書籍・雑誌

2017年1月13日 (金)

№202. 本読み開始

私の住んでいる千中には、大きな書店があります。

30万冊揃えています。

書店も四か所ほど以前はあったのですが、今は二か所だけです。

一週間に一回は夫と書店へ。

行く度に新刊書が出ていて、日本の書物の豊富さに小躍りしたくなります。



本屋に行くと血液が動き出すような感じになります。

だって、あっちを見てもこっちを見ても、

私の知らない世界が微笑んでいるような気がしますから。

本好きな人は書店内にいつもいます。

本の好きな人は黙っている。

本を開いたらその世界に没頭してしまう。



この間、NHKのクローズアップ現代で

「サピエンス全史」の紹介をしていました。

わざわざ時間をとって一冊の本を紹介するのは珍しいので、

録画しておいてみましたが、とてもおもしろそうで、

その本を探しに早速書店へ。

この本はイスラエルの歴史学者で、

エルサレムのヘブライ大学で歴史学をおしえておられる

ユヴァル・ノア・ハラリが書かれたものです。

すでに全世界で200万部売れているそうです。



私は今まで聖書を枢軸にして、物事を判断し、

また聖書や信仰に直接に関するような本を多く読んできましたが、

どうしてもアダムとエバのお話だけでは恐竜時代やマンモス時代、

また北京原人やネアンデルタール人のことが理解できなくなってくるのです。

地球の歴史が知りたいし、人間の祖といわれる存在についても、

科学的に考古学的に知りたいと思ってきました。

そうすることによって、短く簡単に書かれている創世記の行間の意味が

もっとよくわかってくるように思えるからです。



「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、

神の霊が水の面を動いていた。・・・」創世記一章一節―二章(新共同訳聖書)

この創世記の箇所はさらっと書いてありますが、

地球創生から何十億年も経過しているのでしょう。

気の遠くなるような期間であったでしょう。

動物や植物だけの時代も想像を超えた時の長さであろうと思います。

人類種も生まれてからゆっくりと成長してきたのでしょう。



「サピエンス全史」では人間は250万年前に発生したとあります。

3万年ほど前の遺跡から絵や彫刻が発掘されたり、

その当時の人々の手の跡が沢山でたり、

写真入りなので、太古の人々に対して想像力がかきたてられます。

今年夢中になって読む本の一冊です。



宗教の成り立ちも勉強したいです。

これも一万年以上も前から

神話か宗教かわからないですが、すでにあったそうです。

人類は250万年前からと考えると、私の小さな脳の中には

そのイメージが収まりきれなくてパンクしそうです。・・・



夫にも是非読むようにとすすめました。

上下4000円で、2人分8000円はかなりの出費ですが、

本は夫婦共同ではなく、

お互いに持つようにしているのでこればかりは仕方ありません。

食べることよりも遊ぶことよりも本が好きなので・・

この本は今日新聞に大きく広告が出ていました。(10日)

おすすめします。


2017年1月13日

2016年10月23日 (日)

№192. 学ばなければわからない

最近「ディアスポラ」という本を読み終えました。

上下2巻で、800ページ余りのかなりの量の本です。

これも七平さんの山本書店から出ました。

古い本で絶版となっていて入手するのは難しいかもしれませんが、

もし手に入るようでしたら、ぜひお読みくださいとお勧めしたいです。

著者はウェルネル・ケラーです。

ディアスポラユダヤ人の古代から現在までの歴史です。


第一ページにこう書かれています。
フリードリヒ大王
「君は私に一つの反論の余地のない神の証明を示すことができるか。」

 

アルジャン候ジャン・バプティスト・デュボワイエ
「はい、陛下、ユダヤ人です。」


また
「われらは今、あまりに長い年月にわたって
盲目であったことを認めざるを得ません。
それゆえもはやあなたの選びの民の麗しさを見ることはなく、
その顔のどこにもわれらの長兄の面影を認めることはできません。
われらの額にはカインの刻印があります。
何世紀もの間、われらがあなたの愛を忘れたがゆえに、
アベルは血と涙の中に低く臥してきました。
われらがユダヤ人という名前に対して誤って呪いをかけたことを許したまえ。
二度までもあなたの体を十字架につけたことを許したまえ。
われらがわれらのなせることを知らざりしがゆえに・・・」 
       法王ヨハネス二十三世 死の直前に書かれた懺悔の祈り(1963年)
 ( *第二バチカン会議の画期的な展開に貢献。その人柄と功績は今も親しみをもって語られる。近代教会最高の名教皇。)

 

この書物を読んで、今まで考えていたことが大きく変わりました。

逆説の日本史ということばがありますが、

まさに逆説のキリスト教史とでもいいましょうか。

私は本の感想や私見はあまり書かないようにしてます。

本を読んでの感想はあくまで個人的なことなので、

ある人にとっては私と同じ見解ではないかもしれないし、

読む前から他の人の感想に影響を受けることは

あまりいいことだとは思わないからです。

10人読んだら、10人ちがう。100人読んだら100人ちがう。

そうであるのが当然だと思います。



ただこの本は耐えられない思いを何度もし、沈黙し、溜息をつき、

人間とはいったい何なのだろうと思い・・・

「神様、なぜですか?」と何度も問いたくなりました。

人間がお互い同士仲良く助け合うことができる世の中、

生き方は無理なのでしょうか。

インターネットの発達等によって、

世界の出来事はどの民族も知ることができるようになりました。

もちろん、正しい報道がされるかどうかはありますが。

昔よりははるかに他国の人々の生活がわかり、理解できるようになりました。



様々な風習と生活様式のちがい、宗教のちがい、

学ぼうと思えば居ながらにして学ぶことができます。

それぞれが自分の生き方や信条を強調し、

他を認めなかったならどういうことになるかということ、

その結果はいかなる災禍をもたらすかということも

考えてみればわかると思うのですが。

 

人間とは何ですか?

 冒頭の重い内容の本は人間の底知れぬ闇を開いてくれました。

それは地獄の門が開いたようでした。

人間の心の内部には、平常は見れない暗い闇が澱のようにあるのでしょうか。

それはまるで地獄絵図です。

そしてその思いは一人一人の内部から生じてくるのです。

人間とは何ですか?


*************

参考まで
・・・人間の宗教形態は人智の進化につれて、低俗なプレアニズムの段階から、
アニミズムの段階へ、そして多神教へ、さらに
・・・単一宗教を経て高等な唯一宗教へと上昇していくと捉え、
この過程の中で、多神教は、劣った克服しなければならない宗教形態であり、
やがて人智が進むにつれて一神教のみが生き残ると考えた。
・・・特にキリスト教的西欧思潮が全世界の模範的理想であると信じる人々は
多神教の意義を不当に軽視してきた。
けれども今日では、西欧思潮の源流自体が多神教的であるばかりか、
キリスト教やイスラム教の中にも多神教的因子が
事実生き残っていることがますます自覚されつつあるように思う。
・・・両者は価値の高下というより、
それぞれの宗教がおかれた文化的、歴史的条件に左右された宗教形態、
宗教の在り方として理解すべきであることが認められてきた」
カトリック大辞典(多神教より)


2016年10月23日

2016年9月15日 (木)

№187. ユダヤ戦記より

*フラウィウス・ヨセフス

紀元37、8頃生まれました。

ローマ皇帝カリグラが即位した年です。

高貴な家系の出身であり、父方は祭司、母方の祖先はハスモン王家です。

秀才の誉れ高く、14歳の頃には

祭司長や指導者が教えを乞いに来るほどでありました。

ヨセフスは穏健派であったが、戦乱に巻き込まれ、

自ら指揮官となって戦うがローマの捕虜となります。

そのとき、将軍ウェパシアヌスのもとに引き出されたヨセフスは

彼が皇帝になることを予言します。

それは現実となり、帝位についたウェパシアヌスはヨセフスを解放し

その保護のもとにローマで貴族となり、

この時代の唯一の詳細な歴史を書き残しました。(第一級の資料)



和平を願いながらも反乱に巻き込まれ、

捕虜から皇帝の客分となり、ユダヤ人の憎悪を買う反面、

民族の歴史を弁証することにつとめた運命の人ヨセフスでした。

自分の祖国ユダヤの滅亡を最後まで見届け

それを後世に残してくれました。

最期のマサダの戦いは悲壮です。



*ヨセフスはしばしば同国人から非難されましたが、

ヨーロッパのキリスト教徒に親しまれ、聖書と並んで愛読されてきました。

レンブラントが不幸な晩年を送って死んだとき

残されたわずかな遺品のうちに聖書とヨセフスの書物があったといいます。
・・・「ユダヤ戦記1」より

************

山本七平さんの会社「山本書店」発行のユダヤ戦記1-3巻を完読しました。

ヨセフスの文献はいろいろな所で参考にされ、

今でも古代の超一級の資料とされています。

読破したのはまだ古代誌の一部とヨセフス戦記だけですが、

他のものも手に入れて読んでいくつもりです。

ユダヤ戦記は普通の戦記物語ではありません。

読みながら、時には絶句し、

耐えられない思いになりながらも、読み通しました。

ネロ、クレオパトラ、アントニオ、シーザー、

オクタヴィアヌスのことも詳しく記されています。



ユダヤは西暦70年、国を失ったのです。

ヨセフスは洞窟の中に隠れているとき、

同胞であるユダヤ人たちに指揮官として必死に自殺を止めています。

聞き入れられなくて、結局くじでお互いを殺していくことになるのですが、

そのときに言ったヨセフスの言葉の中に



「諸君は知らないのか。自然の法則に従って、

この世の生命を与えたもうた神が

その生命をご自身のもとに返されることを望みたもうときに、

神から受けた負債である生命を返済する者には

永遠の栄光がついてまわる。

彼の家や親族はともに安泰であり、

死んだ者の魂も汚れのない従順な魂として存続し、

天において最も聖なる場所がわり当てられるのだ。

そしてその魂は時の流れの後

、輪廻転生、再び罪のない肉体に宿ることができるのだ。」とあります。
ユダヤ戦記2 P156(山本書店出版)



ユダヤ教はキリスト教と同じように

「輪廻転生」を否定していると思っていたのに、

律法にも精通し、歴史家であるヨセフスが

はっきりとこのように書き残していることに驚きました。

書物全体にも感動を受けたのですが、

このヨセフスの言葉は私の中に深く入り、

そのまま受け流すことはできないようです。

 

2016年9月15日

2016年7月13日 (水)

№180. 先達に感謝

今年から今まで半年間に約40冊の本を読みました。

以前は一か月数冊で目もすごく疲れたのですが、

今は学びたいという強い欲求のためか、

目もついてきてくれるようになりました。

若い頃は文学に夢中でしたが、今残り少ない生の間に

これだけは知っておきたいという強い願いがあり、

その知識の探求にひたすら進んでいます。



それは私の信じてきたキリスト教の真実です。

そのためには考古学や歴史、他宗教、神秘思想、

そして旧約聖書はその最大のものです。

これらを私はどこまで学べるでしょうか。

有り難いことにこんな本を読みたい、手に入れたいと願って検索すると、

たいてい望み通りのものに近い書物が手に入ります。

 

特に外国の著者で専門的な書物や一部の人しか興味がないような本でも

たいてい翻訳が手に入ります。

私が興味のある本は貴重本か希少本が多いので有り難いです。

日本語は特殊な言語で日本人だけしか使用しないので、

翻訳本があるということはとても嬉しいことです。

ちなみに日本語に訳された海外の書物は世界一だそうです。

それだけ誠意をこめて、外国語を日本語にして下さった

有名、無名の方々にお礼を言いたいです。



その中であまり知られていないのは山本七平氏です。

名前は有名ですが七平氏の訳書はそれほど知られていません。

山本書店発行ですので、山本書店が閉店になったときから、

七平氏の出された本は絶版となり、貴重な本になってしまいました。

私は今山本書店が出した書物を少しづつ集めています。

聖書に関する書物です。



七平氏が一番やりたかったのは、

山本書店で聖書関係の本を出すことでした。

信仰とか宗教とかいうことよりも

日本人に聖書の知識を身に着けてほしい、

知識として知ってほしという願いからでした。

キリスト教もイスラムもそして世界に大きな影響を与えている

ユダヤ教の理解のためにも

是非聖書を学んでほしいという悲願があったからです。

なぜなら、世界を動かしている論理は、

そのものの考え方から来ているからです。

それが善であろうと悪であろうと・・



山本書店で出された数々の本を読んでいると、

今までのキリスト論が覆るかもしれません。

でもそれはより真実に近いキリスト教に近づくことだと思います。

誰もが自分にとってのキリスト理解であっていいとおもいます。

自分にとってのイエス像です。

私もそれを探求してます。

2000年の歴史を遡って、真実により近くなるために・・



七平氏は山本書店発行で沢山発行しましたが、
今私の手元にある本は
「聖書の常識」山本七平、「一つの教訓・ユダヤの興亡」山本七平、
「イエスの時代の日常生活3冊」ダニエル・ロプス、
「初代キリスト教徒の日常生活」アダルベール・アマン、
「旧約聖書の人々4冊」F・ジェイムズ、「歴史としての聖書」ウエルネル・ケラー、
「聖書をこう読む」マンフレート・バルテル、「概説聖書考古学」G・E/ライト、
「死海写本とキリスト教の起源」M・ブラック、「ユダヤの古代誌」ヨセフス、
「旧約聖書物語」山本七平。
まだまだ山本書店は素晴らしい本を多く発行してます。
何十年も前の書物でしみや汚れがあっても、
私には胸がどきどきするほど嬉しい本です。


その他参考までに「古代教会史」N・ブロックス、
「生きるユダヤ教」勝又悦子・直也、
「日本とユダヤその友好の歴史」ベン・アミー・シロニー、
「聖書とキリスト論」教皇庁 聖書委員会


夏休みというわけではありませんが、
このブログは2~3週間お休みをいたします。



2016年7月13日

2016年5月 3日 (火)

№171. 読書は最高の喜び

今日もミサの後、51段の階段を降りて、
Fの書店「サン・パウロ」に行きました。

 

書店のある教会は珍しいと思います。

ミサが終わってから書店に行って楽しみます。

書店にはカトリック関係のメダイやロザリオ、

マリアやイエスの彫像や絵像もおいてあるので、

外国の方々も沢山来ます。

書棚には専門的な貴重な文献もずらりと並んでいます。

溜息が出るような高価な本もありますが、

私たち夫婦にとってこれ以上の喜びはありません。



明らかにキリスト教の正統派からみて、

異端とされる宗派が出版してる本はおいていませんが、

異端の説明の本は沢山あります。

カトリック関係はもちろんプロテスタント、無教会、仏教、

イスラムに関係する本もあります。

小説も山本七平氏の本も。

そして今私たち夫婦が学んでいるユダヤ関係の専門書は沢山あります。

もちろんタルムードも。

ヘブル語の聖書、注解書ありありです。

とにかくわくわくします・・・


サン・パウロが選んでおいている書籍の分野の広いこと。
・・・ええ、こんな本を読んで大丈夫ですかと
手に取ってみて思わず絶句することも。
カトリックの今の在り方を書店にいると理解できます。
すべて寛容のうちに包み込もうとしているようです。
自分の把握能力に応じて読みなさいということでしょう。
判断はあくまで自己責任です。
この広い見識も多分第二バチカン公会議以後のことだと思われます。


本代は私たち夫婦の食事代より多いときもあります。
だんだん多くなりました。
本は私たちにとって食事であり、栄養なのです。
本は知恵の宝庫です。

 

本は必ず買います。
線を引いたり、書き込みをしたり、折ったりするので、
借りるという発想はありません。
お金を出すことは痛みも伴うことであり、
その本が自分に益になるかを考えます。
心の栄養になるかどうかをよく考えます。
ネットでも沢山購入します。
夫は海外からも入手します。
この間、古い本は整理したのですが、また書棚がいっぱいになるでしょう。
古代の賢人の言葉、
知者の言葉、知恵は本の中に満ち満ちています。


「本はどんどん読みなさい」と言ってくれる夫に感謝しています。


2016年5月3日

2016年4月13日 (水)

№169. ルーツ探しは旧約聖書へ

 

山本七平氏の本を10冊ばかり読んで、

 

「日本人とは何なのか」と学びたくなり、


いろいろな方の本をこの一か月間読んできました。


その数、我ながら驚くほどに15冊くらいに及びました。


私の読み方は殆ど熟読で、最初から最後まできっちり読みます。


そうしなければ、その著者の言わんとしていることが


わからなくなるからです。


また誤って理解してしまいます。




というわけで一心不乱というほどでもありませんが、


読んでいくうちに、私が行きついたのは旧約聖書でした。


日本人のルーツを探していたのに、着いたのは旧約聖書でした。


これは実に不思議なことです。


私は日本の歴史の太古からの空白の部分を知りたかったのですが、


日本人という血のルーツ探しよりも、


もっと深い問題、私自身の霊魂のルーツ探しに


切り替わっていったのです。


血肉の出自を探すことよりも、霊魂の出自ともいうべきものを


探すことが大切だと思うようになりました。




そうして、「旧約聖書」つまり、


「ユダヤ教」とユダヤ人を学ぶことの大切さを知ったのです。


旧約聖書はもともとユダヤ教の聖典であり、


キリスト教の母体でもあります。


当然の帰結といえばそうですが、


やはり天地創造の教えの中に深いルーツの謎がありそうです。




私の先月から今月にかけて読んだ本は


手島佑郎の「ユダヤ人はなぜ優秀か」「ユダヤの言葉」「創世記上下」、


ラビ・トケイヤーの「ユダヤ5000年の知恵」「謎の古代史」


「日本・ユダヤ封印の古代史」


川瀬勇「日本民族秘史」その他10冊余。


現在すごく教えられている本はヨセフスの「ユダヤ古代誌」


これはあの山本七平の山本書店発行のです。


七平さんの熱い思いが伝わってきます。


ヨセフスの「ユダヤ戦記」も読みたいです。


次から次へと興味を引く本が出てきます。




夫は英語のタルムード(デジタル化されたもの)全巻を取り寄せ、


残りの人生の学びとするようです。


ほんの少ししかできないかもしれませんが。・・・


夫婦で毎日この学びの成果と研究の話し合いです。


というわけで、学びに忙しく、このブログは不定期になりそうです。


書く回数は少なくなるかもしれません。


それに私が学ぼうとしていることが、


読んでくださる方々の参考になるかどうかもわかりません。




私は私の信じているキリスト教の深さと意味を知る上で


ユダヤ教とユダヤ人について学ぶ必要を感じたのです。


それは私を含めて、全人類のルーツに関わることだとと思うからです。


これが今の私の状況です。



2016年4月13日

 

 

2016年3月 9日 (水)

№164. 日本人であることとは

 

「父上、改めて『日本人』とは何だい?」

「うーん。『日本人』という民族に、

人類史上何らかの使命か存在理由があると仮定すれば、

それはものすごく多くの仮説を壊したということだろうな。

日本が勃興するまでの世界というのは

西欧的キリスト教とアジア的停滞の世界に分かれているとされたわけだが、

その世界観にはいくつかの常識があった。

アルファベットを使わない民族には、近代化出来ないという常識。

有色人種は白色人種に劣るという常識。

西洋は常に前衛だとう常識。



これらの常識を、日本人は打破したんだ。

これは大変に大きなことだと思うよ。

もっともまだ問題はある。

『日本人』は世界の過去の常識を、確かに打破した。

けれども打破した次に何が来るかという問題だ。

白人種の仲間入りしたら、意味はなくなる。

日本人の伝統文化はヨーロッパ人の伝統文化と決して同じではないからね。



違う伝統を持っていても、近代化しうる。

そこには西洋とは違う伝統文化を持っていたとしても、

近代化出来るという方法論があったんだ。

・・・・・近代化が、人類の普遍的な幸福とは

決まっているわけではない。

これまでとは別のタイプの近代化というものがあるのではないだろうか。

・・・それぞれの民族によって皆違うだろうから。



・・・これからの近代化を成功させるためには、

地球上のそれぞれの民族が自分たち自身の眼で

自己の伝統文化を見つめるしかないだろう。

自分たちの文化的前提を調べて、

それぞれの国が自らの方法論を探し出す他はないのだ。

『日本人』は自分達の近代化と伝統文化との関係を、

自分の手で明らかにしようとはしなかった。

その関係、方法論の呈示こそ、

『日本人』が世界に対してこれからなしてゆくべき課題ではないだろうか」

・・・『父と息子の往復書簡』山本七平・
良樹著より

 

これは山本七平さんと息子良樹さんの会話です。

 

ガンも末期、命もあと少しで尽きようとしていた闘病中の

 

父七平さんと息子さんが交わした会話です。

 

息子さんの質問に答えて語った言葉ですが、

 

私には日本人に遺された言葉のようにも思えます。

 

 

 

七平さんというと、すぐ山本学、日本教という言葉が浮かんできますが、

 

私も日本人について勉強してみようと早速本を買いました。


が、ふとつまってしまいました。


日本人の紀元前、2000年前のイメージが殆どわかないのです。


日本人は急に鎌倉や江戸時代になったわけではなく、


長い明らかにされない歴史を経過して、今が形成されたと思うのです。




それでまた意を決して、古代の日本人を探したいと思ったのです。


ここが何とかはっきりしないと、頭の無い身体のような、


どうしても空虚なものを感じてしまうのです。

 

七平さんのいわれる日本の伝統文化もその長い歴史、


埋もれた歴史の中から継続されたものでしょう。




古代日本に関する本を数冊買って読んでいます。


とんでもない本は避けて、


深い知識と自らの探索の中から生み出した書物を探しています。


書いた人の誠実性が問われます。


読みだすとますます興味が湧き、埋もれた、


あるいは故意に隠されたかもしれない歴史を知ることは


知的な新鮮な驚きとなって、


老いていく頭を活性化させてくれるようです。




またまた、新しい興味が湧きました。


そしてこの問題はすぐにはわかりそうもありません。


ゆっくりと『日本人とは』の研究をしていきます。


2016年3月9日

 

 

2016年2月 3日 (水)

№159. 最近の読書

 

年齢のせいもあるけれど、最近血圧が高くて、


自分でも要注意だと思いながら、


それでも毎日2時間ほどの読書は欠かせません。


これは義務ではなく、私の生命線のようなものです。




去年もいろいろ読みましたが、今年になって読んだ本は


「不干斎ハビアンの思想」梶田叡一著を読みました。


梶田先生は前M教会でお会いしました。


梶田先生はカトリックの信者ですので、ごいっしょできたのです。


こんなに偉い先生に丁寧に教えていただいたのは、


やはり教会だったからでしょう。


梶田先生の著書とお話はまたの機会に譲ることにして、


なぜ山本七平の著書に興味をもったかといいますと、


梶田先生が大きな影響を受けた人として書かれているからです。




それで山本七平の数ある著書の中から


「静かなる細き声」を取り寄せて読みました。


何十年か前、山本七平氏は「日本人とユダヤ人」


イザヤ・ベンダサンの訳者として知られていましたので、


私も名前は知っていましたが、


著書を真面目に読んだのは初めてでした。




山本七平氏が生まれながらのキリスト教徒で、


それも3代目であるということを初めて知りました。


(御両親は無教会派のクリスチャン)


「静かなる細き声」を読んで、さらに読みたくなり、


300万部売れたという「日本人とユダヤ人」、


それから「戦争責任と靖国問題」、「日本教」


「人生について」を読み終え、


今「私の中の日本軍上下」「宗教からの呼びかけ」を読んでいます。


とにかく夢中になって読んでしまいます。




こんな人がいたのかという驚きとともに、


梶田先生に感謝したいです。


梶田先生の著書「不干斎ハビアンの思想」も深く教えられました。


この著書は現在のカトリックの第二バチカン公会議の考え方に


とても参考になります。


アマゾンで山本七平の著書は手に入ります。


約143冊が出ています。


ですが、七平氏の著書は216冊あると、


どなたか熱心な山本七平の読者の方が書いておられました。




本を読んだ人の感想にこんなことが書かれていました。


「一度は読んだほうがいい。戦後の思想の一部を変えた、


知性の原点となる体験、そして観察を。


・・・山本七平は戦後最大の、20世紀最大の日本の知性である」と。


どの本も文章が易しく、読みやすいです。


次々読みたくなっていくのです。


氏が命がけで書かれた著書、これだけの文章を書店も経営しながら、


何度も病気と戦いながら、


他者からの攻撃を受けながら、書かれたということ。


どの本も氏の遺言のような気がします。




氏にとっては、内村鑑三が一生を貫く大きな影響を与えたようです。


ご両親が無教会の信者であり、


氏は幼い時から聖書の句や文章を暗記させられたとのこと。


氏は教会の日曜学校にまじめに通い、


青山学院教会で洗礼も受けておられ、


冒頭の梶田先生とはカトリックとプロテスタントのちがいこそあれ、


生まれたときからキリスト教徒というのは同じです。




読めるだけ読んでいこうと思います。

 

読書は最大の楽しみです。


知らなかった広い世界へ連れていってくれます。



2016年2月3日


 

 

2015年1月13日 (火)

№102. 細川ガラシャに思いを寄せて2

ガラシャの美しい絵像を見つけました。

入れてくださった方感謝します。

http://www.last-song-of-life.com/entry10.html

フロイスの日本史の中に出てくる細川ガラシャに魅かれ、

さらにガラシャのことを書いた三浦綾子の「ガラシャ夫人」も

平行して読んでいます。

 

三浦さんの歴史物語を読んでガラシャが立体的に、

生きた人間として、身近に感じられるようになってきました。

邸に閉じ込められたガラシャは

家臣や侍女(貴人)を巧みに使って、知識を吸収しました。

彼らを教会の司祭のところに行かせ、(そのうち彼らはキリシタンになる)

その持って帰るキリスト教の教えをむさぼるように会得していきました。

家臣や侍女たちは、奥方さまの疑問点、

そして質問の数々を司祭に伝え、そして答えを持ち帰り、

奥方さまの善き使者として働きました。



彼女は司祭に日本語に訳された霊的書物を求めました。

そして与えられたのが「コンテムッス・ムンジ」というのですが、

ガラシャはその書を片時も身から離しませんでした。

この書は「キリストにならいて」という書で、

今も聖書に次ぐ霊の書と言われています。



私もバルバロ訳の「キリストにならう」をよく読みますが、

ガラシャがこれを読んでいたのかと思うと

500年の隔てが急に消えてしまったように思えます。

 



「・・・片時もその書を身から放そうとせず、

我らヨーロッパの言語の出てくる言葉とか未知の格言について生じる疑問をすべて明瞭に書き留め、

侍女のマリアにそれを持たせて教会に遣わし、それらに対する回答を自分のところへ持って帰らせた。

奥方の文字は日本で極めて稀なほど達筆であり、

彼女はそのことできわめて名高かったから、

彼女は後に自筆でもって他の多くの霊的な書物を日本語に書き写した。」P233

(彼女はラテン語も学んでいたのではないかといわれます)

 

ガラシャのおかれた環境からすればもっともなことですが、


こんな記述もあります。

 

「・・・うつ病に悩まされ、時には一日中室内に閉じこもって外出せず、

自分の子供の顔さえ見ようとしないことがあったが、

今では(キリシタンになることを決心してから)顔に喜びを湛え、家人に対しても快活さを示した

怒りやすかったのが忍耐強く、かつ人格者となり、気位が高かったのが謙遜で温順となって、

彼女の側近者たちも、そのような異常は変貌に接して驚くほどであった。」P239

 

また上長の司祭は彼女と忠興との間が不和があることを知っていて、


正しいことにおいては夫に従うようにと注意もしています。

 

それに対して、
「今はバテレン様がお命じになることがよく判りましたし、主なるデウスさまの御恵みによって、

御命令を身をもって実行するよう努力いたすつもりでございます」と答えています。

 

 

ガラシャは石田三成の人質となることをこばみ、


家臣の手をかりて死を受け入れ、焔の中に消えていきました。


夫忠興のためであり、細川家のためでもあったのでしょう。

 

遺体を完全に焼却するために、邸を爆破したといわれます。

 

司祭に約束したように、彼女は身をもって忠興への愛を証明したのだと思います。

 

 

38歳の生涯は短いように見えるけど、


その中身は日々命がけの真剣な生だったと思います。

 

その死は、ガラシャにとっては、天国への凱旋だったでしょう。

 

私の中で、今まで絵の中の女人に過ぎなかったガラシャが


生き生きと思い描かれるようになりました。


2015年1月13日

 

 

2014年1月14日 (火)

№51. 「老後はひとり暮らしが幸せ」を読んで

書店である本が目にとまりました。本の題名に引き付けられたのです。

 

「老後はひとり暮らしが幸せ」(水曜社出版)

 

ひとり暮らしが?・・・幸せ? それはどうしてなの?とこう考えて手に取り、

 

パラパラと本をめくり、目次をさーと読んで、買うことにしました。

 

家に帰って読んでみて、なるほどその通りだと何度もうなずきながら、

 

これはこれから年取っていく私に参考になると感謝しました。

 

医学博士で日本耳鼻咽頭科専門医、辻川覚志先生の著書です。

 

 

本の後ろに本書の調査方法と分析についてとありますが、

 

2013年4月1日より5月までの2か月間に、

 

門真市医師会「お元気ですかコール」活動に参加されている


60歳以上のひとり暮らしの人全員と、

 

当診療所を何らかの症状を訴えて来院された60歳以上の人全員に対して行われ、

 

総数484名、そのうちアンケートに協力、回答された方は460名で、

 

年齢は60歳から90歳で平均73歳だったそうです。


それをもとに本書を書かれたということです。

 

いろいろとアンケートに回答された方々の意見や思いが沢山書かれていますが、

 

単独世帯が、良好な環境という回答が多いのです。

 

大家族で最初から生活している人はともかく、今夫婦二人で暮らしていても、

 

どちらかが先に逝き、必ず一人になる時が来るのです。

 

さびしさに耐えかねて、考えなしに老人ホームに入って後悔しても仕方ありません。

 

ひとりになるとどのような生活になるのかというイメージをこの本を読むとよくわかり、


それほど心配することはないなと、ほっとし、また勇気を与えられました。

 

子供や孫に囲まれて、一見楽しそうに見える中での孤独はひとりよりも寂しい。

 

身体が弱くなるにつれて、家族に気兼ねし、それだけでストレスがたまる。

 

ホームに入って、至れり尽せりの生活の中で人生に対する意欲を喪失し、

 

数年で顔もぼーとなっていく老人たち。

 

何でもやってもらっていると脳も干からび、働かなくなる。

 

楽をすることが必ずしも良いことではない。

 

そして管理された生活の中で、自分の自由は失われてしまう。

 

その点、ひとりは自由気儘。

 

どこへも行けるし、時間も好きなように使える。

 

元気であれば、人なかに入っていって、活力ももらえるし、誰かと話すこともできる。

 

たとえ病気であっても、身体に合わせて、

 

自分の好きな生活スタイルで暮らすことができる。

 

病気になったらとひとり暮らしを心配する人が多いが、

 

 


辻川先生の言われるのには、

 

最後までひとりで暮らすことは十分にできると言われます。

 

そして自分で知恵をしぼって生きることこそ、脳の活性化になるということです。

 

その通りだと思います。

 

街を歩けば老人に出会わない日はないし、

 

きょろきょろしていると、ぶつかってしまうほと多い老人大国日本。

 

多分これではあと10年もしたら、ひとり暮らしが云々どころか、

 

ひとりで生を全うするのが当たり前の世の中になるのではと思われます。

 

ひとり暮らしを、あるいはひとりで生の幕引きをマイナスに考えるのではなく、

 

これはこんなに良いことがあるのだと考えれば、

 

見方が、生き方が違ってくると思います。

 

楽しく感じるかもしれない。・・・と思わせる辻川先生の本です。

 

ひとりは決してマイナスではなく、

 

幸せなことがこんなにあるんですよという、元気が出てくる本です。

 

抽象論ではなく、具体的にどうすればいいかも書かれた、自信のつく本です。

 

特に金銭管理はかなり弱ってもできるそうです。

 

それでもどうしてもひとり暮らしが無理になったら、

・・・これはP173-に書いてあります。

 

ひとり暮らしは他の人のことを考えずにすむこと。

 

気を遣う家族がいないだけ、有利になった。

 

今住んでいる場所を確保して自分の思いのままに準備していく。

 

それほどお金をかける必要もなく、自分の老後を幸せにすることができるし、

 

いよいよとなっても、自分住み慣れた場所で終わることができるということです。

 

「結局、独居高齢者は、決して悪くない環境で暮らしており、悩みが比較的少なく、

(他に対する気遣いがない)たとえ独居全体の年齢層が高くても健康意識もかなり良好な状態で保たれており、

日常生活における満足度も高いようなのです

独居生活は、予想以上に良好な生活環境であるということが言えると思います」本文P23より


2014年1月14日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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