が出てきました。


全部見たかったのですが、やはり暑さの中、無理は禁物。
特に高年配の夫を誘った私には責任があります。
帰り、駅前の蕎麦屋で蕎麦をためたのですが、
店内に
「村の鎮守の神様の今日はめでたいおまつりび・・
ドンドンヒャララ ドンヒャララ・・・」とまつりの歌が流れていました。
太鼓まつりその通りの歌でした。
帰り路、夫と歌ってみるのですが、
歌詞が思い出されず、ハミングです。
でも元気になる、嬉しくなる歌です。


2017年5月26日 記す

2017年5月18日 (木)

母の日に思うこと

母の日の赤いカーネーションがついこの間まで、店頭に売られ、
いたる所にお母さんの笑顔が輝いた、ポスターや絵が貼ってありました。
昔に比べるとお母さんという概念も変わってきたのか、
むしろ親子間での問題がしょっちゅう出てきて、
人生相談でも大きな深刻な悩みとして取り上げられています。
これは一人一人の意識が人間として目覚めはじめ、
親子も母と娘もあるいは夫婦も
個という意識体として生き始めたのではないでしょうか。
私は否定的には考えません。
他者に依存しないで、他者を思いやる。
これが大切なことだと思っています。
個に目覚めて、他者を思いやる。
こうできたらいいと私は思います。


私の実母は2歳と5歳の幼い子供を残して彼岸に旅立ちました。
突然襲った盲腸が体内で破裂したのです。
その年は終戦の年であり、日本は大混乱に落ち、
日本の食量の一端をまかされていた父は大きな責任を負っていました。
国の農場で働いていた人たちの多くは兵隊に行き、
農場にいた男手は数人だけ。
その人たちが戸板に母を乗せて
1時間か2時間かかる病院まで必死に運んでくださったのです。


急性盲腸炎でした。
母のお腹の中は破裂状態だったのでしょう。
母のお腹には子供がいました。
その子は病院に運ばれる途中体外に出て死んでしまいました。
私の妹となるべき子供でした。
それから母は2か月足らずでこの世を去っていくのですが
母は自分の体の痛みと苦しみよりも
後に残す2人の幼い子供のことだけを考えていました。


母は知っていました。
自分亡き後、夫(私の実父)は子供を育てられないということを。
終戦のどさくさの中で公の後始末で忙殺されている父には
母と私たち子供のことを顧みる余裕はありませんでした。
実父の遺した手記には妻と子どもたちが何を食べていたかもしらない。
どうしていたかも知らないと書かれています。
母はそのような状況の中、
「私が死んだら子供たちを頼みます」とは言いませんでした。


そのときの母は死が迫り、身動きできないからだの中で
気持ちというか意識だけが必死に子供の保護者を求めて
それこそ宇宙空間を飛んだのでしょう。
行方も知れない義理の兄のもとへ飛びました。
母の義兄はシベリアに抑留されていました。
抑留地シベリアである夜、母が枕元に立ったそうです。
これは大変なことが起こっていると変事を察した義兄は
どんなことがあっても日本に帰ると心に決めたそうです。


5年の後、義兄は日本に帰りました。
もちろん母は亡くなっていました。
母は死んでいくことをシベリアの義兄に伝えたのでしょう。


「久子はね。お前たち(私と姉)を本当に可愛いがったんだよ。
まるで宝物のようにしてね。決して久子のことを忘れてはならないよ」・・
遠く(北海道)から私たち姉妹に会いに来てくれる祖母が必ず言う言葉でした。
私には養父母がいるのに、
だからこそ祖母は私の実母を忘れるなと必死になって教えたのでした。


祖母にいわれるまでもなく、忘れることはありませんでした。
姉は叔父の所へ養女に行き、私たち姉妹は離れ離れでも、
お互い母を忘れるどころか心の中で母と共に生きて来たようなものです。
母は彼岸に着いても、ものすごい念波を私たちに送ったのかもしれません。
「お前たちを守る」と言い残した母・・
強い母の子を思う意志は時空を超えて
私たち姉妹の内部に入り、共に生きたのかもしれません。


母が私の中から離れたなと感じたのは11年前、
実父が亡くなってしばらくしてからでした。
今も母のことは懐かしく思うのですが、何か軽い気持ちになったのです。


ある日の夢の中で、私の実父母が一緒に去っていきました。
母は彼岸で父が来るのを待っていたのでしょうか。
私たち姉妹はもう大丈夫と安心したのでしょうか。
今でも思い出す不思議な夢です。


実父が亡くなって数日後、私は夢を見ました。
(私は夢を見ているとき、その鮮明さに夢だとは思えません)
私を棄てたと思って心の中で反逆していた私に、
父が書いたノートと小さな幼女のはく靴下が出てきました。
その靴下は幼い私の靴下。
ノートに書かれた文字は私への思い。・・・・・
私の心は父の愛でいっぱいになりました。
「俺はあの子のことをいつも思っている」と
人様に言っていたそうですが、その通りでした。
死後私への思いを伝えたのでしょう。
泣かない私は泣きました。


共に暮らすことはなかった実父母、
でもその愛は時空を超えていました。
私があの世に帰ったとき、実の父母と会えるでしょうか。
会いたいと思いますが、
父母は私たちのことはもう安心して、
あの世の生活にすっかり慣れているかもしれません。


2017年5月18日

2017年5月 9日 (火)

私のお墓

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空は青空、熱くもなし、寒くもなし、心身共に心地よい。
ということで3年振りに京都のお墓に行ってきました。
まだ誰も入っていない空の墓です。
夫と私のために7年前に購入しました。


あの当時私たちの思いは土に帰りたいということで、
植樹墓に憧れ、探して探して、
大阪から京都は少し遠いですが気に入ったのですぐ購入して、
言葉と私たち夫婦の名前も刻んだのでした。
宇治の平等院から車で10分の山の中の広大な公園のような美しい場所です。
2年前にMカトリック教会の納骨堂を買い求めたのですが
墓は2つもいらないし、墓を見比べて、やはり大空の中、
花と緑と川のあるまるで
パラダイスのような公園墓地の方を最終とすることにし、
教会の納骨堂は廃止することにしたのです。


この植樹墓地はいったん購入すると永代で、
某業者のように10年とか20年たったら共同墓地に移動ということはなく、
内部の骨が完全に土に帰ることができます。
それがとても気に入ったのです。


3年振りの私たちの墓は変わりなくそのままありました。
小さな墓の前には細いきれいな川が流れ、
墓の上部には芝桜が美しく咲いていました。
今日は日曜日で家族の人たちが何組かきていました。
墓の前で声を出してお経を唱えている人、
きれいな花を置いて、墓を何度も撫でていく人、
それぞれの思いを感じます。


私はなぜか墓が大好きです。
この静謐な雰囲気が何ともいえません。
そよぐ風、色とりどりの花、よく管理された清潔な芝生、
天国があるならばこんな風景かなと思います。
いつまでもいたいなと思いつつ、
二人で自分たちの墓を見にくるのはあと何度かなと思ったり・・・
いつかは一人で来ることになるのでしょう。


墓所の帰りはいつも平等院に寄ります。
本当に近いです。
今日は沢山の内外からの観光客でした。
平等院の美しさもですが今日は特に藤の花が美しくて、
見とれてしまいました。



2017年5月9日

2017年5月 2日 (火)

大規模修繕工事の真っ最中

戸建ての家に住んでいる方にはわからないでしょうが、
マンションの大規模修繕工事はそれはそれは大変な工事なのです。


私のマンションはこれで3度目になります。
3度目といいますと、だいたい10年から12年に一度ありますから、
3回目というと築後30数年ということになります。
3回目だから慣れているということはありません.
毎回、修繕するところが少しちがいますし、
業者によってやり方はちがいます。
今工事をしている業者さんは丁寧過ぎるくらい丁寧です。
予定通りでしょうがようやく、2か月でベランダ側が95%ほどできたようです。


マンションの建物を完全に覆ってしまうので、
それも黒いシート(網目あり)で覆うので、
太陽の熱は当たりが少なくなり、
建物のコンクリートが冷えて外よりも温度は低くなり、
5月になるのに、小寒いことです。
ちょうど墨色の蚊帳に一日中覆われているような感じです。


何やらぶつぶつ書きましたが、面白いこともあります。
普段見ないこと、お目にかかれないことなど、見聞きできます。
足場を組むときなどそれはすごいものでした。
音もギーギー、ガーン、ガーン、ザーという大きな音。
そして室内からとび職の人の働きが丸見え・・・
あの独特のスタイルで、命綱をつけてやっていました。
狭い通路を思い鉄パイプを担ぎ、組み立てていくのです。
これは頭が要るなあと思いました。
かっこいいというか勇ましい感じです。


足場が終わるシート貼り・・
それにはまた違うスタイルの人たちが働きはじめました。
うっかりしてベランダのガラス戸をあけると、
工事中の人と「こんにちは、ご苦労さまです」ということにもなります。
みなさん若い人が多く、顔を合わせるとニコとして挨拶を返してくれます。


それにしても日本人の見事なまでの組み立て工事。
どうしてこんなにミスなくできるのかと不思議です。
シート貼りが終わると今度はペンキの下地処理です。
これには女性も男性に交じって働いています。
ペンキだらけの作業着、ヘルメット姿にびっくりしましたが慣れました。
顔を合わせたらきれいな若い女性でした。
やはり男性だけの工事仕事より、女性が入ると楽しいのでしょう。
仕事しながらの会話が弾んでいました。
何の話か聞きませんでしたが。


ベランダの工事中や塗装中は
ベランダ側のカーテンはしてくださいということで、
これはかなりうっとおしい状態になります。
時々やはりふーとため息・・
強いシンナーの臭いを嗅いで、室内にいるのはかなり大変です。
でも私たちは塗装のときだけですが、
この仕事をしている人はこれが常態ですから、
健康面で大丈夫かなと思ったりします。


見ていると危険な仕事であることがよくわかります。
安全面のこともあり、かなり重労働な仕事です。
ミスが危険をともなうので、監督の人の責任は重く、
一日の最後に点検しています。
日ごろお目にかからない、職人さん、工事現場の人たちです。
日本人の仕事振りに今更ながら感心し、誇りに思ったことです。
まだ2か月続きますが、きれいにしてもらうのですから、ありがたいです。


みなさん、気を付けて、働いてくださいという気持ちです。
何しろ10階とか15階の建物ですから。
高層建築の現場で働く人たち、
毎日危険と背中合わせの人たち、本当に感謝です。
これからもこういう工事を他所で見たら、
この数か月働いてくれた人たちを思い出して、感謝したいです。
年配の人、若い人、一家の大黒柱のような人、
女性、様々な人たちがいました。
60前後の女性もヘルメットをかぶって・・


2017年5月2日

 

2017年4月22日 (土)

葉桜と馬

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*川面の桜です

桜の花の盛りは過ぎて花は散り始め、
樹木は新緑の葉が美しく輝きだしました。
花が散りだした桜の風景もとても風情があって美しいです。
その下に池や川があると、なお風雅な景色に見とれます。
日本の美しさです。
散っても美しい、枯れても美しい。
すべて自然は美しいのです。


千中の駅から二駅で降りると、広大な緑地公園があります。
全部を徒歩で回るにはよほどの健脚でないかぎり大変です。
この公園には私の子供たちが幼いときからよく来ました。
私たちは老夫婦になって久しいですが
今も時々樹木や花々を楽しみに来ます。
思い出が次々浮かんでくる憩いの場所です。
今日も見慣れた池や散る行く桜、チューリップや矢車草など
いろいろな花たちが目を楽しませてくれました。


桜は満開を過ぎて、川には桜に花が雪のように降り積もっています。
黒っぽい川の流れの上に桜の花が幾筋もふり注ぎ
川の脇のコンクリートの壁とよく調和して、
何かモダンなきもの地をみているような感覚になりました。


そのなじみある公園の中に、ずっと昔から乗馬センターがあるのですが、
いつもそこまではいっても乗馬センターの中には入ったことはありませんでした。
馬が動いてたり、走ったり、人が乗っているのは見ていましたが、
縁もないところであるし、今までのぞいたことはありませんでした。


ところがこの年齢になってふと入ってみたくなり、
見学もできるということで、センターの中に入り、
2階の見学席で馬たちと指導員と乗っている人たちを
初めてに見ることができました。
センター内にも立派な桜の木があり、
馬をみていると何か別世界にいるような不思議な気持ちになります。
馬って背が高く大きいですね。
小柄な女性の身長より高い位です。


調教を受けているのかぐるぐる回りをしている馬、
女性を乗せて静かに歩っている馬、
色は黒(強そう)、白馬、栗毛とみな威風堂々としていて、
かっこいいです。
馬たちが広い草原を全力疾走しているところなんかどんなんでしょうね。


遠い昔、私がまだ小学生の頃、
養父が草競馬に連れていってくれました。
養父は軍人でしたし、
それも騎兵隊にいたのか、馬に詳しかったのでしょう。
草競馬の馬たちは
センターにいる美しいスタイルの馬たちではありませんでした。
今日の馬たちのように細い折れそうな足、
つやつや光っている毛並み、
優雅な顔(馬にもそれがいえるとすれば)ではなく、
草競馬の馬たちはずんぐりとしていて、
荷馬車を引くのがお似合いという印象でしたが、
その頃の日本にはこのような労働に適する馬だけがいたのでしょう。
でも走っていましたよ。


草競馬はその頃の男の人たちの楽しみだったのでしょう。
でも女の子なんて、見にいってませんでしたよ。
養父はいろいろケチをつけていましたが、でも喜んでいました。


養父の輝いてた時期の写真で、
馬に乗って旭日旗を掲げもっているのがあります。
日本離れした体躯、鋭い眼光、兵士の鑑みたいな人でした。
けれども戦場での戦いの最中か、
行進をしているときかわかりませんが、
馬上の養父の太ももを弾が貫きました。
養父は倒れ、それから傷痍軍人として生きることを余儀なくされました。
すごいのは片足が不自由になっても
並みの男性より知力、体力、気力ははるかに勝っていました。
養父のことを思い出すと
あの人は絶対に戦国時代に生まれてくるべきだったと思います。
きっと名を挙げたことでしょう
いつか養父のことは書いてみたいです。
それほど逸話が沢山あるからです。


センターの平和な馬たちを見ながら、
戦火の中を潜り抜けた馬たちを想像し、養父のことを思い出したのでした。

桜は優しく散っています。


2017年4月22日

2017年4月13日 (木)

本の大処分

ブックオフの人が来てくれ、260冊の本を持っていってくれました。
夫と私の本です。

このように大量に本を処分したことは何度かありましたが
今度はこれが最後かなと思っています。
長い間、これだけはと大切にしていた本。
私の精神的な歩みの原点にもなる本も手放す気持ちになったからです。
他の人にとってはいざ知らず、
私にとって、夫にとっては貴重な本も沢山ありました。

高いものは1万円~3万円以上するものもかなりあります。
私たち夫婦の本好きは標準を超えていて、結婚してからでも
小さなマンションが買えるほどだったかもしれません。

私が本を読むのは趣味ではありません。
探求でした。
人生の探求であり、真実への探求でした。
それは今もなお、続いていて、おそらくは死ぬまで続くことですが、
昔よりはかなり明確になってきたようです。
15歳の頃より、
「わたしは何なのか?
 わたしはどこから来たのか?
 わたしはどこにいくのか?」とこの問に答えを見出そうと
この世の知識人、賢人、哲人、思想家の書物漁るように読みました。
この問題に答えを見出すのが私の一生の仕事となっていました。
もちろん、人間としての日々の生活を積み重ねるのですが、
第一の目的はこの大問題を解くことでした。


そして私は宗教の道にも入ったのですが、
そこでも明確には確証は得られませんでした。
けれど、私もある程度大人になり、思考力もついてきたのか、
過去の多くの賢者たちの書物の中から真実の宝を見出したのか、
ある確信を持てるようになりました。


それは私はあらゆる生命の根源である存在とつながっていること。
そして私は死後、その根源の中に帰っていくこと。
そして私は輪廻転生はあるのだと確信したことです。
私は何度も生まれ変わるし、
今の私も何度目かの生まれ変わりであること。
けれども、人間は決して動物や虫には生まれず、
人間としてこの世で修行するためにまた生まれてくること。


そして、宗教の説く、天国と地獄はないと確信したことです。
地獄も天国も自分が作り出す状態であること。
罪も罰もないと思います。
したがって、贖罪はないと思います。
けれども好き勝手に生きることは
自分の運命を善に向けるか悪に向けるかを決定していくので、
これはまた次の生まれ変わりにつながっていくと思われます。


人間は生まれ変わるたびに、何らかの学びをして、成長し、
自らの非を改めていくのだと思います。
そして精神の高みに上っていくのだと・・・


本の大処分はこれと関係しています。
私の中に、私なりの解決が与えられ、
何かあれば自分の内部に聞くと答えが出てくるようになって、
・・・いわゆるコンピュータの中にある程度データが蓄積されていて、
そこから必要なものを取り出すという感じです。
70年以上の学びと体験が私の内部に蓄積され、
それこそが私にとっての財産なのです。
これが私にとって本当の貯金なのです。
ですから、気持ちよく、私は私の本と別れを告げました。

2017年4月13日

2017年4月 4日 (火)

三つ子ちゃん

毎週食材や日用雑貨類を某会社に頼んでいます。
もちろん買い物にも行きますが、半々です。
毎週配達してくれる若い人のことを入社したてと思っていたら、
「ぼく、もう35歳ですよ」といわれてびっくり。
大様な、あせらない、何かゆったりした男性だけれど、
どう見ても20代にしか見えません。

「ぼく、もうすぐ子供をもつんです。それも一度に3人も・・」、
「ええ!三つ子ということ!」
「自然で・・?」
「そうです。奥さんは今入院中で、
だから、ぼく今一人暮らしです。犬のちわわといっしょに。」

奥さんは大事をとって通常より、かなり早めに入院しているらしいです。
「奥さん、元気?大変ね」と私はいうのだけれど、
それほど心配してないらしい。
とにかく元気な奥さんで、お腹の子供たちもすくすく育っているらしいです。
彼は琵琶湖のすぐそばで育ったということで、
大らかなのも、毎日広い湖面を見ながらそだったせいでしょう。

それから、私が毎週のように「どう?」と聞くと、
その報告をいつも楽しそうにしてくれました。
子供の誕生を心から待っている、彼の心情。
優しいなと思うのと、さぞ夫婦仲がいいのだろうと想像しました。
「生まれたら教えますよ」と彼・・・さすが日にちが迫ってくると、
彼も緊張してきました。
「交通事故などに気をつけてね」と私は言ったが・・

今年になり、「生まれました」と配達早々に教えてくれました。
「無事です元気です。」

すごい奥さん・・何事もなく安産だったらしい。
そして毎週「どうしているの?」と聞くたびに、
仕事から帰ったら、すぐに3人を抱くのだそうです。
もうかわいくてたまらないらしいです。
3人が泣いたら、夜も寝られないと思うのに。
平気なようです。

奥さんも元気で奥さんのお母さんといっしょに
育児に専念しているということです。
それにしてもすごいです。
私なんか、2人の世話で疲れて、蕁麻疹だらけになったり
神経を使い過ぎて、胃を悪くしたり
時々はうつ状態になったりしたものです。
どうしてこんなに違うのでしょうか。

ある日、配達の荷物をもってきて、すぐ写真を見せてくれました。
三つ子ちゃんたちです。
標準よりも大きいのだといいます。
もう、嬉しくて、誰にでも見せたくてたまらないのでしょう。
3人の子供さんが大きくなったら、
お父さんがどんなに子供さんのことを思っていたか
教えてあげたいなと思いました。
三つ子ちゃんたち、こんなお父さんをもって幸せね。

3人のまるまる太った顔が3人並んでいました。
女の子2人と男の子1人です。
彼はなかなかのハンサムで、フィギュアの羽生結弦に似ています。
大きくなったら、子供さんたちもイケメンさんと、別嬪さんになるでしょう。

私も本当に幸せな気持ちになりました。
幸せな5人家族に乾杯!

2017年4月4日

2017年3月26日 (日)

大変です ベネズエラ

いろいろな国の人たちに会うことはとても刺激になり、

知識が増し、何よりも独断的偏見が消えていきます。
私が・・自分の国だけが・・自分の民族だけが・・・・
というだけがという考えがもっと広い視野にたって考えれるようになります。
地球上は決して平和ではないけれど、
いろいろな価値観、人種、民族が懸命に生きているのだとわかってきます。
だから、チャンスがあり次第、そういう集まりに出ようと思っています。


今日は別の多文化サロンにでかけました。
こちらはいつものようにゲストの国の食事付です。
珍しい食事を食べることができて、居ながらにして、
外国に行ったような気分です。


ゲストの話が終わって食事中、前の席の人に話しかけたら、
その人は最近来始めたとのこと。
外国に行ったことはないけれど、ここに来ると
普段は会えない国の人に会えて
外国旅行をしたような気になると言っていました。
時にはゲストの方が民族衣装を着てきたり、
お国の歌を歌ったり、楽器演奏をしてくれるので、楽しいとのことでした。


今日のゲストはベネズエラのEさん(若い男性、阪大の留学生)です。
ベネズエラというと、石油大国、チャベス大統領、
とイメージがわきますが、
現実のベネズエラは大変なことになっているようです。
ゲストの方はみな自分の国を愛しているし
自慢にしたいとこともいろいろあるのが普通ですが、
今日のEさんは努力してもだめだったみたいです。
1時間以上の時間を自国民の困苦に満ちた現状を切々と説明していました。
これはよほどのことでしょう。


超インフレ、闇の取引、食料難、
そして何よりも明日の命が保障されないような酷な現実。
「自分を守るのはどうするのですか?」という質問に
「幸運・・」ということを第一にあげました。
運がよければ生きられるということですか?
・・数十分に一人の命が失わているといわれます。
警察は市民を守るどころか、安全を脅かす存在でもあるとか。


映像を見せてくれましたが、延々と続く長い行列
何時間も並んで、食料を手に入れるのだということ。
それも日々インフレで、値段は昨日の値段が今日の値段ではなく、
それも物資が不足して、店の棚はガラガラ・・
人々の心はお互いを思いやるどころか自分を守るために、
他者と争うこともある。


同じ人間として地球に生まれて、
ある人は悲惨な国へ、ある人は平和な国へと・・
どうしてこのような不平等が誕生したときからあるのかと思いますが、
そればかりは私の頭脳では解き明かせません。
なぞです。
ゲストのEさん、母国のことを思い、日本での研究が終わったら
国に帰り何とか貢献するのだと言っていました。


私にとって理解できないことがあります。
それはカトリックというかキリスト教と社会主義の関係です。
この二つは相容れない思想だと思っていたのですが、
何か共通することがあるのでしょうか。


ベネズエラはカトリック国で、
ゲストのEさんは家族全員カトリックだといっていました。
Eさん、ときどき聖書やキリスト教の話も混ぜながら話していました。
そういう風土なのに
独裁的社会主義国になるということが理解できません。

 

少し勉強してみます。


2017年3月26日

2017年3月19日 (日)

スーダンの美人さん

今日のコラボのゲストはスーダンの人でした。
ゲストの名はニーマさんといい、
もともとスーダン人は整ったきれいな人が多いですが、
今日のニーマさん、
薄墨色の肌にとてもよく似合う民族衣装を着てきました。


均整のとれた体、瓜実顔の優しい表情、
1センチほどある長いまつ毛、
笑うと真っ白い歯が真珠のように輝いていました。
頭から全身を美しい絹の布で覆っていました。
総模様の絹です。
日本のきものも外国人からみたら、あのように見えるのでしょうか。
優雅で、優しく、女性らしさいっぱいです。
そして阪大で博士号をとるために勉強をしている方です。
私は理性と優雅さ、これが備わっている女性を最高だなと憧れています。
(私にはとうていないから)


シーマさんはスーダンの事情を詳しく、説明してくれました。
私には北スーダンと南スーダンの区別もよくわかりません。
日本で伝えられるニュースは南スーダンのことが多く
これがスーダン人すべてのことだと思ってしまいます。
今日のゲストの方は
よくわからないこの辺のことを詳しく説明してくれました。
自衛隊が派遣されているのが南スーダンで、
北スーダンとはとはまったくちがう国だそうです。


もともとスーダンはアフリカでも3番目の面積でしたが、
そして一つでしたが、
トルコ、エジプト、英国の植民地になるうちに、
二つの国に分離してしまったそうです。
長い内戦の悲惨な経験を経て、今日があるそうです。
とくに英国の支配のもとで、北はイスラム
南はキリスト教徒の多い国となったそうです。
南北の行き来は英国に禁止されてから、途絶えたようです。
北スーダンはイスラム教徒が97%で、
資源は南ほどではないようですが、平和なようです。


南は一つのスーダンという全体から独立した
新しい国のようです。
今大変な状況になっているのは、南で北は関係ないようです。
スーダン人の結婚式には800人から1200人位集まるということ。
身内、知り合い、知り合いの知り合いと多くの人々が集まり、
5日間も続く結婚式だそうです。
スーダンの家は広くて、20人は泊まれるとのこと。
それにしてもその光景はちょっと想像できません。


人種は他民族国家で600の民族がおり、
公用語はアラビア語だそうです。
ニーマさんはアラブ人だそうです
私はアラブ人という方に会ったのは今日のニーマさんがはじめてです。
「結婚式にそんなに大勢呼ばなくてはならないとすれば、
結婚できない人が出てこないですか?」の質問に、
「そういう問題もあります。でもスーダンでは
以前は11人もの子供を産んでいましたが、
今は2、3人です」と言っていましたが、
多分ニーマさんは裕福な階級の出であろうと思いました。
どこの国にも貧富の差はあります。


珍しいものを見せてくれました。
イスラム圏の男性の着る真っ白い衣服です。
サウジアラビアの王様も着ています。
純白に見えるあの服と
頭に被る帽子インマとかいうのを見せてくれました。
遠くから見ると白だけでわかりませんが、
帽子にもびっしりと細かな模様が刺繍され、
それは見事な芸術作品でした。
素材は多分、シルクかコットンでしょう。

ニーナさんは、イスラムの男性が頭に被る布の巻き方、
そして女性が一枚の広い布を巧みに使い、
全身を覆う方法を教えてくえました。
一枚の布がみるみる立派な衣になっていくのです。
これは、古代からの知恵でしょうね。
ミシンは不要ですし、体形も関係ない、何とも便利です
豪華にもできるし、簡素にもできます。
日本にも流行しないでしょうか。


ニーナさん、最後に集まった一人一人の側に優しく寄り、
名前を聞き、アラビア語で書いてくれました。
夫のも、私のきれいなアラビア語で、そして握手して・・・・・

「サローム、サローム」というのが、挨拶でした。
「平和」という意味です。

本当に「サローム」です。


2017年3月19日

2017年3月11日 (土)

中西輝政氏集中ゼミ

中西輝政先生のプロフィールです

3回にわたる中西先生のゼミを夫と共に受講することにしました。
人数は30人と制限つきで、
夫と一緒だから気軽に申し込みましたが、行ってびっくり。
3回が終わったらレポートの提出だそうです。
困ったな・・・・夫が書くのを少し変えてだそうかしら・・


これは本当の勉強形式です。
ただ先生とは非常に親しく、膝突合せてという感じです。
偉い先生なのに、とても気さくなお人柄で、安心しました。
30名中、女性は5名だけでした。
もともと私は政治や国際問題、女性がちょっと遠慮するような
小難しい出来事に興味があるのですが、
今起こっている国際問題の行方
これからの日本はどうなるかといったことを
時事学問のように勉強するのには、初めてのこともあり、
1回目は緊張しました。


あらためて日本のおかれている位置の難しさを思いました。
これから10年間、日本は日本として生き残れるのかなと
少しではなく、かなり心配になりました。
ロシア、中国、米国、位置的に日本は
三方からの圧迫を受けるよう運命づけられています。
何かが動き出すとそれが顕著になり、
自動車の運転を誤ったら大変なことになるように、
判断と決断を誤ったら、どんでもないことになりそうです。


先生のお話を聴きながら、国をリードして下さっている首相をはじめ、
政治に携わる方々が正しい方向に
国をもっていってくださるようにと願うばかりです。
何といっても、国のリーダーの資質が大きな影響を与えます。


中西先生は世界が変わったことを
一番わかってないのは政治家だと言われましたが、
それでは困ります。
米国のトランプ、ロシアのプーチン、中国の習近平、
北朝鮮の金正恩、いずれも手強そうな政治家で、
日本の国の周辺は波高しという感じです。


1時間半の講義の後、質問になりましたが、
半分以上の方は帰られ、女性は私一人になりました。
年取った女性が残って聞いているのを見て先生は、
ときどき珍しそうな目で私を見ていました。
ほんと、珍しいと思いますよ。
でも2時間ほど一生懸命に聞いたので疲れました。
講義の内容は1回目は日本にとってあまり楽しいものではなかったので、
よけい疲れたのかもしれません。
3回目くらいからは希望が出てくるのではないでしょうか。


2017年3月11日

 

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